第一章 8
彼女の履くヒールの音だけが、静寂な世界に木霊する。
白狼は、壁に指先を這わせながら彼女の後ろを大人しくついていく。
指を這わせると、よくわかるのだが、
壁が緩やかなカーブを描いていることに気がついた。
よく磨かれた革靴に視線を落とす。
白い滑らかなタイルを敷き詰められた床は、緩やかなスロープになっている。
つまり、色彩感覚と、道の狭さによって
どこまでも続いている無限回廊のような錯覚を起こしていたが、
実際は地下に下っているようだった。
子供のころに一度だけ行った遊園地の仕掛けに似た迷路があったことを思い出す。
迷路の先に待つのは天国か、地獄か。
「 蜘蛛の罠 」ってとこか?
白狼は薄い唇の端を上げる。
獣以上の嗅覚をもつ、この男は感づいていた。
螺旋状のスロープを降りるごとに近づき、
体を侵食している香りが何であるのかを。
虚構の白い世界が、覆い隠そうとしている現実の証。
白狼はゆっくりと立ち止まる。
アラクネも、男の気配に小首を傾げ、
華奢な肩越しに白狼へと振り返る。
紅茶色の細い髪が艶やかに揺れていく。
― 血の匂いねぇ。ビンゴだぜぇ、アキちゃん!
白狼は、『蜘蛛の巣』の罠を、
遠くから監視しているはずの同僚へ向けて胸の内で呟く。
亜麻色の長髪を無造作に掻き上げて、
一歩先で立ち止まるアラクネに向けて言い放つ。
「 アラクネさんよぉ、聞いてもいいかい?『卵』になった奴ら、どうした? 」
白狼の低いが、よく透る声が白い世界に響く。
そして。
「 お姉ちゃん、人間じゃねぇな。 」
軽薄な口調のまま問いかける男の鋭い視線に、
アラクネは艶やかに微笑む。
彼女の大きな紫水晶を埋め込んだかような瞳には、
女神の優しさの欠片もなく、冷たく妖しい光だけが際立っていく。
美女の姿を借りた悪魔の誘惑。
ヘビメタ崩れの男は、張りつめた空気の中で、やはり薄い唇に笑みを作り彼女と対峙していた。