第一章 2
地上の高層ビル群よりも更に、空に近い場所に建てられた空中都市。
都市といっても、そこに移住区域は少ない。
中華連邦帝国の従属国である日本政府が機能するための、政権中枢都市である。
紅い瞳の青年ハライと、白狼が乗っていたエレベーターは
機密関係者専用のセキュリティーが最高レベルのものであり、
彼らが所属している《CDSA》に直通しているため、
外部の人間と接触する機会は滅多にない。
誰もいない通路を二人で並んで歩くと、終着点のテンキ―式の扉が見えてくる。
ハライは、慣れた手つきでテンキ―パネルを操作すると、
アルミニウムの光沢を放つ、重層な扉が音もなく開く。
装飾性の全くない通路とは打って変わって、
部屋の内部は広く、落ち着いた東欧系のインテリアでまとめられていた。
部屋の奥の窓硝子を背に執務机に座る眼鏡をかけた紳士風の男が、
ハライ達の姿を確認すると、机に広がる手元の資料を丁寧な手つきでまとめていく。
「 《JUDAS》チーム、ハライ、白狼、共に帰還いたしました。 」
執務机に座る男は、柔らかい笑みを浮かべ、二人に労いの言葉をかける。
「 二人とも、お疲れさまでした。
報告は、アキ君から既に受け取っています。 」
剃刀色の髪を後ろに流し、チタン金属の細いフレームに嵌められたレンズの奥の瞳が細められる。
アイリッシュ系の掘りの深い顔立ち。
しなやかな体躯を詰襟の中華礼服に身を包む。
紺地に、同系色の刺繍糸で流水模様がデザインされた派手ではないが、洒落たデザインだった。
「 じゃあ、俺たちはこれで…。 」
白狼は、上司である紳士然とした男が次に口を開く前に退散しようと、
ハライの肩を掴んで引きずるように、後退りを始める。
が、上司は、穏やかな中に含まれる冷徹な笑みを白狼に向けた。
「 今回も、大暴れしてくれたみたいですね。白狼くん。 」
「 えぇっ、あぁ、まぁ…。 」
アキから報告を受け取ったということは、
今回の作戦で必要最低限、必要だったと思われる、
あくまで白狼が予想する、
被害状況をすでに細眼鏡の上司は握っているということだ。
罰の悪そうな顔で頭を掻きながら答えると、
さほど白狼とは年の変わらない上司は柔らかな微笑とは裏腹に額に青筋が浮き出ている。
「 受け取った報告と、事前のタイムスケジュールに大幅な狂いが生じていますね、
白狼君が、ターゲットと接触するのが遅れたうえ、
予定していた戦闘区域からかなり離れた場所で、ターゲット殲滅作戦の開始。
予期していなかったサクリファーの能力にしても、
小火で済んだところが大火事に発展する始末。
情報操作、現場処理は咲くんが対応してくれましたけど、
もう少し頭を使えば、避けられた被害ですよね。これ。
しかも、制服コート、貴方、今月、何枚、ダメにしているんですか? 」
落ち着いたテノールの声に、言葉の端はしから、
苛立ちを露わにしている上司の攻撃が開始される。
「 大体、白狼君、貴方って方は、
任務のたびに何かしらブチ壊さないと気がすまないんですかね?
犬の餌代だって、国民の血の涙の税金で支払われてるんですよ。
とんでもない馬鹿犬拾ってきちゃったもんですねぇ。」
「 なっ、馬鹿犬ってなぁ…、
アキもJJも揃いも揃って同じこと言いやがって!
それに、建築物破壊って、ほとんど相手からの攻撃じゃねぇーか、
しかも一番、ヒドイのは、ハライだぜ!?
壁ぶち抜いて登場とかいつの時代の漫画の主人公だよ。
JJ、俺に冷たくない? 」
売り言葉に買い言葉。
へらへらと薄い笑いを顔に貼りつかしていた白狼も、
さすがに上司の嫌味に顔をしかめる。
思わず上司を呼び捨てにしてしまう。
JJ、二つのアルファベットを綴っただけの彼らの上司の名前。
それが本名なのか、それは二人には出会った頃から知らされていない。
白狼の小さな反抗に紳士はそこには特に不快感を示さずに、
彼の反撃を軽くいなす。
「 だまらっしゃい。
ハライ君が、どうしてあそこから侵入しなければならなかった理由くらいわかるでしょう? 」
「 サイクスを追い込んだ袋小路は、
俺が待機していた場所から正規ルートだと、かなり遅れをとる。
タイムロスができない状態だった。
CUBEでの位置情報が確定させたのは白狼だ。」
それまで、黙って二人のやりとりを聞いていたハライは、
自分が何故あの場面でコンクリートの壁を切り取って登場したのかを彼らに簡潔に説明すると、
白狼は涙目になって無感情すぎる相棒の肩を小突く。
「 はーちゃんまで、そんなこと言うのかよぅ…。 」
「 自分のミスは認めているよ。JJ、すまない。 」
ハライは、眼鏡のブリッジを中指で押し上げている上司に素直に頭をさげる。
JJは、こめかみを指で押さえながら、長い、長い溜息をついた。
「 …、今回は無事に第三者の接触者もなく穏便にすみましたけど、
私たちの存在自体が機密事項であることをお忘れなく。」
へーい、と、腑に落ちない生返事を、完全にふくれっ面の白狼が返す。
部下の態度に、JJも呆れを隠せないでいたが、
話が先に進まないため、今回の任務の事後報告を簡単に済ませた後、
次の任務の詳細を伝えた。
「 さて、お二人には明日の夕方以降から、
新たな任務を引き受けてもらいたいと思います。
今回は、戦闘が組み込まれる可能性が多少ありますが、
今のところは潜入捜査と思ってください。 」
「 事の次第によっては、殲滅任務になるのか? 」
ハライの問いに、JJは、静かに微笑むと肯定の意思表示をする。
「 アキ君には、すでに説明してあります。
詳細はCUBEからファイルを送らせて頂きます。
任務内容を簡単に説明しますと、
行方不明者の捜索と、主犯と思われる人物へのコンタクト。 」
「 俺らが出るってことは、サクリファー絡みか。 」
「 イエス。ここ連日、地下収容区域内にて、
感染者、及び感染者予備群の方達の失踪が立て続けに発生しています。
でも、それだけじゃ、私たちは動きませんよね。 」
何故でしょうか?と、まるで、子供に謎々を出すようにJJは穏やかな口調で二人に問いかける。
白狼は両腕を組み、考え込むが、
考えるのは苦手なようで、早々にあきらめる。
相棒の推理を待つ。
ハライは白い親指を唇にあてると、独り言のように呟く。
「 こっち側の関係者も被害に含まれている? 」
「 はぁ? 」
ハライの結論に白狼の驚きの声を遮るようにJJは、ご名答。と笑い、
机に肘をつき、両手を顔の前で組む。
「 そう、《CDSA》関係者、
私たち処刑人さえも何名か、連絡が取れない状態になっています。
本日の議会にて苦い顔で報告がありましたよ。
確実に同じ被害にあっているとは思えませんが、
彼らが管理担当していた地域が偶然、重なっていました。
あちらも、まさかミイラ取りがミイラになることを認めたくなかったようですし。 」
「 なら、容疑者に接触調査後、サクリファーとして認識した場合。 」
JJは、烏色の長い前髪を揺らした彼の言葉に満足したように頷く。
「 目標殲滅を第一条件とし、
関係者の生死確認と生存者の確保は後回しにしてください。
今度は、うまくやってくださいよ。 」
白狼は、JJの言葉に舌打ちをする。
が、上司は聞こえない素振りで、よろしく頼みますとだけ二人に告げた。
彼らと話すことはもうないと、態度で示すと資料に目を通し始める。
二人は視線を合わせると、一礼し、部屋から退出するために、ロングコートを翻す。
すると、テノールの声が、思い出したようにハライを引きとめた。
「 ああ、ハライ君。歌劇、好きですか? 」