事の始まり
遅筆です。
カキーンと、快音が響いた。
とある高校のグラウンド、バックネットを背に、今日も熱血少年たちの努力は続く。
その耳によく届く音を、しかめっ面で俺――――七海リュウは聞いていた。
手に持った文庫本を閉じると、俺は立ち上がる。無造作に伸びた髪と、友人から性格と矛盾していると評されるやや鋭い目を伏せながら。
「――帰るか」
一人ごちにつぶやき、俺は教室を出た。時計を見れば、もう五時。帰宅部である身としては補習もないのによく残っていた、と感じる時間だった。
階段を下っていると、後ろから誰か近づく気配がした。足音を消そうと努力しているようだが、俺にはバレバレだった。
こんなことをする奴は限られている。
ふっと笑い、俺は後ろを向くことなく気配の主に声をかける。
「またお前か、レン」
「ありゃ、またばれた」
久藤レン―――それが俺の悪友の名前である。屈託のない笑みを浮かべ、だれでも気さくに声をかける、クラスの人気者。天然パーマの茶髪にその笑みは同時にチャラ男という印象を与えてしまうことがあり、本人も不満なようだ。
ちなみに俺とレンが歩いているのを事情の知らない奴が見ると、ボッチのリュウに優しく声をかける偉いレンくん、という構図が出来上がり、「レン君って、チャラそうなのに優しいところもあるのね」と当人の預かり知らぬところでそういう噂が立っていることを、レンは知らない。
「いやあ、これまで全戦全敗だな。リュウの背後は処女のように手厳しいぜ」
「ありがとう。ついでに女子の分だ。死ね」
そういって俺は振り向きざまに階段であるにもかかわらず危なげなくレンにハイキックをお見舞いした。初動を省いた割にはいい威力だったと自負している。
躱されたことには不満が残るが。
「ぅおお、あぶねっ、殺す気か!」
「ちっ、よけるなよ、女子に義理がたたんじゃないか」
「お前のキックは女子のそれをはるかに超えてんだよ!自重しろ!」
その言葉に舌打ちで返し、俺は構えを解いた。確かに階段でやることじゃない。
レンの言葉はもっともで、俺は武術を教わっていた。教わったといっても道場に通ってその練習風景をのぞいてみたら門下生があまりいなかったので「寂れている」とつぶやいたら道場の主に連れ込まれて門下生と一緒に日夜ボコボコにされていただけなのだが。
あの頃はひどかった。投げといえばシャーマンスープレックスで硬い床に叩きつけられたり、剣道といえば防具なしで木刀を剣道のルール外の部位まで余すことなく叩かれたりしていた。
……思えばどうしてあんなに足繁く通っていたのだろう。
まあおかげで体力と護身術には自信がある。武術関係は触り程度だが。
そして現在それを存分に有効活用した。後悔はしていない。
「ふー、危なかったぜ」
「謝罪はないのか…………?」
「ゴメンゴメンモウシナイユルシテ」
殺気をこめて呟くと、レンはカタコトで謝ってきた。ちらりと振り向くと、笑顔はこわばりせっかくの甘いフェイスが台無しである。いったいどうしたというのだろうか。
「ところでよ」
「ん?」
「知ってるか、連続失踪事件の話」
もちろん知っていた。最近街を騒がす大事件だ。老若男女を問わず、次々と人が消えていく事件。大抵が一人暮らし、そうでなくても孤児院の子供など、『身寄りのない』人々が姿を消す。これまでに確か二十人弱がその行方をくらませてしまっている。
一部のオカルト好きがネットでの会議の結果、「神が降りたもうた」とか「世界終焉の幕開けだ」などと妙に不安を煽るようなまねをしてブタ箱に放り込まれたことも、もちろん知っている。
「ああ、もちろん。それがどうかしたか」
「気にならないか」
「そりゃあ、お前……気にならないといえば嘘になるが……」
そう言いつつも俺は自然と眉根が寄るのを感じていた。
正直、レンの「気になる」とは別の理由で、俺は今回の一件が「気になる」のだ。
若干シリアスな口調で言いながら隣の悪友の顔を見ると、その口元が上に上がり、目は不愉快なくらい輝いていた。要するに、にやにや、きらきら☆しているのである。
呆れと殺意を覚えながらも、レンの言わんとしていることを告げる。
「まさか、調べるとでも」
「言うんですねこれが」
ニヤニヤしながらおどけて言うレンに俺は、またか、と思っていた。
レンがこんな馬鹿なことを言い出すのは初めてではない。むしろ最近はよく抑えていたほうだと思う。
彼が軽薄な男だと言われてしまうことの要因の一つでもあるのだが、俺から見てこの友人は、友達という目抜きで見ても、好奇心といった感情が非常に強いという評価を下すほかない。
それも、良い、悪いで判断するのなら、3:7ほどの割合で、悪い。
レンが琴線を惹かれるのは、大体が科学で証明できないこと、つまりは心霊、オカルトの類である。そのへんの知識はブタ箱に放り込まれた連中をはるかに凌駕し、一度だけレンが参加したオフ会(聞けば黒魔術のミサのような雰囲気だったらしい)では会の終了後「サタン」として崇められたとか。
これだけならまだいい。趣味の範囲内、俺の中ではオールグリーンだ。特異な趣味も微笑ましい限りだ。百歩譲って「サタン(^O^)………………乙(´ω`)」と敬意を表してやってもいい。
おれが殺意を覚えるのはそこじゃない。
中一、トンネル、手だけの子供達百人と友達になれた。
中二、山奥のふるいおやしき、たくさんのビスクドール(包丁はデフォルト)とかくれんぼをした。
中三、三丁目の摩天楼。夜を知らないおホモ達との………いや、よそう。察してくれ。
つまり、久藤レンというやつの趣味に付き合って利を得た試しが全くないのだ。
しかも発生トラブル率は100をぶっちぎって1000パーくらいは逝っている。
そんな、なんのこっちゃ、と言いたくなるような経歴をもつ彼の興味をしめした事件に、関わりたいと思う輩は、今の話を聞いていればさほどいないだろう。
まして俺ならなおさらだ。おぞましいものに純潔を捧げるつもりは毛頭ない。
わかってはいるのだが、
「……いいぞ」
「だよな、お前が簡単に首を縦に降るわけが、…………?」
「……なんで疑問形なんだ」
「……マジで?」
最上級の驚愕で言葉を紡ぐ悪友に、苦笑混じりで頷きながら、俺は別のことを考えていた。
……神隠しという伝説の発端は、昔の人々が急に姿を見せなくなった人々の所在を、「天狗や神に呼ばれた」として自分たちを納得させたことにある。今で言う蒸発をある種神格化したとも言える。
だが、俺が注目したのはそこじゃない。
神隠し伝説のお決まりとも言える、「その後」。
つまりは、消えた人々の生還。
俺はいつしか、唇を固く結んでいた。なおも俺の了承が信じられないでいるレンの失礼な軽口も、今の俺にはひどくあいまいに聞こえていた。
期待半分、怖さ半分。
見つかるだろうか。
(父さん、母さん)
俺の前から消えてしまった「人々」の名を声には出さずに呼び、俺は涙目になってきたレンの軽口を受け流すのだった。
ヤヴァイ。
なかなか進まない。
ここは序章のつもりだったのに……。
まあのんびりやります。話が本格化していくのはあと三、四話ほどかかる予定です。