三日目 ~悔いなき人生~
――コンコン
扉がノックされた。
おそらく、彼女だろう。
「今出る」
外に少し聞こえるぐらいの声で答え、扉を開ける。
「失礼します……」
「ああ」
彼女がぺこりと頭を下げた後、部屋へと入れる。
「………………」
「………………」
テーブルを挟んで床に座ってから、無言の間が部屋を包み、聞こえてくるのはお互いの息遣いぐらいだろうか。
さすがに、このまま黙っているというのはアレだ、何か、話そう。
「「あの」」
「「あっ」」
しまった。完全に被った。これでは話が切り出せない。
「あ、ああ。何か話があるんだろ? 先に、どうぞ」
「え、で、でも寿樹君も話がありそうなら、先に……」
「あー、いや、大丈夫だから、先で、いいよ」
実際、話しかけたところで話を喋ればいいのかわからない。
どうせあと三~四時間もすれば、死ぬというのを考えると、さらにそんな気分になった。
「でしたら……」
「うん」
何か、一大決心のような、そんな雰囲気を纏わせて、深呼吸を繰り返す。
それを、ただ見ているしかない。
やがて落ち着いたのか、その眼ははっきりと、こちらの眼に合わせていた。
そして――
「あなたの事が、好きです!」
そう、言った。
顔は真っ赤、目も僅かに潤んでおり、それがどれだけの覚悟を持って言っているのかよくわかる。
それに、どのような視点から視ても、今目の前に彼女は、一般的な女性より可愛い。
それはわかる。ああ、確かにわかる。
人というのは知れずして何かに恋をするものだ。だから彼女が告白するというのもわかる。
しかし、なぜだ。
「どうして、なんだ?」
そのことが、先に出てきてしまう。
「今日が終わったら、死んでしまうんだ。それなのに――」
「だから、です」
「えっ?」
意味が、よくわからない。
これから、もうすぐ死ぬという人間に、どうして愛を伝えるのか。
「寿樹君は、あまり気にしてなかったみたいだけど、何年も隣で暮らしてきて、それで、困っていたら助けてくれて、学校も同じだったから、お母さんがいなくなってからは一人ぼっちの登校寂しかった。でも、すぐに寿樹君が一緒に登校を始めてくれて、それが嬉しかった。
街中とかで男の人に囲まれてたりしたときも、助けに来てくれた」
それは、隣にすんでいたということで、助けていただけだ。
「だから、かな。自覚したのは、高校の半ば。でもね、やっぱり、気持ちは伝えられなかったんだ。
こういった性格だからっていうのもあるけど、それでも、いつもお世話になっている寿樹君にこんなこと言ったって、迷惑なのかなって気持ちの方が優先しちゃって、言えなかった」
「………………」
「でも、それでも、こんな関係もいいかなって思い始めて、それで、寿樹君とは同じ大学になって、いつもと変わらないっていうのが、楽しかった。
だから……だから、かな。それを変えたいとも、思っている気持ちもあったんだ。
それでね、だったら、いつ変えられるかな、って思った時に、誕生日が近づいてることがわかって、それで、この日なら、言えるかもしれないって、思ったんだ」
「………………」
「それね、今日のために買い物に行ってたんだけど、また、ガラの悪い人たちに囲まれちゃって、しかも今までの人よりも乱暴的なのが感じられて、それで、腕を掴まれて何処かに連れてかれちゃうって時に、また、寿樹君が、来てくれたんだ。
それで、その後は寿樹君が身を張って助けてくれて、またその時に、やっぱり寿樹君の事が好きなんだなって、自覚できたの。
その後に、寿樹君から、あんなことを聞かされたら、驚いちゃって、それで――」
「……すまん。でも、だからこそ――」
「ううん、その後ね、考えたんだ。寿樹君が死んじゃうってこと。凄く、悲しくて。凄く、辛くて。凄く、胸が痛かった。
でもね、だからこそ、伝えたいって、決心できたの。今伝えなかったら、一生、伝えることは出来ないんだって。
だからね、この気持ちは嘘偽りじゃなくて、本当に寿樹君が、好きなんだよ」
彼女の目からは涙があふれており、涙は頬を伝い軌跡を残す。
喋りながらも、彼女の視線はぶれておらず、優しくて、何年も見続けた可愛い笑顔が、目の前にある。
彼女の気持ちは、本心だ。なら、それをないがしろにしていいのだろうか……。
「ねぇ、寿樹君」
「なん、だ?」
「今日、誕生日で、だから、わがまま言っても、いいですか?」
拒めるはずが、ない。
「この一日の間、恋人に、してください」
「ああ。わかった」
「よろしく、お願いしますね?」
「よろしくな、美穂」
「ふふっ」
「どうしたんだ?」
「始めて、名前を呼んでもらいました」
「そう、だったか?」
「はい、そうです」
彼女が……いや、美穂が言うのならば、そうなのかもしれない。
もしかしたら、無意識的に、そう呼ぶことを、していなかったかもしれない。
だが、今はそういうことを考える必要は無いだろう。
美穂は彼女で、この死人である寿樹という男は、美穂の彼氏なのだ。それ以外は、なにも必要、ないだろう。
「それで、ですね。
その、凄く、あの……あぅ」
「どうした?」
先ほどまではっきりとこちらを見ていた美穂が、突然うつむく。
そしてその状態で、掠れた声で、少しでも雑音があれば、聞こえないのでないかという声で――
「……この少しの、短い夢の間だけ、永遠に、愛してください。その時間の中に、全てを、ください」
それは――
「抱いて……くだ、さい」
「いいん、だな?」
「はい……」
少女の真っ赤な耳はさらに赤みを増し、それでも、その気持ちは十分に理解できた。
だからこそ、立ち上がって、美穂の前へ行く。
「美穂、こっちを、向いてくれないか?」
「はい」
「目を、閉じて」
顔を上げて、真っ赤な顔の美穂が、目を閉じ、その時を待っている。
そして、その顔に、こちらも近づいていき……唇を、重ねた。
「………………」
「………………」
暗い部屋の中、美穂を抱き寄せて、天井を見上げる。
お互い同じ布団の中に居り、隣で腕枕をされている美穂は一糸纏っていない。
「なぁ」
「はい」
声を掛けると、柔らかい声が返ってきた。
つい先ほど、この日を限定に恋人になり、それでも、心の内より愛した、美穂がいる。
「今日、いやもうすぐ、死ぬのかもしれない」
「はい」
「それでも、な。今ここで、美穂と恋人同士であったということに、偽りはない。
だからこそ、たとえ本当に死んでこの世からいなくなっても、美穂を、愛し続けよう」
「……はい!」
美穂のその顔は、幸せを体現した、輝きに満ちた、笑み。
その笑みを見られれば、もう美穂に言い残す、ことはないだろう。いや、これ以上一緒にいれば、言いたいことや、後悔が増える。だから、これで、いいのだ。
「もう、寝よう? 疲れただろ?」
「そう、ですね」
そして美穂も、その気持ちを察したのか、それとも一緒なのか、この提案に賛成をすると、目を瞑る。
それからすぐに、安定した息遣いが、耳元から聞こえ始め、眠ったことがわかった。
「……おやすみ、美穂」
お別れの言葉は、いらない。
いつも通りの、終わらせ方でいいのだ。
だから、目を瞑り、沈み始めた意識に身を任せ、一生浮き上がることは無いであろう闇の中へと、意識は完全に沈んでいった。
本編は、これにて終了です。
あと一話、後日談が残っておりますので、ここまで見ていただけている皆様、どうか最後までお付き合いお願いいたします。