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一日目 ~ロスタイムスタート~



 「ま、待ってくれ! ……って、あれ?」


 手を伸ばして飛び起きる。

 しかし手は空を掴むだけだった。


 「夢、か。しかし、何の夢を視ていたんだろうな」


 もともと夢見はいい方だが、飛び起きたのは始めてだった。


 「朝か……って、なんで服着たままなんだ? しかも、布団も敷いてねぇし」


 六畳一間の殺風景な部屋。

 苦学生な人間にとってはいくら親が遺した金があるとしても無駄遣いなどはできない。あるのは最低限の家具たちだけ。

 壁にはポスターなんて貼ってないし、無駄な本を買う余裕もしまう余裕もない。もちろんテレビなんてあるはずもない。それでもありがたいのは空調機。これがあるだけで夏も冬も考えて使えば金も少なく快適に過ごすことが出来る。

 しかもトイレ風呂完備で布団なんかをしまう収納スペースも存在している。

 驚くべきは家賃が学生ということで家主さんの計らいで四万と八千円|(光熱費諸々含まず)と安い。

 それが、今住んでいる部屋だった。


 いくら畳敷きで少しは涼しいと言っても夏だ。明日からはやらないように気をつけよう。


 ――コンコン


 「ん?」


 そこで、家の扉がノックされた。

 この住んでいるアパート。住人は基本的にチャイムを鳴らすのではなくノックをする方式になっている。これで、外の人か住人かを識別している。

 で、こんな朝にノックをする人間など一人かいない。

 はいはいと言いながら扉を開ける。


 「お、おはようございます」

 「おはよう。で、なにか用だったりする?」

 「い、いえ、特にそういうわけではないんですけど……その……」

 「?」

 「先ほど、大きな声が聞こえてきましたので、その、何かあったのかと……」

 「ああ……」


 どうやら、先ほどの声が聞こえていたらしい。まぁこのボロというのは管理人さんに失礼だが、それなりに年季があるアパートではあまり大きい声を上げてしまえば隣の人に聞こえるのだ。それで、隣人に聞こえて心配になってきたってことか。


 「いや、ちょっと夢見が悪かったみたいでさ。それで、叫んじまったんだ。驚かせたろ? すまんな」

 「だ、大丈夫ですっ。(そ、それに――さんにはお世話になっていますし……ごにょごにょ)」

 「ん、どうかしたか?」

 「い、いいいいえ!? なんでないですよ?」

 「なぜそこで疑問形? まぁとにかく、心配かけさせちまって悪いな。今度……じゃなくて今日でいいか大学あるし、お昼をおごるよ」

 「そ、そんな悪いですよ!」

 「いいんだよ、俺の勝手だ」

 「ですが……」

 「それよりも、今日は一限目からだろ? そろそろ支度はしないと走ることになる」

 「あ! そ、そうですね。準備してきますっ」


 うん、まぁ今のが隣人の子だな。

 同じ大学の同じ学科の同級生。

 引っ込み思案で押しに弱い子で、見た目の容姿もあってかチャラついている男に大学でも外でも絡まれる子。小動物的な雰囲気で保護欲を掻き立てられるから、ということではないが、絡まれているのを何度か見かけては隣人の好で助けている。

 ちょっとプライベートに踏み込む話だが、彼女は幼いころに両親が離婚し、母方が引き取ってこのアパートに越してきた。しかしその六年後、母親が多額の預金を残して蒸発。以来彼女は一人で住んでいる。

 一通りの家事は当然こなせ、時折余ったと言って料理を分けてくれるのでありがたくもらうことがある。って、それはどうでもいいか。


 「お、お待たせしました!」

 「ああ、そんじゃ行くか」


 だが本人はそんなことをおくびにも出さず、毎日楽しそうに生きている。それは凄いことだと思っている。


 「どうしたんだ? いいことでもあったか?」


 横をチラリとみてみれば、そことなく上機嫌に視え、つい聞いてしまう。


 「え!? そんな風に見えますか!」

 「ん、いや、なんとなくだが」

 「(そ、そっか、そう見えるんだ……ごにょごにょ)」


 うつむいて何かをつぶやいているが、当然聞こえないので無理して聞く気もなく道を歩く。

 ふとそこで、今朝のことを思い出した。


 「どうして、私服で床に寝てたんだ? いやそもそも、昨日の記憶が……ぐっ!」


 昨日のことを思い出そうとしたとき、突然頭痛が起こり、頭を押さえる。それと同時に背中から冷や汗も流れ落ちる。


 「だ、大丈夫ですか!?」

 「っ、いや、大丈夫だ。なぁ、昨日は何してたか覚えているか?」

 「え、えっと、そうですね。講義が終わった後に、寿樹さんとは大学で別れて、夕食の食材を買って帰ってきたら大家さんがいたので少しお話をして、帰ってきました」

 「そうか」

 「どうしたんですか?」

 「ん、いやちょっとな……」

 「あ、それと、大学から少し離れたところで人が轢かれたって話もあります……」

 「え、人が車に轢かれた?」


 なぜだか、その言葉に引っかかるものを覚えた。なぜだか、すごく気になるのだ。


 「はい。どうやら居眠りを運転をしていたらしく、凄い速さで車が走っていて、その正面に二人の子供がいたそうなんです」

 「それで、その子たちは?」

 「親が直前でそのことに気づいた時には遅く、車と子供の距離はすぐそこでした。けれど、そこに一人の男性さんが飛び込んできて、それで子供を突き飛ばしたんです。

  そのおかげなのか、二人の子供は突き飛ばされた際に転んだ擦り傷だけでしたが……」

 「その男は、轢かれたんだな?」

 「はい……」


 直接聞いたわけではなく、聞いたことを話しているだけなのに表情はとても悲しげだった。

 さすがに、無理に聞くような話ではなかったかもな。

 話題を変えた方がいいか。


 「悪いな、変なこと聞いて」

 「い、いえ」

 「それよりって言い方は良くないが、今日は講義も一限目だけだったよな? なら、その後に商店街によろう。夕食の買い出しもかねて、お昼を食べよう」

 「わ、わかりました」

 「でもま、とりあえずはその講義をちゃんと受けないとな」


 とりあえずは、昨日のことは気にしないようにしよう。思い出すときに、思い出すものだ。



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