5話 カナンの決断
アルバーナが去った後に残されたのは今回の対話を文字に起こしているカナンと机に頭を乗せたまま固まっているフレリアのみだった。
「……はあ」
黄昏が漆黒に移り変わるまで硬直していたフレリアがため息を漏らす。
「また負けちゃったか」
フレリアが思い起こすのは幼少時。
アルバーナ達が泊まりに来た際にアルバーナはフレリアに旅の話もするのだが、時々お爺さん受け売りの教育論を話すことがあった。
教育界の重鎮のローマフィールド家であるフレリアからすればただハイハイと納得することにはプライドが許さない。
なのでよくアルバーナの意見に反論していたのだが、口達者で経験豊富なアルバーナに対して箱入り娘として大切に育てられたフレリアに勝てるはずがなかった。
「一体私の三年間は何だったの?」
アルバーナを見返してやりたい一心で中等部に入学してからフレリアは生徒会の傍らで猛勉強を重ねていたにも関わらず、結果はご覧のあり様。
何も勉強していなかった幼少時の時と同じく簡単にあしらわれてしまった。
「……心が折れそうよ」
フレリアは顔がクシャクシャに歪んでしまうのを隠すために手で顔を覆う。
そしてそのまま肩を震わせようとすると。
「フレリアさん、気にする必要はありませんよ」
文字を走らせている手を止めてカナンがフレリアを慰める。
「私なんてユラスさんの話に十五分も持たせることが出来ませんでした。だからフレリアさんは凄いんですよ」
「本当に?」
少し気力が復活したのかフレリアは顔だけをカナンに向ける。
「しかも私が意見したのは最初の内の二、三言だけ。それ以降はずっとユラスさんの独壇場でした」
その当時の状況を思い出したのかカナンの笑みが僅かに引き攣る。
「自信を持って下さい。フレリアさんは名門ローマフィールド家であり、フレリアさん自身も学会発表でも質問できるほど知識が深いのですから」
「そうよね……うん、そうよね!」
カナンの励ましによってフレリアは気力を持ち直したようだ。
椅子から立ち上がり、大声を出して気合いを入れる。
「私はフレリア=ローマフィールド! 世間一般レベルだと上の上に位置しているのよ!」
「その通りです、フレリアさんは大学どころか研究者レベルです」
カナンは乗ってきたフレリアを励ますために頷きながら肯定する。
「ユラスと比べようとしたこと自体が間違っていたのだわ。あれはもう化け物よ、比較する方がおかしいわ!」
確かにアルバーナはあらゆる意味で規格外である。
最高峰のカナザール学園で首席を取ったり代表挨拶をボイコットしたり教授顔負けの知識を持っていたりするあれを世間の常識などで当てはめることは不可能だろう。
「ありがとう、カナン。おかげで気分を持ち直すことが出来たわ」
先程の悲壮な雰囲気はどこにやら。すっかり元気を取り戻したフレリアがカナンにお礼を言う。
「それは良かったです。落ち込んでいるフレリアさんなんて似合いませんからね」
カナンがホッとしたように笑った。
どうやらフレリアは、アルバーナは別と割り切ることで自分を納得させたらしい。
それで良いのかとフレリアに問いかけたいところだが、彼女自身がそれで満足しているのなら何も言うべきではないだろう。
困難にぶつかった時、人がそれをどう乗り切るのかは個人の自由なのだから。
「ユラスさんは将来塾を開きたいと仰っていました」
今日の対談を全て書き終えたカナンがそう口火を切る。すでに外は真っ暗であり、校舎に残っているのは遅くまで部活をしている者だけだろう。
「ユラスさんのお爺さんが教えてくれた学問を皆に知って貰いたいと瞳を子供の様にキラキラさせていたのが印象的です」
カナンはアルバーナによってぐうの音も出ないほど打ち負かされた後、将来はどうするのか尋ねたそうだ。
「何で塾を? せっかくカナザール学園に入学したのだから教師になれば良いじゃない」
塾の講師は明日をも知れぬ将来なのに比べて教師は何をしようと国が保証してくれる。
なので有名な実業家が教員免許を持っているという事例もざらにあった。
するとカナンはおかしいことを思い出すかの様に笑いながら。
「フフフ、ユラスさんは『俺が教師としての適性試験に合格できるはずが無い』と仰っていました」
「うわあ……その通りよね」
破天荒なアルバーナが皆の模範となる教師になれるわけがない。例えフレリアであっても彼には絶対に不適正を出す。
「それなら何でこの学園に来たのか? もっとユラスに適した学校があったのに」
総合的にみるとカナザール学園が最も優れているのだが、分野別にみるとそうではない。農業ならミマール学園、兵士ならアレクサンドリア学校といったように特色のある学校がサンシャイン各地にあるのだが。
「それがお爺さんの遺言に『すぐに辞めても良いからカナザール学園に入学してくれ』と遺されていたからと仰っていました」
「そう……ユラスはお爺さんが大好きだったからね」
フレリアはアルバーナの両親や親戚が誰なのか知らない。
いつもアルバーナは老人と共に旅をしているので、何か人に言うのを憚れる事情があるのだと幼い頃から悟っていた。
そしてそんな天涯孤独のアルバーナからすれば老人は親といえる存在であり、尊敬の対象であった。事実、幼少時のアルバーナがフレリアに話すことの大部分はその老人が如何に凄いのかである。
「お爺さんはいつ亡くなったのかしら」
フレリアがその老人の死を知ったのはあの入学式以降で直接アルバーナから聞いただけである。
たった一言で簡潔に終わらせたのでフレリアはそれ以上追及しなかったが、実際アルバーナの心境はどうだったのだろう。
まあ、今となっては想像するしかないが。
「ユラス……」
フレリアがアルバーナのことを思い憚っているとカナンから全てを吹き飛ばす言葉が飛び出す。
「それでね、もしユラスさんが塾を開いたら私はそこで働こうと考えてるの」
「はあ!?」
サラッとした調子で出たカナンの爆弾発言に目を丸くするフレリア。
「ちょ、ちょっとカナン! それ本気!?」
「うん」
信じられないとばかりに顔を強張らせて尋ねるフレリアにカナンはシレっと返す。
「教授になってしまったら異端であるユラスさんの教育論なんて研究できなくなってしまうわ。それなら、教授になるよりユラスさんの近くで学びたい」
「カナン、よく考えなさい。あなた今一時の感情によって将来を台無しにしようとしているのよ」
最高峰のカナザール学園学長の孫に加え、弱冠十六歳でベテランの教育学者と論議できるほど能力の高いカナンはこの先大学へ進学し、修士そして博士を通して教授までの道が見えている。このサンシャインにおいて大学の教授というのはもはや天上人の存在である。
何故なら、この国では教師が最高待遇であり、下手すれば政治家よりも強い権限を持っているからだ。つまり教師になるということは輝かしい将来を約束されたようなものである。
そしてカナンはその座を蹴ってまでアルバーナについていこうとしているのだ。
「じゃあ聞き返すけど、フレリアさんはユラスさんの教育論を聞いてもまだ既存の教えを他人に説くことが出来る?」
「うっ……」
カナンの問いにフレリアが詰まる。
確かにフレリアはアルバーナの語る教育論に心を動かされてしまい、それ以外の説など色褪せて見えてしまっている。
人を動かす、または教えるためにはまず本人自身が信じ、理解していなければならない。
その点から見るとフレリアもカナンも教師としてやっていくことはできないだろう、が。
「言ったでしょ! ユラスは別! あんな化け物の言うことなんて誰も理解できないわよ!」
どうやらフレリアはアルバーナを完全に別とすることによって己の信念を保つらしい。
一見逃げとも取れる性根だが、その選択もありだろう。しかし、カナンはそういかないようだ。
「フレリアさんは簡単に割り切れるかもしれないけど、私は無理なのよ。知ってしまったからもう既存の教育論を広めることはできない」
首を振ってフレリアの言葉を拒否するカナンは続けて。
「私は今まで教授になる将来に対して何の疑問も感じないまま生きてきたけど、ユラスさんの説を聞いた瞬間世界が広がったわ」
カナンはフフフと微笑んで。
「周囲は必ず猛反対するけど、多分ユラスさんなら全て返り討ちにしてしまうから問題ないと思う」
「た……確かに」
フレリアにはアルバーナが名のある教授陣を残らず論破してしまいそうな光景が容易に浮かんでしまったので頭を抱える。
「……ユラス。あなたは大変なことをしでかしてしまったわよ」
カナンの瞳を見る限りその決意は固いようだ。
もうフレリアどころか誰が何と言おうとカナンの決心を翻すことは不可能だろう。
学園の次を担う者として期待されていたカナンはこうしてアルバーナの配下となり、以後はその権力と地位をアルバーナのために提供していく。
カナンは裏に徹したためアルバーナの学園伝説にあまり登場しないが、それでも裏から支える重要な役割を果たしたことは想像に難くないだろう。
「さあ、帰りましょうか」
カナンはそう花の咲く様な笑顔で絶望に打ちひしがれるフレリアに声を掛けた。
もうユラスは新興宗教の教祖としてでもやっていけそうですね。
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彼の文章表現能力の高さは学ぶべきところが多くあります。