10話 それぞれの立ち位置
大陸に覇を唱え、どの国も逆らうことの出来ない強大な国家であるサンシャインだが唯一対等に同盟を結んだ国がある。
その国はバースフィア大陸の東端の異境に位置する通称――鬼族が治めているジパングという国だった。
鬼といっても姿形は人間と変わりなく、強いて挙げるならケイスケと同じく黒目黒髪であるだけなのだが、彼らは規格外の力を持っている。
鬼族一人で山を砕き、海を割りそして湖ほどの量がある酒を飲み干せるとまで噂されていることからその強さの一端を理解できるだろう。
ジパングは鬼族の力の他に辺境という地理的な場所も相まってどの国とも異なる独特の文化と魔法を形成していた。
なお、余談だがケイスケが真っ先にこの国と同盟を結んだのは鬼族を恐れたからでなく、ジパング特有の食文化であるミソやコメを欲しがったのではないかとされているが、確証はない。
「……」
部室内では重苦しい沈黙が場を支配し、誰も声を発しない。
「うう……」
「よしよしメイプルちゃん。大丈夫大丈夫」
そのあまりの緊張に耐え切れなくなったメイプルがべそをかき始めたのでエイラがメイプルを抱き締めてあやす。
「全然集中できません」
さすがのカナンもこの空気は辛いのだろう。何とか気を紛らわそうと書類を書いていたが、あまりのプレッシャーに手を止めてしまった。
「……部外者が混ざっているわね」
この険悪な状況を作り出しているのは二人。
一人は美の女神が降臨したと称賛されるほど神々しい美貌と人間離れしたプロポーションを持つフレリア=ローマフィールド。
何をしても絵になるほど美しい彼女が今は髪を逆立て歯ぎしりし、前方の人物を睨み付けている。フレリアの周りで感情に共鳴した精霊が暴れていることも一層恐ろしさを際立たせていた。
「ああ、拙者もそう感じておった。例えば巨大な脂肪の塊を抱えた者とかな」
フレリアと相対する者は東条翡翠。
百八十㎝とアルバーナに並ぶほど高身長を持ち、黒光りをする髪を腰まで伸ばしている。制服のブレザーに身を通す翡翠はフレリアと違って凹凸など無きに等しいが、メイプルとは違って細く引き締まり、そしてしなやかな体躯をしていた。
「やれやれ、持たざる者はどうしてそう僻むのか」
「無駄の塊を欲しがる者なんておらんぞ」
「……何ですって?」
フレリアの挑発に対して涼しく受け流す翡翠。
大陸最強の国家の一翼を担っている自負があるサンシャインの名家と、あくまで対等な関係だと主張する鬼族は仲が悪い。
この対立はケイスケが成し遂げらなかった業績の一つであった。
「あんたら鬼族はまだ自分達の立場を弁えていないようね」
フレリアはゆっくりと手を肩のあたりまで右手を持ち上げる。
するとフレリアの意志に反応した火の精霊達が彼女の右手の周囲に炎を渦巻き始めた。
バースフィア大陸において魔法とは精霊を使役した力を呼ぶ。
火水土風四種類の精霊に働きかけて超常現象を起こさせるそれを扱う者の中には一個中隊を全滅させるほど強力な使い手もいた。
「この灼熱を味わえば少しは大人しくなるかしら?」
そして、フレリアは持ち前の天賦の才と幼少時からの教育によって火力だけならベテランの軍人魔法使いと同レベルの実力を誇っていた。
「真に大陸人が傲慢なのは性なのだな」
フレリア達は翡翠を鬼族と呼ぶように翡翠はフレリア達を大陸人と称する。
「まあ、その天狗の鼻をへし折れば少しは大人しくなるものか」
そう言って翡翠が懐から取り出したのは数枚の紙。
「印」
翡翠はそう唱えると数枚の紙は宙に浮きあがって分裂し、あっという間にフレリアとの間に壁が出来るほど増殖した。
鬼族が使う魔法は紙など何かの物質を自在に操る。
上級となれば疑似の命を吹き込むことも出来るが翡翠はまだそこまでの域に立っていなく、精々分裂と操縦程度であり、戦闘に使うにしては心もとない。
が、鬼族の中での魔法としての立ち位置は相手の妨害が出来れば良いと考える程度である。
一言で言うと相手を足止めして物理で殴れば良い。
その圧倒的な膂力から繰り出される打撃はミスリル製の装甲すら突き破るほど強力なので、フレリア達の様に魔法を主力と置く必要が無かった。
「また燃やしてやろうかしら」
フレリアが死天使の様な酷薄な微笑を浮かべる。
確かに翡翠の魔法の媒体は紙ゆえに火を操るフレリアと相性が悪い様に思えるが。
「ご安心めされよ。今回は全て耐火性の紙だ、前回の様な失敗はせん」
先日の教訓から対策を打ってきたようだ。
翡翠はクールな表情で鼻を鳴らした。
「やれやれ、そんな小手先程度の工夫で耐え切れると思っているかしら」
フレリアの周囲の温度が上がりユラリと蜃気楼が立ち上り始める。
「私の炎は浄罪の光。その威力はドラゴンの皮すら焼き尽くすわよ」
「前置きは結構、早く試してみてはいかがかな?」
売り言葉に買い言葉。
二人はどんどんヒートアップし、周囲には風さえ巻き起こり始めた。
「ひーっ!」
あまりの光景にメイプルは怯えてしまい、その小さな体をエイラの体に納めようとする。
「うーん……これは不味いですねえ」
ここでようやくカナンが事態の深刻さを気付いたようだ。
「本当ならこんな手段など取りたくないのですが仕方ありません。ユラスさん、お願いします」
はて? カナンは一体何を言っているのであろうか。
今、この場にはアルバーナはいないはずなのだが――。
「――二人とも止めろ」
「きゃあっ」
「ぬ!」
突如現れたアルバーナが一瞬で無数の水針を出現させてフレリアと翡翠に降り注がせる。
炎は水に触れて急速に勢いを弱め、紙も濡れたことによって翡翠のコントロールから外れた。
「全く……」
アルバーナはフレリアと同じく精霊魔法を使うが、それは別物といって良いほど速度を特化させている。
とにかく速い。
展開速度や発射速度もさることながら、零から百へ持っていく初速が違う。
アルバーナは対面でお茶を飲んでいたはずなのに、気付いたらすでに魔法で打ち抜かれていた後だった。
と、表現できるほど静かで速く、合理的な魔法だった。
その圧倒的速度によって魔法を邪魔され、何が何だか分からないという二人にアルバーナはため息を吐きながら。
「カナンに呼ばれて来て見れば部室崩壊の一歩直前。お前らは停学になりたいのか?」
広場など周りに障害物や人がいない場所なら問題ないが、この部室の様に周囲に人や物が集まっている場所ではNGである。
「うう……」
「面目ない」
さすがの二人もここは謝罪しなければならない場面だと感じたようだ。シュンとして非を詫びる。
「お前らは本当に喧嘩が好きだな。もっと仲良くできないのか?」
アルバーナとしては全員が和気藹藹として欲しいらしい。
が、その願いに対して二人は。
「難しいわね」
「障害が多すぎるかと」
と、言った後に。
「「何故ならフレリア(翡翠)がユラスの幼馴染なんて認められないから!」」
綺麗にハモった。
実は翡翠はアルバーナとお爺さんが東に訪れた際にお世話となっていた家の娘である。
翡翠もフレリアと同じく時折尋ねて来るアルバーナの旅話が大好きだったため、同じ環境であるフレリアを酷く嫌い、そしてフレリアもそのまた然りであった。
「ユラスさんは本当にモテますね」
カナンが微笑みながらそんなことを言うが、アルバーナからすれば気苦労が増えるので全然嬉しくなかった。
「ねえ、エイラ先生。ユラスは一体どこから現れたのですか?」
アルバーナ達の騒ぎを尻目にメイプルがエイラに尋ねる。
「確かあの時はユラスの影も形も無かったはずです。なのに何故カナンさんが呼びかけたらユラスがいたのですか?」
「ああ、それはカナンちゃんの魔法よ」
「魔法?」
首を傾げるメイプルにエイラは優しく教える。
「カナンちゃんはクルセルス一族のみが使える一種の空間魔法を使ったのよ。それでカナンちゃんは空間を割いてユラスを連れてきたわけ」
「へえ、凄い便利な魔法ですね」
「あ、でもね。誰でも連れて来れるわけじゃないの。連れて来れるのは生涯においてただ一人、つまりカナンちゃんはユラスが死別しようともう他の誰かに掛けることはできないわ」
「え? それはつまり」
「そう、ユラスさんはもう色々な意味でカナンちゃんから逃げることが出来なくなっちゃったのよね」
「……よくユラスが納得しましたね」
あの自由奔放を地で行くアルバーナが一生監視されると表現してもおかしくない魔法をよく受け入れたものだとメイプルは呟く。
するとエイラは困ったように首筋を掻きながら。
「いえ……実はカナンちゃんは事後承諾という形で行ったみたい。だからユラスはもう了承するしかなかったと嘆いていたわ」
「うわあ……」
メイプルは絶句した後にカノンに目をやる。
彼女はニコニコと微笑みながらアルバーナを見つめているのだが、事実を知った後では別の光景に思える。
お嬢様然としたカナンだが、その笑みの裏に何を考えているのかを想像するとメイプルはブルブルと震え出す。
「私……本当にユラスに勝てるのでしょうか?」
呪いに近い魔法を掛けられながらも、そんなことを全然感じさせない振舞いを見せるアルバーナを見ながらメイプルはポツリと呟いた。
カナンがヤンデレ化してしまいました。
……最近カナンがどんどん壊れていっている気がする。




