そして天使は舞い降りた~カイルの長い一日~(終)
ネリーからお菓子を受け取り、チビリルディと共に中庭の木陰でおやつを取る。
「おいちーね。カイユ!」
「そうだな」
今日は風が心地よく過ごしやすい。
麗らかな昼下がり、何とも平和な時間だ。
(こいつがこんな状態でなければな)
おいしそうにお菓子を頬張るチビリルディの姿は愛らしい。
まるで欲張りなリスのようだ。
そんな場合ではないのだが、カイルは思わず噴き出してしまう。
「そんなに慌てずとも菓子は逃げないぞ。ゆっくり食え」
「……」
モゴモゴと口に頬張りながら、チビリルディは何かを考え込むようにジーッとカイルを見ている。
「どうした?」
「カイユも。あーん」
チビリルディはカイルにお菓子を何度か渡している。
だが、カイルはお菓子どころではなく、それにまったく口を付けていない。
そのことをチビリルディは気付いていた。
どうしたら食べるかを考え、思いついた名案は、そのままカイルの口にお菓子を運ぶこと。
「はぁ!?」
そんなチビリルディの思考など分からず、唐突なチビリルディの行動にカイルは驚きたじろぐ。
「あーん!」
身をひくカイルによじ登り、チビリルディは執拗にカイルの口元に菓子を押しつける。
「うわぷっ。わ、分かった」
とうとう拒否しきれず、カイルは口を開きお菓子を受け入れる。
「おいちーね」
「あぁ……うまいな」
口の中は甘ったるく、口の周りはクリームだらけ、入りきらなかったお菓子の破片は胸元に落ちている。
チビリルディ自身もお菓子まみれ。
散々な状態。
だが、カイルの言葉に満足そうなチビリルディの様子を見ていると、なぜか幸福な気持ちになっていく。
「まったく。お前はどうして俺に手間ばかりかかせるのだ? 仕方のない」
悪態をつきながら、菓子にまみれたリルディの頬や手を拭いていく。
「くしゅぐったいの」
「あぁ。我慢しろ。……ほら綺麗になった……!!」
迂闊にもチビリルディに注意がいっていたカイルは、そこにいた人物たちにまったく気がつかなかった。
「いやぁ、珍しいものをみた」
「……世も末だな」
そこにいたのは腹違いの弟レイとその従者であるテオ。
「いつからそこに……」
「その子の“おいちーね”って台詞あたりから?」
レイの答えに、カイルはガックリと項垂れる。
完全に油断していた。
さぞや自分は締りのない顔をしていたことだろうと思うと、いっそこのまま放浪の旅に出たいほどの衝動に駆られる。
よりにもよって、もっとも見られたくない二人に見られてしまったのだ。
「カイユ? いたい、いたいの? へーき?」
いきなり元気を失くしたカイルを見て、チビリルディは心配そうにカイルの頭を撫でる。
「大事ない」
もう見られたのなら開き直るしかない。
カイルは何とか自分にそう言い聞かせる。
「で、何この子? もしかして兄上の……」
「隠し子ではないぞ」
さすがにこのフリも三度目となると慣れた。
即座に答えを返す。
「じゃあ、何なのさ。こんな子供がなんで……」
「あい。どーじょ」
テトテトとチビリルディは、レイのところに行くとお菓子を差し出す。
「あ、うん。ありが……!?」
菓子を受け取るため身をかがめ、チビリルディを見たレイはそのまま絶句する。
「兄上! この子、僕にちょうだいよ!!」
チビリルディを抱き上げると、レイはキラキラとした目でそう言葉を向ける。
「はぁ!? なんだと?」
デジャヴを感じる台詞。
そう。前にリルディを前にして同じようなことを言ったのだ。
まさか、リルディだとバレたのかとギクリとする。
「僕、この子に運命を感じたんだ」
そして続いた言葉にガックリとこける。
どうやらリルディという認識はないが、無意識に惹かれているようだ。
「相手は子供だぞ? 何を考えている」
もうツッコむのも嫌だが、カイルは仕方なく言い放つ。
「そうだね。子供だ。今はね。ふふ。昔さ、本で読んだことがあるんだ。幼い少女のうちから教育して、自分の理想の女性に育て上げる……っていう話。この子はまさに、ダイヤの原石。これから、僕好みの理想の女性に……」
「さすがにその考えはキモいぞ、レイ」
テオが呆れかえった顔で言い放つ。
「そうかなー? けっこういい案だと思うんだけど」
「ふざけるなっ。誰がお前なぞにやるか!」
カイルはレイからチビリルディを引き離す。
「カイユー」
カイルに抱きあげられたチビリルディは、甘えるようにその首に抱きつく。
「なんかおもしろくない。何でその子、兄上にそんなになついているんだ? そもそも、どこの子なのさ」
「それは……」
言い淀むカイルに変わり、テオが静かに口を開く。
「連れ帰るわけにはいかないだろうが……。お前、レイと遊んでくれるか?」
テオはチビリルディにそう問いかける。
「うん! あしょぶっ」
テオの申し出を快諾すると、チビリルディはカイルから離れレイへとおぼつかない足取りで向かっていく。
「どういうつもりだ?」
唐突なテオの言葉に、カイルは眉根を寄せる。
「我が主の息抜きに少しは協力してくれ」
「……」
確かに、レイは普段通りに見せてはいるが、どこか疲れた雰囲気がある。
イセン国王の仕事は激務だ。
代理をしているレイにも、相当な負荷がかかっているのだろう。
そういわれてしまえば返す言葉もない。
「あしょぼ、レイお兄ちゃま」
「ふふ。可愛いなぁ。じゃあ、少し借りるよ、兄上」
「……遠くには行くなよ」
レイだけでなく、チビリルディも楽しそうだ。
面白くはないが、ここで無理やり引きはなすのも大人げない。
カイルはしぶしぶながら許可を出した。
………………
「あれはリルディだな」
遠くで戯れるチビリルディとレイを見ながら、テオは徐に口を開く。
「なぜ……」
「クリスが昔作った薬だろ?」
小さく笑って、テオは絶句するカイルを見る。
「知っているのか?」
「知っているもなにも……お前も昔あぁなったからな」
「はぁ!?」
思いもよらない告白に、思わず小声ながら言葉を荒げてテオを睨む。
「ど、どういうことだ!? 俺にそんな記憶はないぞっ」
「それはそうだ。なった本人に記憶は残らない。昔、お前が軽い風邪になって咳が止まらないことがあったんだ。それで、クリスが即席“万能薬”を作った」
ビンのラベルに貼られていた、棒線で消された“万能薬”という言葉が脳裏をよぎる。
「ところが、それを吸い込んだお前は、今のあの子のように縮んで子供になってしまった。生まれたてのヒナ鳥のように、私の名を呼びながら後追いしてな。泣くわ喚くわ甘えるわ。それはもう大騒ぎだった」
そう言って、笑いをかみ殺しながら遥か遠くに目を向けるテオ。
「貴様!! そんなことはどうでもいいっ。どうすれば、元に戻るんだ!」
「放っておけばいい。お前の時は三日経ったら元に戻ったな。バレたらカイルに怒られるからと、クリスが慌てて隠して、そのままになっていたのだろうな」
(それにしても、あのラベルといい、いい加減すぎるだろっ)
文句を言いたいところだが、当の本人はここにいない。
「そのうち元に戻る。そんなに心配することもないさ」
遠くで、レイと楽しそうに遊んでいるチビリルディを見る。
(小さくても変わらぬ。誰にでもあいつは懐くのだな)
ふと、胸に渦巻く苦い想い。
心が嫌にざわつく。
と、チビリルディがカイルの方を見る。
「……リルディ」
無意識に囁くように名を呼ぶ。
途端に満面の笑みを浮かべ、一直線にカイルの元へと駆けてくる。
「!?」
「カイユ!」
そこが自分の居場所だと言うように、チビリルディはカイルの胸に飛び込む。
「お帰り」
「うん! ただいま」
その小さい体を抱きしめる。
温かく柔らかい小さな体。
屈託のないその顔に胸がうずく。
小さくても変わらない。
(こいつは、俺の心をかき乱してばかりだ)
“ただいま”
そんな平凡な言葉で救われてしまう、自分に苦笑するカイルだった。
………………
夜の帳が落ち、幼い少女が眠るベッドには月明かりが降り注ぐ。
安らかなその寝顔を見ながら、カイルはそっとその髪を撫でる。
「まったく、今日は長い一日だったな」
誰に言うでも呟き一笑に耽る。
ここはカイルの部屋で、チビリルディが寝ているのはカイルのベッドだ。
いくら子供といえど、同じ部屋で寝かせることにユーゴが異を唱えた。
だが、チビリルディは頑なにカイルから離れず、こうしてカイルの部屋のベッドを勝ち取ったのだ。
暫くはしゃいでカイルにじゃれついていて、眠りに落ちたのはつい先ほどのことだ。
(本当に、元に戻るのか……)
自分の時は三日程で元に戻ったと言っていたが、それも絶対的な確証があるわけではない。
このまま戻らない可能性もあるのかもしれない。
ふと、そんな思いが脳裏をよぎる。
「それなら、それでいいかもな」
こんな姿では、迎えが来ても帰れない。
いや、そもそもリルディ自体がわからないはずだ。
自分に懐いている今なら、きっと自分から離れることを拒むはず。
「どんな姿でも、リルディはリルディ」
ラウラの言葉をなぞりながら、愛おしげな眼差しをリルディに向ける。
保護者代わりとなり、近くでリルディの成長を見守っていく。
それは孤独ばかりの自分の道筋に、光が差し込むような気さえしてくる。
「このままずっと側にいてくれ」
それは、今までけっして口にすることは出来なかったカイルの願い。
チビリルディの隣に横になり、その小さな体を優しく抱きしめ目を閉じた。
………………
「カイル」
名を呼ばれ意識を覚醒させる。
「ここは……」
そこはいつもの書庫だ。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
「リルディ? あぁ。なんだ。俺は夢を見ていたのか」
目の前にいる幼い少女ではないリルディの姿に、カイルは思わず苦笑してしまう。
リルディが小さくなってまとわりついていた夢。
騒がしくも幸福な夢だった。
「カイル……ううん。父様」
リルディは、カイルを真っ直ぐ見つめて言葉を紡ぐ。
「今、なんて……」
「父様。ここまで私を育ててくれてありがとう。すごく感謝しています」
切なそうに瞳を潤ませながら、それでも精一杯の微笑みを向けられる。
「何を馬鹿なことを言っているんだ?」
「だって最後に、きちんと言わなければと思って。カイルは私を娘として、ずっと可愛がってくれたから」
その瞳には、深い親愛の情がうかがえる。
(俺がリルディを育てた? 娘として?)
あぁ、そうだ。と思う。
側にいてくれるのなら、それで構わないと思ったはずだ。
身勝手で貪欲な願い。
そして、それは叶えられたのだ。
だからリルディはここにいる。
そして、美しく成長し去っていく。
「父様。私、幸せになります」
「なっ」
「きっと幸せになるから。さようなら。元気で」
何も言えないカイルを置いて、リルディは背を向ける。
(違う! 俺はこんなこと望んでいない!! お前は娘なんかじゃないっ。俺はお前のことが……)
追いかけようと踏む出した瞬間、足元が崩れて行く。
そして深い深い闇の中へ落ちる。
………………
「!」
目を開ければ、眩しい光がカイルの視界を奪う。
今度こそ現実。
今が朝なのだと認識する。
ベットの隅でシーツに包まるもう一人の気配を感じて、詰めていた息を吐き出す。
(なんて夢だ……)
チビリルディを育ち、巣立っていく夢。
リアリティーがあり過ぎて恐ろしい。
夢の中だというのに、自分を“父”と呼ぶリルディに総毛立った。
自分が抱くリルディへの感情。
それを再認識させられた。
「あぁ。やっぱり無理だ。俺はきっと聖人君子にはなれない」
リルディが元に戻らなければ、今より更に生殺し状態に陥る。
夢ながら、それを気付かせてもらえてよかったと思う。
「何が何でも元に戻そう」
強く決心する。
「うぅん」
カイルの呟きで、ベッドの隅で丸くなっているもう一人の目が覚めたらしい。
モゾモゾと動きが激しくなる。
「起きろ。朝だぞ」
カイルはシーツごと後ろから抱きつく。
「!?」
が、そこでおかしいことに気がつく。
その体はカイルの胸にすっぽりと納まるが、明らかに昨日の夜より大きくなっている。
しかも、腕に当たる胸の感触はとても柔らかい。
「はれ? カイル??」
寝ぼけたような声とともに、リルディがカイルを振り返る。
その顔は幼いものではなく、しかもシーツからはみ出た腕や足は覆うものもなく、白いきめ細やかな肌が露出している。
「なっ」
昨夜のチビリルディの姿を思い出す。
カイルのショールを巻き付けただけの姿。
もしそのまま大きくなれば……。
「うーんと。何でカイルがいるんだろ? 私、寝てたの??」
未だ寝ぼけているリルディは、そのまま体を起こそうとする。
「ばっ。見える! 見たら理性がもたなくなるぞ!!」
カイルは暴露しなくてもいいことを口走りながら、必至の形相でリルディを押し倒した。
「ひゃあ! へ? なに………………!?!?!?!?」
リルディはやっと今の状態を把握する。
シーツを巻き付けただけで、その中は何も身につけていない自分と、その自分をベッドの中で必死の形相で押し倒したカイル。
チビリルディの時の記憶はなく、そのためなぜカイルのベッドにいるのかも記憶にない。
リルディは見る見る顔を赤らめ、瞳を潤ませる。
「カ、カイルの変態!!」
「違っ。これにはわけが……ぐわっ」
カイルをグーで殴りつけ、シーツを巻き付けたままリルディは脱兎のごとく逃げ出した。
「冗談だろ? ……クリス。俺に何か恨みでもあるのか?」
諸悪の根源の名を呟き項垂れる。
そして今日は、リルディの誤解を解くために、またもカイルの長い一日が始まるのだった。
読んでいただきありがとうございました!
ちなみに、リルディは割れたビンの薬を吸っただけなので1日で戻りました(笑)