そして天使は舞い降りた~カイルの長い一日~(2)
「カイル様……。なんですか、それは?」
やってきたユーゴは、怪訝な顔で開口一番そう言い放つ。
エルンストは、チビリルディを凝視したまま絶句している。
「いや……」
事の真相を話そうと口を開きかけたが、ハッとして口を噤む。
(これがリルディだとバレるのはまずい)
もともと、ユーゴはいきなりカイルが連れ帰ったリルディを快く思っていない。
ただ巻き込まれただけとはいえ、騒ぎになれば、ユーゴのリルディの心証は更に悪くなるだろう。
もとはといえば、自分が迂闊にも怪しげなビンを見つけてしまった所為なのだ。
メイドとしてがんばっているリルディに、とばっちりが行くのは不憫過ぎる。
「こいつは……どこからか迷いこんだらしい」
苦しい言い訳を口にする。
「……」
カイルの発言に、ユーゴはチビリルディをジーッと見てから息を吐き出す。
「なるほど。どこぞの馬鹿が捨てて行ったのでしょう。まったく、犬猫は時たまありますが、ついに人間までとは」
この屋敷は市街地から離れており、屋敷の周りは人気もない。
捨て犬捨て猫が多いため、運がいいのか悪いのか、意外にもユーゴはあっさりとその言葉を信じたらしい。
「そういうことでしたか。自分はてっきり、カイル様の隠し子かと」
「そんなわけあるかっ」
エルンストの心底安心しきった言葉に、カイルは間髪を入れずに声を上げる。
「カイユ、かくしごってなぁに?」
チビリルディは好奇心一杯の目でカイルを見ている。
「うっ。なんでもない。気にするな」
「?」
チビリルディの無邪気な問いに答えられず、カイルは言葉を濁す。
「小さなお嬢さん。お名前は?」
エルンストは、身を屈めチビリルディに優しく問いかける。
「リュリュアーナ!」
「? リュ……もう一度」
「リュリュアーナよ。あなたはだーれ?」
「あぁ。これは失礼。自分はエルンストと言います。はじめまして」
フェミニストであるエルンストは、チビリルディにも丁寧にそう名乗ると、手の甲に唇を落とす。
「エリュンシュトお兄ちゃま。はーめまして」
チビリルディはそう言うと、お返しとばかりにエルンストの頬にキスをする。
「……」
その行為を受けエルンストは、フラフラとリルディから離れ壁にもたれかかり、ハァハァと不自然な呼吸をしている。
「なんだ?」
その様子を不気味そうに見るカイルとユーゴ。
「い、いえ。自分の家は男ばかりなので……。お兄ちゃまとか言われたのは初めてで。それになぜか、この子とは初めてあった気がしないといいますか……なんだか胸が一杯に」
「あなたは変態ですか」
ユーゴはあからさまに深いため息をついてから、チビリルディに再度視線を向ける。
「どうやら、自分の名もきちんと言えないようですね。サッサと警ら隊に引き渡しましょう」
「だが……」
実際は小さくともリルディなのだ。
警ら隊に引き渡せるはずがない。
「情でも移りましたか? 警ら隊が来るまで私がお預かりいたします」
ユーゴはチビリルディに手を伸ばす。
「いやっ!」
リルディは引き離されることを察知し、カイルの首にしがみつき、潤んだ瞳をユーゴに向ける。
「……この方は、あなたなどが触れてはいけない恐れ多い方なのです。さぁ、はやく離れなさい」
氷の冷相の名に違わない毅然とした態度で、ユーゴは冷たくピシャリと言い放つ。
「イジワルなおじちゃま……きらいっ!」
チビリルディの言葉に、ユーゴからピシッと音がする。
「うわぁ。子供って残酷ですよね」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」
エルンストの余計なひと言に、ユーゴの口元が軽くひきつっている。
表情は変わらないものの、“イジワルなおじちゃま”発言で意外にもダメージを受けたらしい。
「こいつは暫く俺が預かっておく。見つけたのは俺なのだから。もう決めた」
「ですが……」
「カイユ。おなか減ったの」
真剣な面持ちのカイルとユーゴの間で、チビリルディは緊張感のない声でそう言って、カイルのガラベイヤの袖を引っ張る。
「あ、あぁ。そうか。よし、何か菓子でも捜しに行くか」
「いくー」
カイルの提案に、チビリルディはパァッと瞳を輝かせる。
「そういうわけだ。一日仕事は休む。仕事の話は明日にしろ」
そう言い残すと、カイルはチビリルディを抱えたまま書庫を出て行った。
………………
「行ってしまわれましたね。それにしても、あそこまで我を通すカイル様も珍しい。よほどあの子が気に入られたのか」
「はぁ。まったく酔狂な。折をみて連れ出すしかなさそうですね」
「あまり手荒なことはなさらないで下さいよ」
ユーゴの淡々とした言葉に、エルンストは一抹の不安を感じる。
「ええ。今日一日は放っておきます。私だってそこまで非道じゃありませんから」
いつになく寛大な言葉を呟く。
普段ならば、容赦なく警ら隊を呼び出し、正論を盾にサッサッと行動に移しているところだ。
「あ、もしかして“イジワルなおじちゃま”って言われたことを気にしているのですか?」
「……うるさいですよ」
どうやら図星らしい。
ユーゴの意外な一面にエルンストは吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
………………
食堂へ向かう途中、カイルたちがバッタリと出会ったのは、ネリーとラウラだった。
「えぇっ!?」
「まぁ」
カイルとその胸にしがみつくチビリルディを見て、二人は同時に声を上げる。
メイドたちの間では“刃の君”と呼ばれている、クールでミステリアスな主が、なぜか幼女を抱いている。
その姿はあまりにもミスマッチだ。
「おい、何かこいつに食べ物をやってくれないか?」
唖然としているメイド二人に、いつも通り無愛想にそう言い放つ。
「おかちー♪ おかちー♪」
カイルの腕の中で、チビリルディは上機嫌だ。
「へ? あ、はい! で、その子はえーと、カイル様の……」
「言っておくが隠し子じゃないからな」
「ですよね。うーん。この子、リルディに似ていますよね?」
ネリーの言葉に、カイルはギクリと肩を揺らす。
さすがいつも一緒に仕事をしているだけあって、すぐにリルディと結びついたらしい。
「ね! ラウラもそう思わない? ふふ。リルディと並べたらおもしろそう。呼んでこようかしら?」
「やめろっ。余計なことをするな!」
今にも行動に移しそうなネリーを、咄嗟に強い口調で引きとめる。
ここでリルディがいないことがバレるのはまずい。
あまりの強い口調に、ネリーは驚き訝しげな目をカイルに向けている。
「うぅっ。カイユ、こわい……」
チビリルディも、カイルの剣幕に驚き瞳を潤ませている。
「お、おいっ」
(なんだこれは!? 俺が悪者のようではないか)
しゃっくりを上げて今にも泣き出しそうなチビリルディを前に、カイルはどうしていいか分からず、ただその場で固まってしまう。
「泣かないで。今、おいしいお菓子を持ってくるよ」
「おかち?」
ラウラの放った“お菓子”の単語に、チビリルディの表情が明るくなる。
「ネリー、リルディは体調が悪くてお部屋にいるの」
「え!? そうだったの?」
「うん。今は寝ていると思うから、今日は一日そっとしておいてね」
大きなグルグルメガネで表情は読み取れないが、その声は優しく落ちつている。
「カイル様も心配されていたんですね。そうとは知らず、悪ふざけのようなことを口にしてしまい申し訳ありません」
ラウラの言葉に、ネリーは神妙な顔でカイルに謝罪する。
「い、いや……」
状況が呑み込めず、カイルはラウラを見返す。
「では、私は名誉挽回のため、お菓子を持ってきます!」
そう言うと、ネリーは食堂へと消えて行った。
「お前……」
ラウラはカイルへと深く礼をする。
「リルディをお願いします」
「分かるのか?」
“これがリルディだということが”という言葉は確信が持てないため呑み込んだ。
「リルディはリルディだから。どんな姿でも分かるのです。優しく温かい輝きは同じ」
表情は見えなくとも、リルディへと微笑みを向けているのが分かる。
チビリルディも嬉しそうに、ニコニコと笑っている。
「俺が……何とかする」
「はい。きっと大丈夫なのです」
「あぁ」
何の根拠もない言葉。
それでも、それはカイルにとっては救いの言葉だった。