嵐が来るその前に(1)
リルディアーナ視点。
怪我をしているリルディアーナにユーゴは……。
「……」
「……」
レイが去り、私は観念してユーゴさんへ正直にことの顛末を話す。
それを聞き終えると、無言のまま額を抑え込むユーゴさん。
長い沈黙がその場を支配している。
「ごめんなさい。でも、シーツは無事です! どこも破けていないし、汚れも今から洗えば綺麗になります!」
「そういう問題では……」
言いかけた時、私の手元を見て眉をしかめる。
そこは、先ほど枝に引っ掛けて傷を付けたところだ。
薄く血が滲んでいるけれど、それほど深い傷でもない。
「あ、これは落ちた時に木の枝に当たってしまって」
私の言葉に、ますます怒りオーラを出しているユーゴさんの様子に、アタフタと慌てて傷を隠す。
「手当をします。来なさい」
シーツを取り上げ踵を返す。
「いえ、大丈夫です。このシーツを洗いなおして、書庫の整理に行かなければならないんです!」
多分、カイルも書庫にいるはず。
カイルはいつも決まって、書庫の整理の時間にお茶をせがみにくるのだ。
そして、整理をしている私の傍らで、ティータイムをするのがほぼ日課になっている。
カイルが待っていると思うと気が気じゃない。
(書庫整理の時間にしか、カイルとゆっくり会えないんだもの)
あそこには、立ち入るものはほとんどいない。
だからあの空間でだけ、カイルと気兼ねなくおしゃべりが出来る。
普段はおしゃべりどころか、姿を見かけることさえ稀だし。
「手当が先です。そんな傷のまま仕事をすれば、菌が入り込み傷口が化膿して手が腐り落ちますよ」
「うそ!?」
ユーゴさんの言葉は、淡々としているから余計に恐ろしくなる。
何というか、感情が読み取れないから恐怖心が煽られるのだ。
「分かったのなら、大人しく言うことを聞きなさい」
「うっ。はい」
腐り落ちる……なんて聞いたら、放っておくわけにもいかない。
ガックリと肩を落としつつ、ユーゴさんの後を付いていく。
屋敷に入ると、ユーゴさんがいつもいる執務室に通される。
「そこに座っていてください」
壁際に置かれた椅子に私を座らせると、ユーゴさんは部屋を出て行く。
「はぁ。恐かったぁ」
一人になってやっと詰めていた息を吐き出す。
どうしてか、ユーゴさんといるとすごく緊張してしまう。
(それにしても、いつ見ても綺麗な部屋だわ)
見るとはなしに、グルリと部屋を見回す。
大きなデスクの上は綺麗に片づけられていて、本の入った棚もサイドテーブルも隙がなく整頓されている。
「あれ?」
ふとサイドテーブルに置かれた書類の束に目が止まる。
書類の間からはみ出ているものがある。
よく見れば封筒で、しかもそれは、エルン国で一般的に使用されたいる公式用のものだった。
(もしかして、これってクラウスが送った手紙かしら?)
いけないことだと思いながら、中身を見て見たくてウズウズしてしまう。
椅子から腰を浮かしかけたその時、ユーゴさんが姿を現す。
「キャッ。び、びっくりした!」
「なんですか?」
思わず短く悲鳴を上げた私を怪訝な顔で見る。
「い、いえ! なんでもないですっ。あはは」
思わず好奇心に負けて、命知らずなことをするところだった。
未遂で終わってよかったと、心の中で胸をなで下ろす。
そんな私の気持ちを知るはずもなく、怪訝な顔のまま、持ってきた水を張ったボールに、キビキビとした動きで清潔そうな布を浸す。
「失礼」
一声かけて、跪き私の手を取ると傷口を丁寧に拭う。
意外にもその手つきは優しい。
「あ、あの、ありがとうございます。これで大丈夫ですから」
「ダメです。嫁入り前の女性に傷跡が残ったらどうする気ですか?」
即座に却下されてしまった。
(嫁入り前って……)
ほんの少し手の甲を傷つけただけなのに。
小さい頃は、それこそ擦り傷切り傷だらけで遊び回っていた。
こんなのかすり傷の部類なのに。
ユーゴさんは意外と世話焼きなのかもしれない。
「それにしても、なぜよりにもよって、レイモンド様に目を付けられているのですか?」
「へ? 友達になってほしいと言われただけですけど?」
“目を付けられる”ってどういう意味だろう?
「それを真に受ける馬鹿がどこにいるんですか? ……よくそんなボヤボヤ具合で、ここまで無事だったものですね。どうせ、周りが過保護に守ってきたのでしょうけど」
苦い顔で息を吐き出し、後半は独り言のように呟く。
「ボヤボヤって……。えーと、ユーゴさんはレイのことを知っているんですよね? レイって何者ですか? “兄上”ってもしかして……」
「あの方も余計なことを……。ええ。レイモンド様はカイル様の弟君です。腹違いではありますが」
やっぱりと思う。
誰かに似ていると思ったけれど、その相手はカイルだ。
話をしてみると、人懐っこくて明るくて、むしろ真逆なのだけど、どこかカイルの面差しがある。
弟と言われるとその理由も肯ける。
「じゃあ、今日はカイル様に会いに来たんですね」
「そのようですね。ただ、最後は目的が変わっていましたが」
なぜか私の顔を見ながら、おもいっきり盛大にため息を付いた。