騎士、姫君と旅立つ(2)
俺は、不覚にもイザベラの『メイド心得』を顔面に受け倒れた。
姫様が絡むと、イザベラの攻撃は容赦ない。
同じく姫様に仕える俺としては嬉しい限りなのだが、その矛先が自分に向けられるとは。
何とも複雑な気分だ。
「まぁ、クラウス。大丈夫?」
無様に仰向け転がっている俺に、鈴を転がすような心地よい声が降ってくる。
「母様!」
「アンヌ様!」
姫様とイザベラが同時に声を上げる。
目を開けると、心配そうに覗き込むアンヌ様の顔があった。
「はっ。だ、大丈夫です! とんだ失態を」
慌てて起き上がり身を正す。
「メイド心得? どうして、こんなところに落ちているの?」
「あっ。いえ、その、落としてしまいましたのね。私ったら、うっかりしておりましたわ」
まさか「凶器にしました」などと言えるはずもなく、イザベラは笑って誤魔化し、いそいそと『メイド心得』を拾い上げる。
「母様、起きていて大丈夫なの?」
「えぇ。今日は気分がいいの。それに、フレデリクからお話を聞いたでしょう?」
小首を傾げてゆったりと微笑む。
透けるように白い肌と、フワフワと綿菓子のような髪は姫様と同じ金色。
大きいエメラルドグリーンの瞳は宝石のようだ。
アンヌ様は、この国の王フレデリク様のただ一人のお妃様。
一夫多妻が許される王族だが、フレデリク様はアンヌ様ただお一人を愛している。
床に伏せ気味の今であっても、第二妃や妾を娶られる気配はない。
「聞いた……って、イセン国王のことだよね?」
途端に姫様の顔が曇る。
「えぇ。きっとリルディアーナは、怒り狂うだろうから、なだめてくれと、フレデリクに頼まれたの」
「父様ったら! 自分だけ逃げて、母様にそんなことを言うなんて。帰ってきたら、どうしてくれようかしら」
「フレデリクを責めないであげて。あの人なりに、色々と考えて決めたことなのだから」
憤慨する姫様をアンヌ様は優しく諭す。
「色々ってなに? どんな理由があっても、内緒にしていたなんてひどいよ」
瞳を潤ませ最後の方は言葉を詰まらせる姫様の姿に、罪悪感で胸が痛む。
「……ごめんなさい。たくさん複雑であまり説明できなくて」
「母様が悪いなんて思ってないわ。ただ、こんな風に自分の知らない間に勝手に決められるのは、やっぱり納得いかないよ。自分は好きな人と結婚したくせに、父様は横暴すぎるわ」
小さい頃から聞いていたという、フレデリク王とアンヌ様の恋物語。
民の間でも語り継がれるほど、それはおとぎ話のような話。
姫様も憧れているのは俺もよく知っている。
(あぁ、だからか。これほど怒っているのは)
大人からすれば、何を甘いことをと一蹴されるかもしれない。
けれど、俺だって出来たら姫様にはそんな恋をしてほしい。
それに正直、こんな天真爛漫な姫様が、大国の王の妃になって幸せになれるか、疑問でもあるのだ。
(ここで俺も進言するべきなのか?)
大それたことだと思いつつ、言葉が喉元まで出掛かる
「ランス大陸には、運命の赤い糸というものがあるのよ」
姫様の頭を優しく撫でながら、アンヌ様は言葉を紡ぐ。
「運命の赤い糸?」
「そう。真実結ばれる人は一人だけ。目には見えないけれど、お互いの小指と小指には、赤い糸が結ばれていて、それは惹き合って必ず結ばれるというお話」
話の趣旨が見えない。
姫様も同じ気持ちだったのだろう。
小首を傾げる。
「知らず知らずのうちに、リルディアーナは、イセン国王と惹き合っているのかもしれないわよ?」
つまり、王が決めたのは、運命の赤い糸が惹き合っているからということらしい。
「そ、そんなの、都合よくこじつけているだけじゃない」
姫様は不服そうに口をとがらせる。
「人は、出会いそして、恋をしたり友になったり、あるいは別れを選んだりするのよ? まだ出会ってもいない相手を、拒絶するべきではないと思うの」
「でも……」
「無理強いはしないわ。ただ、目先の感情に囚われすぎるのは、とても勿体無いことだと思うの。一度、イセン国王と会ってみない?」
アンヌ様の提案に、姫様は俯き無言になる。
思わずイザベラを見ると、イザベラも俺を見ていた。
どう対応していいのか、イザベラも躊躇っているようだ。
(見守るしかないよな)
そう目だけで語りかけると、イザベラも小さく肯く。
「……分かったわ。私、イセン国王に会ってみる」
少しの沈黙の後、姫様は小さく呟く。
その言葉に、俺もイザベラもホッと胸を撫で下ろした。
だが、この時はその言葉の意味を、俺はすっかり取り違えていたのだ。
………………
胸騒ぎがする。
何だろう。
この落ち着かない感じは。
「隊長~。どうしたんすか? さっきから、部屋の中をグルグル回って」
副隊長であるカウスの言葉に我に返る。
ここは護衛が休息を取る詰め所。
夜も更け、仮眠をとるために来たはずだったのだが、胸騒ぎの原因を考えていたら、勝手に体が動いていたらしい。
「イザベラちゃんに会いたいなら、行ってくればいいじゃねーっすか。俺、口堅いっすよ」
「余計な気を回すな」
妙な勘違いをするカウスに苦笑を返す。
あのあと、姫様は自室に篭られてしまった。
イザベラの話では、夕食は普通に召し上がったとのことなので、さほど心配ないのかもしれない。
だが、やはり胸騒ぎはおさまらない。
「少し出てくる」
「任せといてください! この国の平和は俺が守りますぜ。隊長は、イザベラちゃんとの愛を守ってきてください」
「……」
大きく勘違いされているが、訂正するのも面倒だったので、あえて何も言わずに、姫様の自室へと向かった。