変わらない想いと変わる想い
青年は昔を振り返り、そして今を変える決意を固める。
真っ白なその世界が大嫌いだった。
空はいつも厚い雲に覆われて、使い古された薄汚いボロキレを思い出す。
静かに降り続ける白い塊は、すべてを覆い隠さなければ気が済まないというように、飽くことなく地上を白く染め上げていく。
おまけに、昼も夜も関係なく心まで凍りつきそうなほどに寒い。
あの世界での思い出は、“寒さ”と“飢え”とそして“孤独”
それでも生き続けていたのは、半ば意地だった。
生きるために盗み、殺られる前に殺る。
自分を蔑むすべての視線を跳ね返し、代わりに嘲笑ってやる。
(残念だが俺は生きているぜ? 簡単に死んでなんかやんねぇ)
俺が生き続けることは最大の復讐。
それは、自分を無意味に生み出し呆気なく狂った女へなのか、俺の存在を抹消したがっている女神信仰者たちへなのか。
いや、もしかしたら、世界を二つに分けちまった“神”という奴へのものだったかもしれない。
ともかく、“あの時”まで、俺はただ復讐のためだけに生きていたんだ。
(じゃあ、今は何で生きてんだろーな)
あの世界とはま逆の太陽が照りつけるこの世界で、俺はガラにもなくそんなことを考える。
「あー、くそっ。暑いつーんだっ」
本当にどうしてこうも両極端なんだ?
死ぬほど寒い世界か、死ぬほど暑い世界。
この世に本当に神だとか女神がいるっつーんなら、そうとう捻くれた奴らに違いねぇ。
そんなことを考えながら、エルン国城の塀を飛び越える。
城というには手薄すぎる場所。
もっとも、城全体は魔術で守られているから、賊が入り込むことは難しいだろう。
魔術に覚えがあるものであっても、この護りはそう簡単に崩せはしない。
それを意図も簡単に入り込む俺がすごいというだけの話だ。
「……」
何度となく訪れている場所。
警備の目を欺くのも容易い。
誰にも会うことなく目的地にたどり着く。
そこは主をあらわすかのように、淡く美しい庭園が広がる。
この世界で育つ植物なんてたかがしれている。
それでも、太陽の恵みあるこの世界では、もう一つの世界より、植物の種類は多いらしい。
それを彼女に興奮気味に説明されたのを思い出し、苦笑してしまう。
よくもまあ集めたものだと感心するくらいに、花と緑があふれている。
『ここは、私にとっての楽園だわ。だから、何があっても守りたいの』
此処で再会し、そう言い放ったあいつの凛とした横顔は俺の知らない顔だった。
あの世界では、消えてなくなりそうなほどひたすら可憐だったのに、この世界では強くそして更に美しくなった。
俺ではもう手が届かないほどに。
鳥かごを開け放ったのは俺だ。
けれど飛び立って降り立った場所は、俺のところではなかった。
未だに時々、胸がチリリと焼けるような気分になる。
それは嫉妬なのか、それとも未練なのか。
(いいや、ただの執着か)
そんなことを思い、自嘲気味な笑いが漏れてしまう。
「ルネ?」
聞きなれた声と今では聞き慣れないその名前。
「よぅ。久しぶりだな、アン」
「まぁ、本当にルネなのね」
心底嬉しそうに微笑むアン。
この笑顔は昔から変わってねぇ。
慈愛溢れるその笑みは、冷え切った俺の心をいつも揺さぶる。
金の美しい髪と『砂漠の白雪』と呼ばれる所以である透けるように白い肌。
華奢な体は、触れたら壊れてしまいそうなほど儚い。
「……俺が此処に来たのは報告なんだけどよ。リルディアーナの」
「うん。あの子は元気にしている?」
予想はしていたのだろう。
その名を聞き、高揚し白い肌に赤みが差す。
「そりゃあもう。元気すぎてその……はぐれた」
ヘラリと笑って何のことはないように装ったものの、その言葉に俺を見る大きなエメラルドグリーンの瞳が見開かれる。
「大丈夫だ。イセン国にいるのは把握済み。身柄もこの上なく安全な場所にある」
慌てて付け足したその言葉に、アンは胸に手を置き安堵の息を吐く。
「そう、よかった。私のわがままの所為で、ルネに迷惑をかけてしまったみたいね」
「よせよ。俺たちは“友達”だろ? こんなこと朝飯前だ」
我ながら自虐的な言葉。
俺は今、どんな顔をしているのか。
いつものように誤魔化せないのがつらい。
丸い色つきメガネもなく、髪も昔の小汚い色に戻している。
今の俺は暗殺者ではなく、アンがよく知るただのお調子者の盗賊だ。
「ありがとう。でも、ひとつ訂正。私たちは友達じゃないわ」
可愛らしく頬を膨らませて不満をあらわす。
「“友達”じゃなくて“親友”だわ。この世界で友達はたくさんできたけれど、“親友”はルネだけだもの」
「……」
俺もアンも、まったく違う環境で生きてきたっていうのに、俺が孤独だったように、アンも違う意味で孤独だった。
誰にも立ち入ることが出来ない俺とアンの絆。
それをアンは“親友”という言葉であらわす。
「そう。親友だな。……アンは、ずっと俺と親友でいてくれるのか?」
「もちろんだわ。未来永劫、私とルネは親友だわ」
即答されたその言葉は最後通告。
そうだ。それは変わらねぇんだよな。
『何だかんだ言いつつ、相変わらず過去を引きずっている? 彼女に嫌われるのが恐い?』
言われた言葉が脳裏をよぎる。
過去を引きづりまくっているし、嫌われるのは恐いに決まっている。
アンの存在はずっと、俺の生きる糧だったんだ。
「その言葉を聞いて安心した。じゃ、俺はリルディアーナんとこに行くわ」
「ありがとう。ルネ」
「俺たちは“親友”だろ? お前の大切なモノは俺も大切だ」
俺の言葉にアンは無邪気に微笑む。
(だからさ。そのお前の大切なモノ一つ、俺に分けてくれてもいいよな?)
心の中での問いの答えはない。
変わらない想いがある。
そして変わった想いも。
「いい面の皮だ」
自分自身を嘲笑う。
手に入れられなかったものがある。
けれど、手に入れられるかもしれないものが、目の前にある。
今度こそ、ほしいものを手に入れるべきだ。
もしかしたらそれこそが、今俺が生きている意味なのかもしれねぇ。
「さーてっと! やることやって、姫さんに会いに行くか。イセン国王様にも会わねーとだしな。あの時の借り、キッチリ倍返ししてやる」
いつもの色メガネをかけようとしてふと手を止める。
「もうこいつもいらねーか」
持つ手に力を込めると、グシャリとメガネは手の中で呆気なく粉々になる。
それは、今まで大切にしてきたいくつかのものが壊れた象徴のようだった。