将軍の依頼(1)
リルディアーナ視点。
翌日、訪ねてきたのは……。
一夜明け、私は昨日のリベンジをするべく、客室掃除をしている。
「よし! 今日はバッチリのはず」
掃き掃除は部屋の四隅まで気を配ること。
埃が舞わないように繊細かつ素早く。
拭き掃除は、木目に沿って丁寧に。
雑巾は渾身の力を込めて絞って綺麗に広げる。
ネリーに教わったことを頭の中で復唱しつつ、一つ一つこなしていく。
うん。大分、コツを掴めてきた気がする。
これで、ユーゴさんのため息を失くす……ことはさすがに無理でも、半分くらいには減るはずだ。
「えーと。最後に最終チェックで全体を確認する……と。あっ」
グルリと部屋を見渡すと、壁に小さな汚れを発見。
慌てて、ゴシゴシと汚れを落としにかかる。
「ふぅ。何とか落ちたかしら? 壁の汚れ……壁の……壁……!」
壁を見つめていたら、昨夜の光景が脳裏に浮かんできてしまった。
私の腕を強く掴むカイルの大きい手の感触。
低いトーンの声音。
そして、私を射抜くかのような漆黒の瞳。
『この状態で、お前はどうやって俺から逃げる?』
腕を拘束され、その闇夜のような瞳を向けられ放たれた言葉が、まざまざと甦り、思わず耳を塞いでしまう。
「あんなの反則だわ」
心の奥そこから、すべてを根こそぎ奪われてしまうかのような感覚。
今だって思いだすと、体が熱くなって胸がおかしな音を立てている。
(仕事に集中して思い出さないようにしていたのに)
どうしてこんなにも、私の心をかき乱すのだろう。
「カイルの馬鹿」
ほてり始めた額を壁に押し当てて思わず呟く。
「誰が馬鹿なのですか?」
不意に耳に届いた言葉に、我に返り慌てて張り付いていた壁から体を離す。
「エ、エルン」
そこには、目を丸くして不思議そうに私を見ているエルンがいた。
………………
「お時間を取っていただいて、ありがとうございます」
「クラウスたちを探す協力をしてくれるんだもん。ここはむしろ、私がお礼を言うべきところだわ」
エルンは、現在行方不明のクラウスたちを捜すために、私に詳細を聞きに来たのだと言う。
ユーゴさんの許可はあるとのことなので、仕事を一時中断して、応接室へと移ってきたのだ。
長細い大理石のテーブルを挟んで、向かい合わせに座るエルンは微笑み口を開く。
「いいえ。カイル様の大切な方ですから。当然のことです。それでは……」
「……」
カイルの名に思わず動揺してしまう。
やっと収まったはずの鼓動が大きくなった気がして、膝に置いた手に力が籠る。
「リルディ? もしかして、具合が悪いのですか? 顔が赤いようですが」
「ち、違うの。なんでもないっ。気にしないで話を続けてっ」
心配そうに顔を覗き込むエルンに、私は若干声を上ずらせ言い放つ。
「……左様ですか。では、自分の質問にいくつかお答えいただけますか?」
クラウスたちについての簡単な質問をいくつかされる。
答えを口にしながらも、一度騒ぎ出した鼓動はなかなか収まってくれなかった。
………………
「ありがとうございました。質問は以上です」
「うん。あの、クラウスとアランの情報はまだ何もないの?」
私の問いに、エルンは申し訳なさそうに肯く。
当たり前といえば当たり前の話だ。
だからこそ、エルンはこうして私に詳細を聞きにきたのだから。
それでも、改めて確認してしまうと、気落ちしてしまう。
「しかし御心配には及びません。イセン国に入る際には、身元の記載がされますから、この国に入ればすぐに分かります。それと、砂漠の連隊にも情報を流して、捜索の範囲を広げるつもりですので、すぐに再会出来るでしょう」
「ありがとう。エルン」
気遣ってくれるその気持ちが嬉しい。
「やはり、あなたは笑顔の方が似合ます。その笑みが最高の報酬です」
「エルンってば、口がうまいんだから。お世辞でも嬉しいかも」
こういう台詞をストレートに言われると、ちょっと照れてしまう。
多分、エルンにとっては社交辞令なのだろうけれど。
「お世辞ではありません。あなたは、自分の価値をもう少し知るべきですね」
「あはは。ところで、エルンは私に敬語のままなんだね。私も別に敬語じゃなくてもいいのに」
爽やかに繰り出されるエルンの言葉に戸惑いつつ、気になっていたことを聞いてみる。
そうなのだ。
エルンは私に敬語ではなく、気軽に話てほしいと言っていたのに、エルン自身は私に対して、相変わらず丁寧な口調のままだ。
「いえ。これが自分の自然体なのであります。自分のモットーは『女性には最大の敬意を払う』なので。敬うことが身についてしまっていて、この言葉使いが自然体といいますか」
ちょっと考える仕草をしてからそう答える。
「エルンってホントに紳士的だわ」
カイルとは大違いだ。
当てつけみたいにそんなことを思ってしまう。
「自分は母に徹底的に教育されましたから」
「教育?」
「ええ。自分は六人兄弟なのですよ。貴族でもないので、使用人もおりませんし、家にいる女性は母だけだったのですが、まるで野猿のような息子たちが心配だったのでしょう。小さい頃、女性には優しくしなければいけないと、それはもう何度となく厳しく言われておりました」
エルンは懐かしむように目を細めた。