姫君、激怒する(4)
「姫様! 何事ですか?」
クラウスへと怒りをぶつけていると、騒ぎを聞きつけて、一人のメイドが部屋に飛び込んでくる。
栗色の髪を綺麗に束ねて、鮮やかなブルーのリボンで結んだ彼女は、メイドの中でも特に親しく、私にとっては姉のような存在。
「イザベラ……」
彼女の名を口にした途端、ジワジワと涙が出てきた。
オロオロしているクラウスを突き飛ばして、私はイザベラにかけよると、そのまま柔らかく大きな胸に顔を埋める。
「クラウス! まさか、姫様に不義理なことをしたんじゃないでしょうね! ことと次第によっては、その命で償ってもらいますわよ」
イザベラの優しげな顔がスッと冷たくなり、なんだかものすごく物騒なことを口走っている。
「ご、誤解だっ」
青ざめおもいきりブンブンと首を振るクラウス。
「黙れ、外道。……姫様、一体どうしたのですか? イザベラにお話してくださいますか?」
一言冷淡な言葉と眼差しをクラウスに投げつけて、私の頭をなでながら優しい声で問いかける。
「……」
チラっとクラウスに目を向けると、見えない刃に貫かれ再起不能状態に陥り項垂れている。
最愛の恋人から『外道』呼ばわりされたら、かなりショックなはずだ。
これは、一組の恋人同士の破局の危機?
しかもその原因が私では、とても居たたまれない。
「クラウスの所為じゃないわ。いえ、ちょっとは関わっているけど……」
「……」
「あ、でも直接は関係ないの。父様が私の嫁ぎ先が決まったなんて言うんだもの。それで少し混乱と怒りで泣けてきちゃって」
またもクラウスを睨んだイザベラに、私は早口で顛末を話す。
「まぁ! 姫様にそんなお話が。私も初めてお聞きしましたわ」
どうやら、イザベラも聞かされていなかったらしい。
途端に頬を染めて、なんだか嬉しそうでもある。
「それでお相手は? お式はいつですか?」
「イセン国王で来年には……」
「まぁまぁまぁ! すごい方ですわ。来年ですか。これは、忙しくなりますわね」
「ちょっと待って! 私は納得してないもの。結婚なんてまだ早いよ」
イザベラは、一緒に憤慨してくれると思っていたのに、なんだかウキウキしている様子だ。
「そんなことありませんわ。アンヌ様は17のお歳に、姫様を身ごもられたのですわよ? それに、王族では生まれた瞬間にお相手が決まっていらっしゃる方も少なくありませんわ。私、姫様にお相手が決まっていないことに、やきもきしていたんですわ。姫様はおモテになるし、どこぞの馬の骨かわからない輩に手を出されたら……」
「私、モテた記憶とかないんだけど。ていうか、イザベラは今回のこと賛成……なの?」
予想に反するイザベラの反応に私は困惑する。
まるでこれは当たり前で、むしろ喜ばしいことのように聞こえる。
「姫様は、イセン国王ではお嫌ですか?」
イザベラは気遣わしげに、私の顔を覗き込む。
「……」
うまく答えが出てこない。
ついさっき聞いたばかりで実感がないし、そもそも内緒にされていたことが嫌で、腹が立っていたのだ。
それに、結婚は恋をしてするものだと思っていたし、それが憧れだった。
それをいつの間にか、まったく知らない相手を用意されて、当たり前のように話されて、ショックだった。
『結婚相手』のことを何も知らないのだから、嫌も何もいえない。
「申し訳ございません。姫様のお気持ちも考えず、はしゃいだりしてしまって。これでは、私もクラウスを責められませんわね」
私の気持ちを察したのか、体を離したイザベラは、深々と頭を垂れる。
「謝らないで。私としたことが取り乱しすぎたわ。クラウスもごめんね」
クラウスはこの国の騎士団長でもある。
私の護衛も兼ねているとはいえ、父様の命令ならば、優先するのが当たり前だ。
「いえ! 大丈夫です。姫様の反応は予想済みだったし。むしろ、被害が少なくて何よりで……ぐわっ」
クラウスの言葉は最後まで続かなかった。
イザベラの投げた『メイド心得』が、クラウスの顔面に直撃したからだ。
ちなみに『メイド心得』は、イザベラが持ち歩いているマニュアル本で、大きさは手のひらサイズだけど、厚さは小指の長さほどあり分厚い。ハードカバーのため、凶器にすれば、それなりの破壊力があると思う。
「その無神経な口を縫い合わせてやろうかしら」
絶対零度のイザベラの言葉が、倒れているクラウスに届いたかは定かじゃない。
(この二人、大丈夫なのかしら?)
自分のことを棚にあげて、私は思わず心配してしまうのだった。