その頃、エルンの王子は……(2)
あれから数日、アルテュールは自室に篭りきり。
「明日は、アルテュール帰還祝いの舞踏会が開かれるのに。開催出来るのでしょうか」
「どうだかな。しかし、もっと喰ってかかってくるかと思ったんだが。あいつも、少しは大人になったか」
父様の言葉を聞いたアルテュールは、『リディも納得しているのですか?』と、静かに訊ねただけだった。
「大体、姉様はまったく納得していないのに、『泣いて喜んでいる』だなんて、よく言えたものですよね」
「仕方ねーだろ。嘘も方便だ。下手に希望を持たしてもそれこそ、酷な話だろ」
「それはそうかもしれませんがっ! はぁ。アルテュールが不憫すぎて」
父様の答えに、アルテュールはそれ以上何も聞かなかった。
僕もなんと声をかけていいか分からず、結局何も言えず現在に至る。
「やっぱりアルテュールじゃダメなのですか?」
「ダメだな」
悲しくなるくらいに、キッパリと父様は答える。
聞くまでもなく、僕だって分かっている。
これは仕方の無いことで、どうしても譲れないことだって。
それでも、親友であるアルテュールを深く傷つけてしまったことが、後悔となって胸を締め付ける。
「お前がそんな顔してどうすんだよ」
父様は書きあがったらしい何かを折りたたむと顔を上げ苦笑した。
「僕は父様みたいにはなれません」
父様は、豪胆で思い切りがよくて、何かに苦悩する姿なんてみたこともない。
いつだって、前だけを見ているような人だ。
「だろうな。お前が俺みたいになろうなんざ、百万年早い。つか、無理だろうな」
「うっ。どうせ僕はダメダメですよ」
「拗ねんなよ。つまり、お前と俺じゃ違うんだよ。違うから、おもしろいんだろーが。ま、その生真面目すぎる性格はどうにかした方がいいと思うがな」
しみじみと言いながら、僕の頭をワシワシと乱暴に撫でる。
「父様が軽すぎるのです! 大体、アルテュールの遊学理由が姉様に求婚したいためだなんて、全然知りませんでした……。そこまで真剣だったなんて」
よく三人で遊んでいたし、アルテュールが姉様を好きなのは気が付いていた。
けれど、意地っ張りなアルテュールは、“好き”なんて言葉、多分一度も姉様に言っていないはずだ。
いつも一緒にいるクラウスに敵対心むき出しだったり、姉様に近づく男はことごとく排除しようとしたり、周りには態度でバレバレだったけれど。
悲しいことに、姉様はまったく気づいていない。
姉様にとっては、”仲の良い幼馴染”という認識しかないはず。
「本当に不憫です。アルテュール……って! 父様聞いていますか?」
僕のボヤキに答えず、父様はいつの間にか窓辺に腰掛けて、空を見上げている。
「あ? 俺は今忙しいんだよ」
といわれても、ただぼんやりと空を見上げているだけに見えるのだけど。
「何をしているのですか?」
「シーザーを待ってんだよ。あいつ、ちゃんと働いてんのか?」
不機嫌そうに呟いたのは、飼い馴らしている鷹の名だ。
「もしかして、さっき書いていたのは……」
「アンヌへの手紙だよ」
「母様に? だって昨日も書いていたじゃないですか?」
「あぁ。毎日書いているぞ? 俺がいない間、あいつが寂しがるだろうからな」
当たり前と言わんばかりの顔で、恥ずかしげもなく息子に惚気る父親。
ということは、シーザーは毎日エルン国とリンゲン国を往復しているということになる。
「シーザーがかわいそうすぎるじゃないですか!」
砂漠の多いこの大陸では、鷹や鷲といった翼を持つものが、急ぎの手紙を届ける役目を担っている。
それにしてもだ。
それを使うのは、相当な緊急時というのが普通なのに。
いくらシーザーが従順だからといっても、毎日配達させるなんてありえなさ過ぎる。
「ふっ。俺とアンヌの愛の架け橋。シーザーも光栄なことだろう」
「……」
時々、父様が大物なのか、ただの馬鹿なのか、分からなくなる時がある。
我が父親ながら理解不能すぎる。
「おっ。噂をすれば……だ」
その声に窓の外を見ると、シーザーがバルコニーに降り立つ姿が見えた。
「ピッピー」
「シーザー、帰ったらご馳走を用意させるからね。ごめんよ。無茶苦茶な主で」
僕たちを見て嬉しそうに鳴くシーザーに、ねぎらいの言葉をかける。
と、足に紙が括りつけられているのが目についた。
「アンヌからの返信かな♪」
ニマニマと締りのない顔で、父様はそれを解いて読み始める。
(まるで新婚みたいだ)
こちらが呆れるくらいに、父様は母様にベタ惚れしている。
惚気が始まる前にと、踵を返そうとした時だった。
「エドゥアルト。エルン国に戻るぞ」
「はい?」
唐突なその言葉に、訳が分からず再度父様を見る。
「どうしたのですか?」
「いやぁ、予想の斜め上を行きやがった。さすが俺の娘」
その不可解な言葉に、僕は父様が開いている紙に書かれた文字に目を走らせる。
「なっ! ちょっ、これは……。た、大変じゃないですか!」
「だから、エルン国に戻るんだろ。俺はその後イセン国に向かう」
そう言った父様の顔はひどく楽しそうだ。
なぜこの手紙をみて、そんな落ち着いていられるのか。
僕はまたも深いため息を付いたのだった。