その頃、エルンの王子は……(1)
エドゥアルト視点。
姉の暴挙など知る由もなく、リンゲン国にやって来たものの……。
僕は、今日で何度目かのため息を零す。
ため息を付くたび幸せは逃げるというけれど、それが本当なら、僕の幸せ残量はゼロに近いんじゃないかと思う。
「ふふ~♪ るる~♪」
おかしな鼻歌を奏でながら、一心にペンを走らせている父様をチラリと見やる。
「父様、どうしてそんなに暢気にしていられるのですか? アルテュールがあんな状態だっていうのに……」
「仕方ないだろうが。下手に誤魔化すより、ガツンと言ってスパッとあきらめてもらうしかねーだろ」
「だからって、ガツンと言いすぎです! あれから、部屋に閉じこもりきりなんですよ? どんなに傷ついているか」
リンゲン国に着いてすぐのことを思い出し、またもや深いため息を付いた。
………………
リンゲン国に来るのは久しぶりのこと。
小さな頃は、よく父様と姉様と一緒に来ていたのだけれど。
アルテュールが突然、遊学に出てしまってから、ほとんど訪れていなかった。
「お前……エドゥアルトか?」
広間に通されると、すぐさまアルテュールが姿を見せた。
「お久しぶりです」
二年ぶりの再会ではあるけれど、定期的に手紙のやり取りをしていた所為か、久しぶりという感じじゃない。
見た目も覚えているアルテュールそのままだ。
「なんかさ、でかくなったよな。くそっ。二年前は俺と大して変わんなかったくせに」
悔しそうに柳眉を顰める。
「あはは。二年でかなり伸びましたよ」
アルテュールも僕も、小さな頃はよく女の子と間違われていたっけ。
少し背は伸びたものの二年経っても、相変わらずアルテュールは中性的な容姿のまま。
全体的に体は引き締まっているけれど、相変わらず華奢でどこか儚げにさえ見える。
「俺だって伸びたんだぞ」
「はい。えっと……昔より少し、逞しくみえます」
僕の言葉に、そうだろ? と、アルテュールは顔を綻ばせる。
「あー、コホン。で! あいつは?」
「はい?」
再会の挨拶を済ませたあと、あからさまな咳払いをして見せて、辺りを軽く見回すアルテュール。
ソワソワと落ち着きが無い。
「だ、だから、その……リディは?」
「え? あれ? えーと……」
リディというのは、姉様のことをアルテュールが呼ぶ時の名。
“アルテュール”と呼びづらいと、姉様はアルテュールを“アル”と呼んでいて、それならと、アルテュールも姉様の名を略して“リディ”と呼んでいるのだ。
「人がせっかく呼んでやったのに遅刻か。相変わらず、淑女とは程遠いみたいだな」
どういうわけか、アルテュールは姉様も来ると思い込んでいる。
「あ、いや。姉様は来られなくて……」
「は? なっ。どういうことだよ!」
申し訳なくてオズオズと告げると、アルテュールはひどく狼狽する。
「どうもこうも、まぁそういうことだ。言ったら押しかけられそうだから、口止めしておいたんだ」
父様は、涼しい顔で僕たちの前に現れると、サラリとそう言い放つ。
「フレデリク王?」
アルテュールには、父様がいることも予想外だったのか、ひどく驚いた顔をしている。
「二年振りだな。少しは成長できたか?」
その場にそぐわない暢気な口調で、アルテュールに問いかける。
「もちろんです。そのための遊学ですから」
自国を離れる。
それは相当な決意があってのことなのだろうと思う。
その言葉にも力強いものを感じる。
「へぇ~。それは頼もしいことだ」
「二年前の未熟な俺とは違います。だから、その、あの話ももう一度考えていただきたい」
「あの話? なんだったけっか?」
ものすごく真剣なアルテュールと飄々としている父様。
僕は訳がわからず、二人を交互に見る。
「リディのことです。二年前、俺では頼りないとリディへの求婚を止めたじゃないですか! だから俺は遊学に出て、男を磨いてきたんですから!」
「え? えぇっ!!」
幼馴染の爆弾発言に僕は驚愕する。
アルテュールが姉様を好きなのは知っていた。
でもまさか、父様に求婚の打診をしていただなんて……。
姉様はイセン国王の下に嫁ぐことが決まっている。
けれど、機密事項であるそのことを話せるはずもなく、アルテュールは未だその事実を知らずにいる。
(父様は、なんて答えるつもりなのだろう?)
真剣な眼差しで父様を見つめているアルテュール。
この状態にキリリと胃が痛みだす。
「悪ぃ。リルディアーナには結婚相手が決まっちまった。一足違いだ。惜しかったな」
「………………」
朗らかな父様の答えに絶句するアルテュール。
「あぅ。父様ぁ」
姉様の時といい、この人はどうしてこうなのだろう?
真実は変わらないのは確かだけれど、もう少し言い方があると思う。
「アルテュール、気をしっかり持ってください」
という僕の声に反応もなく、アルテュールはその場で固まったままだった。