姫君、始まりの朝(3)
「……」
目の前には、大きなデスクに着いたユーゴさん。
その前にいる私は、先生に呼び出しを食らった生徒の気分だ。
部屋に通されたのは私のみで、ユーゴさんと二人きり。
(氷の君かぁ)
ネリーは、ユーゴさんをそう言っていたっけ。
確かに、人を威圧するかのような独特な冷たさみたいなものがある。
「よく休めましたか?」
「は、はい! その、昨夜はすみませんでした。お見苦しいところをお見せしてしまって」
思わず声が上ずってしまう。
「以後気をつけるように。今日呼んだのはそのことではなく、今後についての注意点を述べるためです」
「注意点?」
「あなたがメイドとして、此処で働いていく上で守っていただきたいことです」
その言葉に、私は改めて身を引き締め頷く。
「はじめに、カイル様のことは今後、呼び捨て禁止です。“カイル様”もしくは“ご主人様”とお呼びすること」
そういえば、カイルのことはずっと呼び捨てにしていた。
よく考えれば、主になる以上は、それは無礼なことだろう。
「分かったら返事」
「は、はい!」
ユーゴさんに促され、私は慌てて返事をする。
「次に、この屋敷を取り仕切る私の命令には逆らわぬこと」
「うっ。はい」
これも仕方がない。
ユーゴさんは執事。
指示に従うのは必然だ。
「結構。最後に、カイル様が魔術を扱うことは絶対に他言しないこと。このことを知っているのは、ごく一部の限られた者のみですから。本来ならば、これを知ってしまったあなたは、ここにいていいはずはないのですがね」
どこか憂鬱そうに息を吐き出して、ユーゴさんはそう言い放つ。
「分かりました。けれど、なぜ隠す必要があるのですか?」
私の問いに、ユーゴさんは驚いたように目を見開き、微かに口元を歪める。
「あなたは馬鹿ですか? 魔術とはこの大陸の禁忌。魔力を持つ者など存在してはならない」
シニカルな笑みを浮かべ、ユーゴさんは強い口調になる。
「そんなっ。現に魔術師はいて、きちんとその能力を生かし、生活している人もいるではないですか」
魔術持ちが歓迎されないということは知っている。
だけど、“存在してはいけない”などとは、あんまりな言い方だ。
「存在してはならないのに、存在している。だから“禁忌”なのですよ。この大陸はまだ魔術を受け入れてはいない。しかし、それを使役する者もいる。それは世界のあざとさでしょうね」
伏せられた瞳が悲しげに揺れた気がしたけれど、それも本当に一瞬のことだった。
私へと向けられた視線は鋭く冷たい。
「カイル様は上位の貴族です。その血に魔力を持つ者がいると知られることは、一族の沽券に関わること。私やあなたがどうこう言うことではないのです」
「……」
「カイル様を取り巻く環境は、あなたが考えるほど気楽なものではありません」
ユーゴさんは苛立たしげに語尾を強める。
もしかしたら、ユーゴさん自身、理不尽さを感じているのかもしれない。
浅はかな言葉だったと後悔が過ぎる。
カイルにはカイルの問題がある。
それは、会って数日の自分が口出しできるようなことではないのだ。
「分かりました。カイル……様の秘密を誰かに話したりしません」
「その約束を違えれば、身の安全は保障しかねます。肝に銘じるように」
「……はい」
ヒヤリとするその言葉は脅しではないのだろう。
射抜くように強い視線が、それをもの語っている。
「あぁ。あと、あなたについてですが、昨日カイル様とメディシス将軍と一緒に来たことで、使用人たちの間でも、色々な噂が飛び交っているようです」
「そうなんですか?」
「ええ。ですが、砂漠でカイル様と出会ったということは話さぬよう。代わりの筋書きを作っておいたので、説明を求められたら、これを参考に説明するように」
と、私の元に来たユーゴさんは、小さいながら分厚い冊子を渡す。
「はい?」
タイトルは『田舎娘物語』とある。
「あの、これは……」
「私が書いた力作です。あなたの生まれから、ここでメイドになる経緯までが書かれています。まぁ、あなたのことですから事子細を話せばボロが出そうですから、42ページの表を元に、かいつまんで話すのがベターでしょう」
そう言われたので、42ページをパラパラと開いてみると表がある。
南の小国で生まれる(5ページを参照に覚えやすい地名を入れること)家族構成 両親・弟。→裕福な豪農だったがのち没落云々と、カイルとの出会いまでが見事に偽造されている。
もうこれはちょっとした劇が出来てしまうくらいに、完成された物語になっている。
「り、力作ですね」
「ええ。力作です」
何だか得意満面なユーゴさん。
「本来であれば、昨日のうちに渡すはずでしたが、部屋にあなたはいないし、その後逃げてしまったので、渡しそびれてしまったのです」
その言葉で、昨日いきなり現れたことに合点がいく。
(それにしても、一日でこの分厚い冊子を書き上げるなんてすごすぎる)
いろんな意味ですごい人だ。
「それを、しっかり活用するように」
「が、がんばります」
私は冊子を握りしめ、乾いた笑いを浮かべるのだった。