想いの後先に(3)
………………
…………
…
「あれ? あんまり痛くない?」
地面に落ちた衝撃はあったものの、思ったほどの痛みはない。
不思議に想いながら恐る恐る目を開ける。
「!」
リルディの眼下にはカイルの姿。
自分を抱きしめたまま、目を瞑ったカイルに蒼白となる。
痛みがないのは当たり前で、カイルが落ちるリルディのクッションとなったのだ。
「カイル?」
「……」
名を呼んだものの無反応。
不吉な予感に声が震える。
「や、やだっ。しっかりして、カイル! 死なないでっ」
そう言って力いっぱい揺さぶると、カイルは小さく噴き出す。
「勝手に殺すな。あれで死んだらまぬけすぎだろ」
ゆるゆると瞼を開けたカイルは、半べそのリルディを前に緩慢な動きで半身起き上がる。
「よかったぁ。カイル!」
「うわっ」
抱きつかれたカイルはバランスを崩し、リルディに押し倒されるようなかたちで地面に転がる。
「ごめんなさい! まさか魔術が発動しちゃうなんて。怪我してない!?」
「落ちきる前に、魔術で衝撃を和らげたから大丈夫だ。それに、落ちた場所もよかった」
そこは町はずれの緑化地。
人工的に植えられた植物が生い茂ったそこは、特別な式典などに開放される場所で、普段は一般市民は立ち入り禁止の場所だ。
おかげで、その場に人気はなく、誰に見咎められることもなかった。
「もし街中に落ちたら、大騒ぎだったよね。本当にごめんなさい」
「いや。お前には何の非もない。俺が馬鹿なだけだ」
リルディが寂しくないようにと、昔馴染みであるアランやアルテュールを容認しながら、側にいることに嫉妬していた。
そしてリルディからの不意打ちに理性が吹き飛んで、あんな醜態をさらしてしまったのだ。
「乱暴なことをしてすまない。呆れただろ?」
「ううん。嫌じゃなかったから」
「!?」
「カイルに触れられるのは嬉しいよ」
カイルを押し倒した状態のまま、その顔を覗き込みはにかんだ笑みを浮かべる。
「お前はまたそういうことを……」
リルディの無邪気さは、自分に与えられた試練なのではないかと、カイルは時々思う。
それは計算のない誘惑だ。
リルディに対して邪な考えだらけの自分には、かなりの試練だ。
自分の手でめちゃくちゃに穢して、誰にも触れさせず、閉じ込めてしまいたい。
心の奥底にある貪欲な想い。
絶対にリルディに悟られまいと隠してはいるが、それはふとした瞬間に表面化してしまう。
今も暴走してしまいそうな自分を必死に抑えているのだ。
「……コホン。前にお前に言ったよな? 警戒心を持てと。こういう体制でそんなこと言えば、俺じゃなかったら、もう襲われているぞ?」
何とか誘惑に打ち勝ち起き上がると、リルディを横に座らせ、真剣な口調で言い放つ。
「平気だよ。カイルにしか言わないから」
無邪気なほほ笑みを浮かべ放たれた言葉は、かなりの破壊力を持ってカイルに突き刺さる。
「……なるほど。これは俺専用の試練か」
「はい? 試練?」
大きく項垂れるカイルと、それを見て不思議そうに小首を傾げるリルディ。
「ピーっ!」
そんな二人のもとに、一羽の大鷹が悠々と舞い降りる。
「シーザー?」
リルディが腕を差し出すと、迷いなくその場に降り立つ。
「こいつは?」
「お父様の相棒。シーザーっていうのよ」
リルディの声に反応するように、シーザーは一度羽をはためかせ、挨拶するかのように一声鳴く。
その仕草にカイルは頷き応える。
「それで、どうしてここに? まさか、エルン王が?」
思わず声が固くなる。
南の賢王と呼ばれるリルディアーナの父親。
神出鬼没でつかみどころのないその男が、カイルは少し苦手でもある。
ひと時イセン国に滞在し、今はエルン国へと戻っていると安心しきっていたが、常識では測れない相手だ。
いきなり現れたとしても、なんら不思議はない。
よりにもよってこんな状況を見られたら……というのは考えたくもない。
「ううん。父様はいないわ。この子には、レイを捜すために手伝いをしてもらっているの」
リルディの言葉に安堵しつつ、続けて放たれた言葉は予想外なものだった。
「どういうことだ?」
「アランが思いついたことなの。魔術って便利だよね。まさか自分の映像と言葉をそのまま、届けられるなんて思いもしなかった」
数か月前に別れたきり、レイは忽然と姿を消した。
色々な方面で捜索は行われているが、未だに見つけ出すことが出来ていない。
レイを心配するリルディに、アランが魔術でメッセージを飛ばすことを提案したのはついこの間のことだ。
すぐにフレデリクにも話をつけて、シーザーを借り受け、メッセージを込めた宝玉を託していたのだ。
「またあいつは勝手なことを……」
「ダメ、だった?」
舌打ちでもしかねない程のカイルの苦渋の表情に、リルディは悲しげに瞳を揺らす。
「いや。そうではないが」
本心でいえば、あまり賛成は出来ない。
レイが未だにリルディに執心しているのは明白で、出来れば関わらせたくはないというのが本心だ。
だが、優しいリルディが心を痛め、何かしたいのだという気持ちも理解できる。
「あれ?」
リルディの声に、葛藤していたカイルは我に返り、その視線の先を追う。
「これは……」
シーザーの首には紐がかけられており、その先には小袋が吊るされている。
「ぴぃあぴぃあ」
まるで受けとれとでもいうような鳴声にその小袋を手に取る。
それを見届けて、シーザーはリルディの腕を離れ空高く飛び立つ。
「ありがとう、シーザー!」
手を振りお礼をいうリルディに答えるように、周りを大きく旋回してから、シーザーはエルン国の方角へと飛び去った。
「魔術の効力も消えていた。どうやら、無事にレイのもとへたどり着いて戻ってきたようだな」
「じゃあ、これってレイが付けたものなのかな?」
「多分な」
瞳を輝かせるリルディに、カイルは少々複雑な思いを感じながら頷く。
リルディの手のひらにおさまるそれは、小さくとても軽い。
微かな緊張を覚えながら、その小袋を開き、中身を取り出した。