尊い犠牲
執務室でエルンストが嫌な汗を流している頃、イセン国城の一室へとアランが降りたつ。
「到着っと。姫さん、いるか~?」
バルコニーから勢いよく窓を開け放ち、そのまま部屋の中へと、勝手知ったる足取りで歩みを進める。
「あれ? おっかしいな。この時間は部屋にいるはずなんだけどな」
「よく知っているわね。この時間は午後の勉強に向けて、自習の時間だものねぇ」
大きな独り言に答え、部屋の奥からにこやかにほほ笑みながら、ネリーが姿を現す。
「げっ。なんであんたが出てくんだ」
「それはこっちのセリフだわ! バルコニーから女の子の部屋に入るなんて、不法侵入で通報されるレベルよ!」
しまった、という顔をしたアランに、笑顔から一変、眉を吊り上げ猛抗議するネリー。
「だって扉の近くには護衛兵がいるじゃんよ。俺、姫さんの部屋に入室禁止令出されてるし。俺だって護衛なのにさぁ」
「当たり前でしょーが! 隙を見つけては、さぼりを唆してリルディを連れ出したのはどこの誰よ」
リルディもただイセン国に留まっているわけではない。
婚姻はしていなくても、イセン国王の妃候補であることには変わりない。
知っておかなければならない知識や作法は山とある。
そのため、毎日勉強に勤しんでいるのだが、そんなリルディを、アランは何だかんだと理由をつけては、遊びに連れ出してしまうのだ。
「だって俺は暇だし、姫さんも息抜き必要だと思うしさぁ」
「さぁ、じゃないわよっ。あなたは、リルディと刃の君……じゃなくてカイル王をくっつけたいわけ? それとも邪魔したいの? どっち?」
口を尖らせるアランに詰め寄り、凄みを聞かせて問いただす。
「なんつーか、男心は複雑なわけだ」
シレッと言い放つアランに脱力してガックリと項垂れる。
「にしても、信じらんねーよな」
アランは考え深げにマジマジとネリーを見ている。
「なによ?」
「いや~、化粧した時と別人じゃん? もう一回、あん時の色っぽいねーちゃんに会いた……痛っ!」
「お断りだわ」
アランの足を思い切り踏んづけて、ネリーはベーッと舌を出す。
「いいじゃんかよ。減るもんじゃなし~」
「煩いわね。あんな面倒なこと、そうそうしてたまるかって言うの」
「ちぇっ。つまんねー。……で? マジ、姫さんはどこ行ったんだ?」
部屋を見回しても、やはりそこにリルディの姿はない。
「カイル王とお出かけ中よ」
「はぁ!? 王様が真昼間から、女に現を抜かしてどーすんだよ。仕事しろよ」
「あんだにだけは言われたくないわね。それ」
心底呆れたような視線を向けられ、アランは一つ咳払いをし話題を変える。
「それにしてもだ。よくあの怖い宰相様を説得出来たな」
「まぁね。ともかく、今は邪魔者のアルテュール殿下もいないのだし、たまには思い切り二人の時間を持つべきなのよ」
一瞬遠い目をしてから、ネリーは息を吐いてそう言い放つ。
「そういや、王様が姫さんとこ行くと、かならずあのリンゲンの王子がいるもんな。姫さん挟んでダークなお茶会。あれ、楽しいのかね」
「あの子は楽しいみたいよ? アルテュール殿下の気持ちにも気づいてないし。あの子って、恋愛ごとになると、途端に鈍くなるから。見てるこっちがハラハラするわよ」
はた目から見れば、リルディを挟みカイルとアルテュールが火花を散らしているのは一目瞭然なのだが、とうのリルディはまったく気づいていないのだ。
「た、大変なのです!」
パタパタと小さな足音と共に、長い黒耳の少女が、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「どうしたの、ラウラ? そんなに慌てて」
耳長族と呼ばれる種族のその少女もまた、ネリー同様リルディ付の女官だ。
「ユ、ユーゴ様がこちらに向かっているのです!」
「はぁ!? なんでよっ。今日一日は干渉しない取り決めだったでしょうが!」
「急務が出来たとお話していたのです。エルンスト様が時間を引き延ばそうと頑張られたのですが、あまり時間を稼げなくて……」
「なぁにが、急務よ! 一日くらい王が仕事しなくたって、国は傾かないっつーの。どんだけ空気読まないのよ。あの男はっ」
妙に慌てふためく二人の姿に、アランは大きく首を傾げる。
「なにをそんな慌ててんだ? 今日の件は宰相様も承知してるんだろ?」
「してるわよ。二人が会うことはね。けど、どこで会っているかは教えてないのよ。ていうか、むしろ内緒にしてることなの」
「マジか!? おいっ。あの王様、うちの姫さんをどこに連れ込んでんだよっ」
てっきり庭園を散歩……程度だろうと思っていたのだが、ネリーたちの慌てようを見ると、そういうことでもないらしい。
若い二人だ。
場所によっては雰囲気に呑まれ先走るとも考えられる。
アランの頭の中で、良からぬ妄想が膨らんでしまう。
「連れ込むとか人聞きの悪い。っていうか、それどころじゃない!」
「はぅ。もう、渡り回廊の辺りまで来てるのです」
紅い瞳を潤ませて、ラウラは長い耳をせわしなく動かしている。
人より数倍聴力のいい耳長族のラウラには、着々と近づくユーゴの足音がはっきりと聞こえている。
「何か時間稼ぎを……」
ネリーはハタッと視線をアランに定め、しげしげとその姿を見つめる。
「は?」
その視線の意味を図りかねて、アランは間の抜けた声を出す。
「よし! あなた、リルディのためにひと肌脱ぎなさい」
「な、なんだよ。意味わかんねーんだけど」
分からないながら、嫌な予感がして思わず数歩後ずさる。
「リルディの部屋への不法侵入。その他諸々の生活態度について、あいつを交えてじっくり話し合いましょう」
逃げられないようアランの首根っこを摑まえてから、ニコリとほほ笑みを浮かべる。
「んだよそれ! 冗談じゃねぇっ」
「あなたはリルディを護るのが仕事でしょ! 今こそ、その役目を果たす時よっ」
「いやいや。それは違げーだろっ。お嬢ちゃんからも、何か言ってくれよ」
涙目で助けを求めるアランに、ラウラはフワリと天使の笑みを浮かべる。
「大丈夫なのです。アランさんの尊い犠牲はきっと忘れないのです。安心してください」
「……だ、大丈夫も安心も出来るかー!」
アランの悲痛な叫びがイセン国城に響いたのだった。