未来を紡ぐ者たち
「リルディアーナ、元気そう。よかったわ。イセン国王と幸せそう」
同じ頃、エルン国城のアンヌ妃の部屋。
ベッドから身を起こし、リルディからの手紙を読むアンヌは、幸せ溢れるその文面に顔を綻ばせる。
「いい加減、婚姻を結んじまえばいいのに。何をモタモタしてんだか」
アンヌに身を寄せながら、その手紙を覗き込むエルン国の王フレデリクは、不満げに口を尖らせる。
イセン国王とは知らず、リルディはたまたま砂漠で出会った男に恋をした。
想定外ではあったが、出会うべくして出会った二人は、お互いの本当の正体を知り、めでたくゴールイン……するはずだった。
それが、婚姻の儀であるその場で、意義を唱えたのは誰あろう、リルディ本人だった。
「結果的によかったのかもしれねーが」
リルディ自ら婚姻の儀を受け入れず、猶予期間を設けたことで、何も知らされていなかったイセン国の臣下たちは毒気を抜かれ、最大の不安要素であったメディシス宰相も、何の動きも示さなかった。
あの時、あそこでだまし討ちのように婚姻の儀を成立されていれば、リルディへの風当たりはもっと強くなっていただろう。
冷静なようでいて、自分もユーゴもひどく焦っていたのだろうと、フレデリクは思い返す。
あの場で、意外にも一番場を読み、偶然ではあるにしろ最良の決断を下したのは、他ならぬリルディ自身だった。
(ただのはねっ返り娘が、あんな毅然とした態度をとるとはな)
もっとも、その後のイセン国王の行動は、それらをすべて忘れさせるほどのインパクトがあったが。
「あの子はまだ、今回の婚姻の意味をまだ知らないのでしょう?」
リルディはランス大陸の者たちに、その身を狙われている。
そしてその脅威から唯一、守ることが出来るのが、ファーレンの門を有するイセン国の王族。
だからこそ、フレデリクはリルディをイセン国王と婚姻を結ぶよう、イセン前国王と秘密裏に誓約を交わしたのだ。
「カイルに口止めされてな」
すべてを聞いたイセン国王ことカイルは、リルディには婚姻が成されることの真意を告げないようにとフレデリクに頭を下げた。
『必ずリルディは守ります。ですから、後は俺にすべてを任せていただきたいのです』
リルディへそのことを話すか話さないか、それを含めて託してほしいと、そしてフレデリクはその願いを聞き入れた。
「けどよ、あいつに任せちまって本当によかったのか……」
「大丈夫。きっと大丈夫。あの子たちを信じて見守りましょう」
フレデリクの肩にもたれかかり、アンヌはニコリとほほ笑む。
「お前って、ホントにこういうとこは胆が据わってるよな。敵わねーや」
「フレデリクと一緒になって鍛えられたのだわ。あなたはいつも心臓に悪いことばかりするんですもの」
「なるほどな。いい女になっていくのは俺のおかげってことか」
アンヌを優しく抱きしめて耳元で囁きかける。
「相変わらず勝手なのだから」
吐息が触れ合うほどに近くにいるフレデリクに向かって、可愛らしく頬を膨らませ、けれど、目が合うと堪らず笑みをこぼす。
「うーん」
「フレデリク?」
じゃれ合う様に口づけを交わしてから、いきなり悩ましげに声を上げたフレデリクの姿に、アンヌは不思議そうに小首を傾げる。
「いや、ちょっと同情すんなっーと」
リルディアーナはあくまで“婚約者”
であれば、近くにいても迂闊に手を出せないだろう。
未だそういったことに無頓着なリルディはともかく、カイルにとっては生殺し状態だろう。
そんなことを思ってフレデリクは苦笑する。
「本当にイセン国王は苦労性だ」
「苦労を知っている人は強くなれるわ」
「ぷっ。違いねぇ」
それを決めたのもまたカイル自身。
後はどう未来を紡いでいてくかは、当人たち次第だ。
「でだ。……すっげー納得いかねーんだが、なんで俺宛の手紙だけないんだ!?」
そう。アルテュールが持ってきたリルディからの手紙は、クラウスやイザベラ、もちろんアンヌやエドゥアルトに宛てたものはあった。
それがどうしたことか、父親であるはずのフレデリク宛の手紙はなかったのだ。
「あ。私の手紙の最後にあなたへのメッセージがあったよ」
「なぬ!?」
そう言われて、アンヌ宛の手紙をみると、確かに最後一行に、“父様へ”とある。
『父様へ
いつまでも人にかこつけてフラフラしていないで、ちゃんと自分の仕事をしてよね』
「あ、あいつ、人の気も知らねぇでっ」
「あら? 知っているからなのではなくて?」
アンヌは憤るフレデリクにほほ笑みかけ、言葉を続ける。
「私には“自分のことは心配しなくても大丈夫だから、王としての政務をしてください”と読めるのだけれど」
「……」
事情は何も言っていない。
それでも何か感づいた部分があるのかもしれない。
「ま、あいつらしいちゃ、あいつらしいか」
素直じゃない娘の手紙にフレデリクは苦笑し、ゆっくりと腰を上げる。
「フレデリク?」
「そろそろ休め。すまなかったな、こんな時間に長いしちまって」
「平気。今日は気分がいいから」
その答えは嘘だ。
と、フレデリクは思う。
陽の光のないランス大陸の民であるアンヌは、昼間の強い日差しにとても弱い。
それは年を追うごとにひどくなっていき、今では日中起きていることさえ負担になる。
今もひどく体調はすぐれないはずだろうに、アンヌは幸せそうにほほ笑む。
その笑顔に胸の奥が疼くように痛む。
「また夜に来る。その時に、たくさん話をしよう。だから、今は寝ておけよ」
「ええ。おやすみなさい」
名残おしそうに延ばされた手に口づけを落とし、フレデリクは部屋を後にした。