君と一緒に
アルテュールが部屋を出て、エドゥアルトも見送りのために退室し、後にはクラウスとイザベラが残る。
「意外でしたわ」
手紙を読み返し、締まりない顔をしていたクラウスに、イザベラは静かに言い放つ。
「あなたは、ここには戻って来ないと思っていましたもの」
「……」
クラウスが顔を上げると、イザベラはツンッと顔を背け、目を合わさないまま続ける。
「姫様をイセン国王に託し、あなたはきっとイサーク・セサルの元へと向かうだろうと思っていましたわ」
「あぁ。……そうしようと思った時もあった」
その答えに、片付けようとティーカップに伸ばしかけた手を止め、今度は真っ直ぐにクラウスへと視線を向ける。
「今は、どう考えているんですの?」
「あいつを許したわけじゃない。本当なら、今すぐにも息の根を止めに行きたい」
湧き上がる憎しみは、呪縛が解けてなお、身を焦がすほどの怒りを掻き立てる。
「もし行くと言うのなら、私も一緒に行きますわよ」
イザベラは歩み寄り、強く握りしめたクラウスの拳に触れる。
「イザベラ?」
「あなたの命を貰い受けた時から、私はあなたを護る義務がありますもの。あなたを独りきりで行かせたら、きっとまた闇に囚われてしまいますわ。それは姫様も……それに私だって絶対に嫌ですからっ」
そんなイザベラの髪に口づけを落とし、クラウスはそのまま震える小さな肩をすっぽりと抱きしめる。
「イザベラ。ありがとう」
「お礼なんていらないですから、独りで行ったりしないと約束してくださいまし」
「心配しなくても大丈夫。俺はどこにも行かないから」
「本当……ですの?」
クラウスを不安げに見つめ、潤んだ瞳を瞬かせる。
「あぁ。一時は刺し違えてでもと思った。けれど、それは違うんだって気が付いた。憎しみに囚われてあいつと対峙しても、きっと俺は負ける。下手をすれば、またあいつに利用されかねない。俺はまだまだ未熟で、きっとすごく弱いから。だから、こうしてすぐに君に甘えてしまう」
「弱いことは悪いことではなくてよ? 悪いのは弱さを認めず、強くなろうとしないことですわ」
「はは。耳が痛い」
「でも、もう大丈夫ですわ。クラウスはきっと強くなります。そのうち、私なんて必要なくなるくらいに」
ボロボロに傷ついて、死ぬことだけを救いにしていたクラウス。
そんなクラウスを放っておけず、半ば無理矢理立ち直らせた。
それでも、根底にある闇は拭い去れず、その心は時おり、闇に囚われてしまう。
けれど、エルン国を離れたほんのひと時、クラウスの中の何かが変わり出した。
あれほど嫌っていたアランに主を託し、エルン国に戻り騎士団長として、日々の責務を果たしている。
やっと“自分”が生きることを見出しているのだ。
それはもうイザベラがいなくても、一人で立っていられるようになるということ。
「それはないな。だってイザベラは、俺の命を貰ってくれたんだろ? イザベラがいなくちゃ、俺は生きていけない」
「別に私に縛られる必要はないですわ。もう、あなたは自由に生きるべきですわ」
“恋人”
誰もがクラウスとイザベラの関係を認めている。
だが、イザベラだけはそう認めていない。
クラウスが欲しているのは心のよりどころ。
主であるリルディが“生きる目的”なら、イザベラは“死ねないことへの言い訳”になっていたに過ぎない。
“生きること”を選んだ今、自分の役目は終わったのだ。
ヒナ鳥が初めて見たものを親だと認識するように、クラウスは引き留める存在である自分を、好きだと思い込んでいるだけ。
イザベラはずっとそう思っていた。
「……イザベラは俺を捨てるの?」
「な、なんでそうなりますの!?」
あまりにも予想外の答えに、クラウスを見返すが、その瞳は本気で悲しげに揺らいでいる。
「だって、つまりそういうことだろう? 姫様の騎士じゃなくなった俺なんて、何の魅力もないだろうし」
「あ、あなた馬鹿ですの!? あなたに想いを寄せる女性はたくさんおりますのよ? 私なんかに固執する必要はないですわ」
クラウスはモテる。
優しく柔和で美丈夫。
顔もよければ性格もいい。
最初からイザベラに懐いていたクラウスを見て、知らぬ間に皆に“恋人”と公認されてしまっていたから、みんなイザベラに遠慮しているだけだ。
ただの勘違いだと思いながら、その関係は居心地がよく、今日まで来てしまったのだ。
「馬鹿はイザベラの方だ。俺はイザベラ以外の伴侶なんていらない。他の誰に想われても嬉しくない。だから、イザベラに捨てられても、何度でも求愛するから」
「な、何を……」
「それで俺の何が嫌? 今すぐ速攻直すから」
呆気にとられるイザベラを大真面目な顔で覗き込む。
「……そういう鬱陶しいいところが嫌ですわ。馬鹿なのに人のことを馬鹿っていうところもムカつきますし。なにより、思い込みが強すぎで手に負えないところが最悪ですわ」
「うっ。が、がんばって、直す……から。……イザベラ?」
「ほんとに馬鹿ですわ。勝手にすればいいでしょ」
耳と尻尾の垂れた犬のようにシュンッとするクラウスの胸に顔を埋め、消え入りそうなほど小さな声で呟く。
「あぁ。勝手にする。俺は何があってもイザベラと共にあるから。この国と姫様をイザベラと見守り続けることが、俺の唯一最大の幸せだ」
「私だって、そうであったら嬉しいと思いますわ」
「イザベラ……」
瞳を潤ませ自分を見つめるイザベラに、クラウスは顔を近づけた……その時だった。
「はぁ。アルは本当に行ってしまったよ。僕も一度姉様に会いに……あ。で、で、で、出直してきますねっ。お、お邪魔しました!」
あと数センチいうタイミングでそれを目撃したエドゥアルトは、慌てて踵を返し、その場を後にした。
「……」
「………いやーっ!! 最低っ」
「ぐわっ」
我に返ったイザベラは拳を振り上げ、それはクラウスの頬にクリティカルヒットし、弧を描き宙を舞う。
「どさくさに紛れて何てことをっ。うっかり雰囲気に呑まれてしまいましたわ」
「だ、だって、イザベラが可愛い顔をするから……」
「なっ。もう知りませんわ! しばらく、私に近づかないでくださいまし」
「えぇ!? そ、それは無理だ……って、イザベラ~」
すでにその場を片付け、イザベラは部屋を後にしていた。
取り残されたクラウスは悲痛な声を上げ、ガックリと項垂れた。
「今日もエルン国は平和でなによりっすね。うん」
イザベラに素気無くされる落ち込むクラウス。
それはエルン国城で見られるいつもの光景。
窓の外でその様子を目撃した副隊長カウスは満足げに大きく頷いた。