イセン国王とエルン国の姫君(3)
その場は大きくざわめき、誰もが異を唱えた人物を唖然として見ている。
「……」
リルディを見つめるカイルは、初めて王の仮面を外し、息を呑み相貌を崩す。
「今、何かおしゃいましたか? 私の聞き間違えでしょうか?」
冷たい声音でユーゴが刺すようにリルディを見る。
後ろに控えていたラウラとネリーもあまりのことに呆気にとられている。
「異議があると言いました」
騒然とするその場で一人、リルディは落ち着いた声でもう一度言葉を放つ。
「あなたは何を……」
「理由を聞きたい」
ユーゴの言葉を遮り、玉座に座るカイルが静かに言葉を放つ。
「私は、自分が好きになった人と結婚をするつもりです。それが私の夢なのです。だから、政略的な婚姻はしたくありません」
「……それはつまり、余との婚姻を拒むと言うことか? そなたが好きな相手は別にいると?」
胡乱な眼差しのカイルの問いに、リルディは臆することなく答える。
「“はい”とも“いいえ”とも言えます。私はまだ、玉座に座るあなたのことを何も知りません。カイルワーン王陛下」
イセン国の王としてのカイル。
カイルワーン・イセンのことを何も知らない。
正式な名さえ、今ここに来て初めて知ったのだ。
「そして、あなたもここにいらっしゃる方々も、私のことは何も知らないでしょう」
四方を見回し柔らかくほほ笑む。
その姿に、固い表情を浮かべていた臣下たちは面食らいながらも、表情を少なからず軟化させる。
リルディの屈託ない態度は、まるで太陽の光が差し込んだかのように、その場の空気を和ませる。
「どうかお時間をいただけませんか?」
小さな頃から、その見た目からいつも奇異な眼差しを向けられ、だからこそ、リルディは人の負の機微には敏感だ。
今この場で、自分はまだ受け入れられてはいないのだと分かっていた。
「何も分からず気持ちも定まらないまま、婚姻の儀に賛同することはできません。暫し時間をいただきたいのです。私が“カイルワーン・イセン”を知るための。あなたとこの国が“リルディアーナ・エルン”を知るための」
主とメイドとしてではなく、一国の王と姫と対峙した今、環境は目まぐるしく変わり、その関係もまた変わるだろう。
けれど“想い”は変わらない自信がある。
だからこそもう一度、お互い本当の姿で見えた今から、新たな関係を気づきたいと思った。
「リルディアーナ、これは国同士の誓約だ。お前に異を唱える資格はない」
フレデリクは憮然とした表情でリルディへと言葉を向け、ユーゴも軽く息を吐く。
「そんな理屈は通りません。”時間“はそれほどないのですから。そうですね。イセン国王」
ランス大陸にその身を狙われているリルディ。
ファーレンの門が開く前に、イセン国王の“モノ”であるという確固たる証を立てておかなければ、その身は危険に晒されることとなる。
「我がままは承知しています。それでも、これは私の譲れない想いなのです」
「……」
リルディを見るイセン国王の瞳は、狂おしいほどの熱が込められている。
その瞳に囚われそうになるのを必死に堪え、真正面から受け止め見つめ返す。
「……お、恐れながら、どうかリルディ……ひ、姫君の想いをお聞き入れくださいませっ」
「控えるように。侍従ごときが口を出すことではありません」
声を震わせながら懇願するラウラの言葉を、ユーゴは冷たく一蹴する。
「あ……」
その言葉に真っ青になり項垂れるラウラを庇うように、ネリーが一歩前へと進み出ると、ユーゴへと挑む様に視線を向ける。
「それはあなたもではないのですか? アリオスト宰相。我が祖父は常々申しておりました。臣は影のように王の側近くに仕えるが、けれど王より前に出るものではないと」
そう言い終え、挑発的に艶やかな笑みを浮かべる。
ユーゴは想わぬ反撃に、一瞬言葉を無くすが、次の瞬間には冷笑を浮かべ、ネリーを睨み返す。
「……さすがは、王の白き翼と謳われたイセンきっての名相、バーニ前宰相閣下の孫娘。お言葉痛み入ります」
「いいえ。差し出がましいことを申しましたわ」
ユーゴに負けじとネリーも睨み返し、二人の視線が絡み火花散る。
ネリーの思わぬ正体に、その場にいた者たちからは小さなざわめきが起こる。
正体不明の姫君に付き従う美女。
それがイセン国きっての名相の孫娘。
未だその名に影響力は大きく、だからこそユーゴはネリーに目を付けたのだが、まさかそれを逆手にとられるとは想定外だった。
思わず小さく舌打ちする。
(利用ばっかりされてたまるかっていうのよ)
心の中で毒吐きながら、ユーゴが相貌を崩したのを見、溜飲を下げ、振り返ったリルディに軽くウィンクを返す。
「リ、リルディは間違っていないと思うのです」
真っ赤な顔になりながらラウラも大きく頷く。
「ネリー、ラウラ。ありがとう」
想いを分かってくれる味方がいる。
それは何よりも心強いことだった。