決断の時(2)
「え? えぇ!? アル!」
視線を向ければ、そこにいたのは何年ぶりかの幼馴染の姿。
エルン国の隣りにあるリンゲン国の第二王子。
アルテュール・リンゲンは小さな頃からよく遊んだ、気心の知れた間柄。
けれど、突然遊学の旅に出てしまって、こうして会うのは数年ぶりだ。
「どうしてここにいるの? いつからここに? リンゲン国に戻ったんじゃなかったの? うわー。久しぶり。変わってないなぁ。あ、でも少しだけ背が伸びたよね? 元気だったの?」
「……矢継ぎ早に言葉を放つな。相変わらず落ち着きのない奴だ」
駆け寄った私を一瞥し、アルは呆れたように軽く息を吐く。
「ごめん。なんだか嬉しくて」
本当に変わっていない。
気だるそうな雰囲気とつっけんどんなものの言い方。
見た目は中性的で柔らかな雰囲気なのに、言葉はストレートで遠慮がない。
「呑気にもほどがあるだろ。エルン国に行ったら、お前はボンクラ騎士とイセン国に向かったというし。こっちがどれだけ心配したと思っているんだ?」
「心配して探しに来てくれたの?」
「お前のことだから、何かやらかすだろうと思ってな」
こういう優しいところも変わっていない。
突然いなくなった時は、悲しくて腹立たしかったりもしたけれど、こうして顔を見るとやっぱり単純に嬉しい。
「うん。色々やらかしたけど元気だよ。でもよく、此処が分かったね?」
というか、なぜ普通にイセン国城にいるんだろう?
いつの間にかエルンの姿も消えているし、本当に何がどうなっているのかさっぱりだ。
「……お前、今がどういう状態か理解してないだろ?」
「うっ。だって誰も教えてくれないし。アルは知っているの?」
「此処に連れてこられた時点で察するだろ。普通」
「え? どういうこと?」
呆れとも苛立ちとも取れる表情で再度息を吐く。
「イセン国王のところに連れていかれるんだよ。婚姻の儀のために」
「へ? えぇ!? 嘘っ。嘘でしょ!?」
確かに、イセン国王に会うかもしれないってことは思ったりもしたわよ?
だけど、まさかそんな大事が用意されているなんて、思いもしなかった。
大体、何でよりにもよってカイルが此処に連れて来たのか。
「落ち着け」
「落ち着けないわよ! だ、だって、そんなの困るよ。いきなり結婚なんて!」
「なら、俺と逃げるか?」
パニック状態の私に、事もなげに言葉を放ちアルは私の腕を掴む。
「アル?」
私の腕を掴むその手が、思っていたよりずっと大きくて力強くて驚く。
小さな頃はむしろ私の方が勝っていて、アルの腕を掴んで引っ張りまわしていたのだけれど。
いつの間に、こんなにも逞しくなっていたのだろう?
「イセン国王と対面すれば、お前の意志なんて加味されない。儀礼的にことが進んで、強制的に婚姻の儀がなされる。お前はそれでいいのか?」
「……」
「お前が頷けば、俺はお前と逃げてやるよ。こんな大国の王妃なんて、リディには似合わない」
そのまま腕を掴んで引っ張れば、簡単に連れて行けるのに、アルはそうはしない。
私の答えを辛抱強く待っている。
昔からそうだった。
無鉄砲な私にあきれつつ、いつも付き合ってくれていた。
きっと私が望めば、本当に一緒に逃げてくれるだろう。
だけど……。
「ありがとう。何だか落ち着いてきた」
「いいのか?」
「うん。私は逃げないよ。もともと、イセン国王に会うために、エルン国を出たんだもの。きちんと会って話をして来るわ」
「ったく。考えが甘すぎる。お前は公の場に晒されることになるんだぞ? 言いたくはないが、南の国とは違うんだ。この大国ではお前を知りもしないで、侮蔑する輩だっている」
アルが言わんとすることは分かっている。
ランス大陸の民である母様から受け継いだ、金の髪に白い肌。
幾度、奇異の目にさらされ、いわれのない言葉を放たれただろう。
「ふふ。アルはいつもそういう人たちから、私を守ってくれていたよね」
舞踏会や晩餐会。
最初の頃は萎縮して戸惑っていた。
そんな私の隣りで、ある時は相手を睨み倒して、ある時は私の手を引いて会場を連れ出して。
私を傷つけまいと、いつも気遣っていてくれた。
「呑気に笑っている場合か」
「心配しないで。きっと平気。最初はね、奇異の目で見られたり、嫌なことを言われたりするかもしれない。だけど、知り合って話しをすれば、分かり合うことだって出来ると思うから」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃないかもしれない。だけど、不可能ではないでしょう? だって、こうしてアルと私は友達になれたんだもの」
イサークの魔術に囚われていた時に思い出したこと。
アルは初めて私を見た時“化け物”と言った。
私のような見目の人を見たことがなかったのだから、それはきっと仕方のないことだったのだと思う。
だけど、アルはそれをずっと負い目に感じている。
私が忘れてしまったから尚更。
「リディ、まさか思い出して……」
「“友達になってくれますか?”」
遠い昔、私はそう言ってアルに手を差し出した。
けれど答えを聞く前に拒絶され、私はすべてを忘れてしまった。
だから、今ここでやり直す。
「……今更だ。お前は俺にとって友人以上の存在だ」
差し出した私の手を取り、アルはふわりとほほ笑む。
皮肉を交えない天使のようなほほ笑み。
「えへへ。友人以上ってことは親友ってことだね」
「はぁ!?」
「照れない。照れない。ふふ。嬉しいな」
数年会っていなくても、アルとの関係はなにも変わらない。
それどころか、絆は深まったのかもしれない。
そう考えると、思わず頬の筋肉が緩んでふにゃふにゃしてしまう。
「いや、待て。なぜそっち方向にワンランクアップさせるんだ? 俺は男でお前は女だろ?」
「うん。性別を超えた友情。母様もね、大親友がいるんだけどね、男の人なんだって。だから、ちょっと憧れてたんだ。嬉しいな。アルに親友って言ってもらえて」
ウキウキする私とは対照的に、アルはなぜか項垂れて、握った手も何だか震えている。
「そう来るのか。そうか、そうか。そうだよな。お前はそういう奴だ。くそっ。そんな顔されたら、もう何も言えないじゃないかっ。なんだよ、親友くらいで喜ぶなよ。あー、くそっ」
なぜかものすごく憤っているように見える。
「えーと。私、何か変なこと言った?」
「別に。このくらいのこと今更だ。……それより、このまま進むって決めたのなら、サッサと行けよ」
いつの間にか回廊の終着点。
数メートル先に一つの扉。
覚悟は決まっている。
イセン国王と会うこと。
それはきっと私には必要なこと。
だからこそ、カイルもここに私を連れてきたのだろう。
「忘れるな。俺は何があってもリディの味方だ。お前はお前らしく、胸を張っていけ」
「ありがとう。アル。行ってくる!」
アルに見送られ、回廊の先にある扉へと向かって歩みを進めた。