悪夢の終わり
クラウス視点。
2人の帰りを待つ者たちのもとに……。
長い……いや、もしかしたら瞬くような短い時間だったのかもしれない。
それは唐突に訪れた。
姫様を飲み込んだ球体はその形を崩し、黒い煙となり霧散した。
まるで霧がかったように視界を奪われ、次の瞬間には二つの人影があった。
「!?」
ほんの数秒、その場にいた誰もが目を奪われ言葉を無くす。
金色の光を纏い寄り添うその姿。
昔読んだ神話を思い出す。
太陽を閉じ込めた金の瞳に、夜空と見まごう漆黒の髪色をした太陽神。
それに寄り添うは、青空を瞳に映し、月光に煌めく金の髪をした月の女神。
まだ心を通わせていた頃の二神の姿。
まるで二人が対のように、寄り添い見つめ合う姿は神々しく美しい。
近づくどころか声を発することさえ、忘れてしまったほどに。
「姫様!」
やがてお二人を取り巻く金の光もカイルワーン王の瞳も闇夜色へと変貌し、夢から覚めたように我に返る。
「クラウス!」
駆けつけた俺を見た姫様は、いつもと変わることのない、陽だまりのような笑顔を見せる。
その姿にひどく安堵しながらも、何も出来ずにいた自分への憤りが胸を締めつける。
「申し訳ございません! 俺が不甲斐ないばかりに、姫様を危険に晒してしまい……」
姫様に拾われ、イザベラにこの命を預けた時から、俺はすべてのことから姫様を守るのだと、誓ったはずだった。
それが何という様だろう?
苦しむ姫様を前に何の手立ても打てず、ただ突っ立っていることしか出来ないと言う体たらく。
(やはりあの時、刺し違えてでもあの男を殺すべきだったんだ)
イサーク・セサル。
暗殺者集団の長であり、俺の人生を狂わせた悪魔のような男。
今もまた、俺の唯一無二の主である姫様を毒牙にかけようとしている。
怒りと憎しみの感情は抑えようもなく、俺の心を浸食していく。
「ダメだわ」
「姫……様?」
黒く埋め尽くされる意識が、姫様の温かな声で引き戻される。
固く握りしめた手に、姫様の手が添えられる。
「そんな顔をしないで。私は大丈夫だから」
柔らかな姫様の手から伝わる温かな光。
すべてを暗闇に飲み込まれそうな俺を導き引き戻す。
昔から何度となく体験している不可思議な感覚。
「俺は……っ!」
だが、今回はそれだけじゃない。
姫様に触れられた手から淡い光が伝わり、それは腕に肩に、体すべてを包み込み、光が俺を覆い尽くす。
「これって……」
光を生み出した姫様にも予想外の事態だったのか、驚いたように目を瞬かせている。
「あ……れ……なんでっ」
光はやがて胸元に集まり、体の奥深くへと吸い込まれた。
吸い込んだそれの確かな温もりを感じた瞬間、自然と涙が溢れていた。
「え!? クラウス、どこか痛むの? どうしよう。さっきの光の所為?」
狼狽える姫様を前に、俺は止まることのない涙を拭いながら、何とか言葉を紡ぐ。
「違っ。はは……まさかこんなことがあるなんて……姫様、やはりあなたは俺の女神だ」
膝を付き深々と頭を垂れる。
涙は痛みでも悲しみからでもない。
胸に広がる温かなこの想いは、きっと言葉になど言い表せない。
「クラウスの中の悪しき魔力が完全に浄化されたんだ」
言葉を発することさえままならない俺に変わり、カイルワーン王が説明をする。
そう。イサーク・セサルによって奥深くに植え付けられ、完全に消し去ることが出来なかった魔の力が俺の中から消滅した。
それはイサーク・セサルの呪縛から、完全に解き放たれたことを意味する。
「それって、クラウスを苦しめていた発作がなくなったってこと?」
「あぁ。お前の力だ」
「ううん。違うよ。私だけじゃ、ずっとダメだったんだもん。さっきの光はカイルから力をもらって出来たものだから、カイルのおかげだよ」
「いいえ。二人のお力です。姫様。カイル様。ありがとうございます」
跪いたまま、深く頭を垂れる。
いくら礼をのべても足りないほどの大恩だ。
「いい。顔を上げろ。今回、俺一人ではリルディを助け出すことなど出来なかった。感謝するのは俺の方だ」
「クラウスには、昔からそれはもう山のようにお世話になってるんだから。おあいこだよ」
「あぁ。こんな型破りな姫の騎士だ。苦労は推し量るに難くない」
続けて放った姫様の言葉に、カイルワーン王は感慨深げに頷く。
「うっ。悪かったわね。お淑やかなお姫様じゃなくて」
「いや、そのおかげで、俺はリルディに出会えたんだ。俺はそういうお前を愛おしいと思う」
真顔で放たれたカイルワーン王のストレートな言葉に、頬を赤くしながら姫様ははにかんだように幸せな笑みを浮かべる。
寄り添う二人は本当に幸せそうだ。
俺に飛びつき、片時も離れようとしなかったあどけない顔をした小さな姫様。
それが、美しい一人の女性へとなられた。
そして自分で運命を切り開き、心通わせる伴侶となる相手を見つけ出したのだ。
やはり、俺が仕えた主が姫様であったことを誇りに思う。
「あれ? そういえば、レイとテオさんは? ここに戻ってきた時、姿を見た気がしたんだけど」
姫様の声に振り返れば、確かにそこに二人の姿はない。
「申し訳ありません。少し目を離した隙に、お姿が消えておりまして。追手を差し向けますか?」
「……いや。放っておけ」
エルンストの問いに、暫しの沈黙のあとカイルワーン王は短く答える。
「ですが、また何か仕掛けてくる可能性もあるのでは?」
カイルワーン王の弟君の、姫様への執着は度を越したものがある。
厄介なことに、テオとう魔術を扱える従者もいるのだ。
差し出がましいことは承知しているが、口を挟まずにはいられなかった。
「そうであっても、今度は必ず俺が守る。それに、あいつがああなったのには、俺の所為でもある。力で抑えることはしたくない」
「うん。レイは悪い人じゃないよ。テオさんだって。私、もう一度レイと話がしたい」
「ですが……」
「レイにはテオが付いている。これ以上、馬鹿な真似はさせないはずだ」
「分かりました。我が主がそう言うのであれば」
不満げながら、エルンストはカイルワーン王の言葉に従う。
「はぁ。どいつもこいつもお人好しすぎ。これだから、坊ちゃん、嬢ちゃんは」
遥か後ろから、アランがため息交じりに呟く。
「アラン! 怪我は大丈夫なの? あの人に見つからなかった?」
「おかげさまで。……てか、まぁ今度は違う危険があるんだけどな」
チラチラと俺の様子をうかがいながら、アランは乾いた笑いを浮かべる。
どうやら、俺の間合いに入ることを警戒して距離をとっているらしい。
「クラウス。アランは私を命掛けで助けてくれたのよ」
アランの言わんとすることを理解し、姫様は懇願するように俺の顔を覗き込む。
「大丈夫です。何もしませんよ。……今は」
「最後の一言が怖いっつーの」
間合いに入らないことは賢明だったと思う。
姫様と会話する前であれば、一思いに息の根を止めていたかもしれない。
カイルワーン王に働いた非礼を考えれば、そうされても文句は言えないはずだ。
「カイル様」
「あぁ。分かっている」
エルンストに促され、カイルワーン王は頷き、姫様へ言葉を向ける。
「すまないが、もう少し俺に付き合ってほしい」
「? 構わないけれど」
カイルワーン王がどこに向かおうとしているのか、多分姫様以外の面々には察しがついている。
「カイル様。俺の砂馬を使ってください」
俺は乗ってきた砂馬をカイルワーン王へと差し出す。
「あぁ。すまない。だがそうすると、お前はどうする? アランを独り残しておくわけにもいかぬだろう?」
「俺も残ります。あとで追いかけますから」
「そうか」
「はい。それから、アランの処遇ですが、俺に一任いただけませんか?」
相手は暗殺者のトップクラス。
本来なら、一介の騎士ごときには手に余る存在。
カイルワーン王は暫しの思案ののちに口を開く。
「分かった。好きなようにしろ。お前の判断に任せる」
「ありがとうございます」
「クラウス、アランと仲直りしてね」
「……善処します」
カイルワーン王の砂馬に引き上げられた姫様は、心配そうに俺とアランを見る。
「……」
すでに観念しているのか、アランは口を挟まずただ静観している。
「エルンスト、姫様のこと頼みます」
「分かっています。あなたも無茶をしないように。大切な身体ですから」
「……大切な身体」
「大切な身体?」
エルンストの返しに、カイルワーン王の生温かい疑惑の目と、姫様の好奇心に満ちた瞳が俺へと向けられる。
「だからおかしな言い回しをするな!」
イセン国の警備隊へ引き入れるという意味なのだろうが、おかしな方面へも捉えられなくもない。
ここにイザベラがいたら、間違いなく銃を向けられていただろう。
「……ともかく、すぐに追いかけますから」
その言葉を聞くと、三人はその場から姿を消し、後には俺とアランが取り残される。