闇の中(1)
カイル視点。
たどり着いたそこに、待ち受けていたのは……。
(ここは……)
たどり着いたのは、あまりにも予想外の場所だった。
「書庫?」
そこは、見慣れた屋敷の書庫。
だが、理路整然と本が棚に収まり、綺麗に整えられたそこは、今の書庫じゃない。
かつての主……クリスがいた空間だ。
懐かしく愛しい、そして悔恨深い場所。
「幻覚か」
リルディが取り込まれている、陰の魔力が満ちている空間。
精神を乱すために、思い入れが強い場所を映すことは十分にありえる。
「……」
ここのどこかに、必ずリルディがいるはずだ。
こんなことで怯んでいる場合ではない。
「久しいな、カイルワーン」
「!?」
踵を返した瞬間、耳に届いた声に反射的に振り返る。
そこにいたのは、もう二度と見えることはないはずの男。
「ゼルハート・イセン」
「父であり王でもある余を呼び捨てとは、貴様も偉くなったものだな」
口元に浮かべた酷薄な笑みと、人を威圧する冷たく鋭い瞳が俺を射抜いている。
幾多の戦場を駆けぬけ、奪い殺し、イセン国を大国へとのし上げたその男は、病に倒れ呆気なく命を落としたはずだ。
ここにいるはずはない。
「……お前に構っている時間はない。過去の妄執は消え失せろ」
「ククッ。余を呼び寄せたのは貴様だ。天翼にも人にもなれぬ紛い物よ」
「!?」
「お前は、愛しき者を連れに来たのだろう? だが、果たしてそれは良きことか?」
まるで獲物をいたぶる猛獣のごとく眼差しを向け、男は低く喉を鳴らし笑う。
「どういう意味だ?」
「貴様が一番分かっているのではないか? この屋敷の主は、なぜ命を落としたのだったか」
言葉と共に、倒れこむ人影が浮かび上がる。
いつの間にか、血だまりが床を赤く染め上げている。
「っ!」
それが幻覚だと分かっていても、その光景は俺の心を追い詰める。
忘れるはずもない。
それはクリスの命が消える光景だ。
天翼に命を狙われた俺を、身を呈して庇ったクリスの姿が目の前にある。
「やめろ……」
「貴様の母親も、お前を生み落としたばかりに命を落とした。レイの母親はどうだ? お前が王位を奪ったばかりに、城を去ることになり、旅先で死んだ」
「煩いっ」
「貴様の周りは死臭に満ちている。そして、これからも死の影は消えぬだろうよ。紛い物の命を持つ王」
ゼルハート・イセンの言葉は、心の奥深くを的確に突き刺す。
そうだ。
俺は多くの者を巻き込み、この“生”を長らえている。
命を落とさずとも、翼を失くしたテオや、王位を奪われたレイ。
人生を狂わされた者も少なくはないだろう。
「果たして、貴様は愛しき者を救えるか? いや、救うどころかその運命を捻じ曲げ不幸へと誘うだけだろう」
「……」
もし俺と出会わなければ、リルディはイサーク・セサルに目を付けられ、こんなところに閉じ込められることもなかったのかもしれない。
そして俺ではなくレイがイセン国の王になっていれば、運命のように二人は出会い、やがて想いは通じあっていたのではないか。
「俺は……」
「貴様は存在してはならなかった。貴様はいらぬ存在だ」
耳元でそう囁かれ、足元がグラリと揺れる。
体が熱くなり、制御出来ていたはずの魔力が暴走を始める。
すべてを破壊しつくし、消してしまいたい衝動に突き動かされそうになる。
『この世にいらない存在なんてない』
その時、声が響いた。
『カイルが暴走しそうになったら、何度でも私が止めるよ。誰かを傷つけさせたりしない』
神々しいまでの清らかな光を纏い、微笑むリルディ。
それは、闇に覆い尽くされた俺を救い出してくれた言葉。
「……俺は確かに紛い物かもしれぬ。だが、それでも足掻き生きることを選択したんだ」
リルディを守り抜くと決めた。
魔力あることを否定せず、偽ることのない王になるのだと、彼女へ想いを告げた時に誓った。
「だから、ここで立ち止まるわけにはいかぬのだ!」
「くっ。あぁ!」
精神を集中し、光の刃を創り出し切り裂くと、ゼルハート・イセンを形作るモノは消え失せ、黒い煙へと変わる。
「もうあんたの傀儡でいることはやめたんだ」
死してなお、俺を縛り付けていた男へ決別の言葉を放つ。
いや、勝手に縛られ諦めていたのは、俺自身だったのかもしれないが。
「カイル、君は強くなったんだね」
「なっ。クリス……」
黒い煙はクリスの容へと変わる。
銀フレームのメガネの奥から見える、優しい眼差し。
無頓着にボサボサの髪。
華奢な体に纏ったヨレヨレのシャルワニにチェリダール姿。
「ねぇ、ボクは君の所為で死んでしまったんだよ? それでも、君は生きるの?」
懐かしい声で紡がれた言葉は、俺の心を惑わせるもの。
「君なんか引き取らなければよかった。あの時、君が死んでいればよかったんだ」
「……」
「君は所詮まがい物なんだよ。天翼でも人でもない。この世にいてはいけない存在だ。だからさ……今からでも消えてよ!」
襲い掛かかって来たそれを、光の刃で一刀両断にする。
「ボクを……君を助けたボクをまた殺すの?」
「クリスを侮辱することは許さぬ。クリスは、いつも自分より人を優先する奴だった。天翼だとか人だとか、まして俺が何者かなんて、まったく無頓着だったんだ。それに……」
今でも鮮明に思い出すことが出来る。
『君は生きるべきだ。生きて幸せになりなよ。ボクが君やテオに出会えて幸せだったように、君にもそんな人に出会ってほしいんだ』
誰よりも俺が“生きること”を、“幸せになること”を望んだのはクリスだ。
その言葉があるから、俺は今日まで生きながらえ、そしてリルディに出会えたのだ。
「俺はもう惑わない。こんな場所は何の意味も持たないんだ!」
パアァン!
俺の声とともに、空間ははじけ飛ぶ。
瞬く間に風景は消え去り、その場は暗闇に包まれる。
「リルディ! どこだ!? 返事をしろ!」
四方を見回しても、暗闇が広がるばかり。
はやる気持ちを抑えられずに駆け出す。
ただひたすらに、リルディへの想いを胸に。