想いを道しるべに
カイル視点。
闇に囚われたリルディを救うべくカイルは……。
「リルディは!?」
未だその場にあり続けるどす黒く靄ががかる球体の前に、立ちすくんでいるレイとテオへと声をかける。
「……」
「どうやら、あの男の魔力に精神から侵されているらしい。無理に壊そうとすれば、この女の心も壊しかねない」
無言のレイに変わり、テオが淡々と説明を口にする。
「リルディ!」
「無駄だ。僕だって何度も呼びかけたんだ」
黒い靄の中に垣間見えるリルディは、深い眠りに落ちているかのように、まったく反応を示さない。
「くそっ」
蝕むように、リルディの髪に腕に体に黒い靄が絡みついている。
ほんの一時前まで、心が通じ合い、その白く細い体を抱きしめ、金の美しい髪に触れていたはずだった。
手を伸ばせば届くはずの距離にいながら、抱きしめるどころか触れることさえ出来ない。
「どうすればいいんだ? テオ、お前なら何かを知っているんじゃないのか?」
あの男は、自分を元天翼だと言っていた。
それならば、同じく天翼だったテオなら、何かが分かるはずだ。
「……確証があるわけではない」
「何でもいい。言ってくれ」
この状態が長引けば、リルディの心は蝕まれ壊れる。
命はなくならなくとも、心のないただの人形となってしまうだろう。
それこそ、イサークが望んだように。
「……」
「テオ!」
「汚れた魔力の中和と精神の保護。誰かが姫さんの穢れを払うしかない」
黙り込むテオに変わり、言葉を放ったのは意外な人物だった。
「お前は……」
砂馬に跨った鋼色の髪と瞳の男。
満身創痍状態のアランだった。
「此処に向かう途中に倒れていたんです。カイル様のもとに向かうと話したら、どうしても連れて行けと聞かなくてですね」
同乗していたエルンストが、困惑顔でそう説明を付け加える。
アランの体は傷だらけで顔色もひどいものだ。
イサークが口にしていた“野良犬”
俺達が来る前に、イサークへ一矢報いたのはこいつなのだろう。
「姫様……。なぜ、このようなことに」
エルンストたちの後ろにいたクラウスは、アランに劣らず青白い顔で茫然と球体を凝視している。
「くそっ。姫さんは人のことばっかだかんな。誰かを守ろうとするときには力をうまく発動させるくせに、なんで自分を守るために発動させられねーんだよ」
「力はあるが、使いこなせてはいないのだな」
魔力を扱うにはそれ相応の技術が必要だ。
今まで、うまく使いこなせていたことの方が奇跡と言えるだろう。
「アラン。穢れを払うにはどうすればいい?」
「……この球体は魔力を吸収してる。だから、こいつに大きな魔力をぶつければ、この中に取り込まれる。あとは、自我を保ったまま、姫さんの精神に触れることだ。姫さんが正気に戻って能力が発動すれば、こいつを壊すことだって出来るはずだからな」
「つまり、リルディの眠りを覚ませばいいのだな」
「そういうこった。今の俺じゃあ魔力が足りねーし、姫さんと大した関わりのないそこのでっかい兄さんじゃ、姫さんの精神域まで到達できねーだろうしな。俺が言えた義理じゃねーけど……頼む。王様」
アランは真摯な眼差しを向ける。
その様子から、こいつがどれほどリルディを大切に思っているのかが窺える。
「俺からも頼みます。どうか姫様を助けてください」
ひざを折り、クラウスは深く頭を垂れる。
「もとよりそのつもりだ」
もし他の誰かが出来るとしても、この役割を渡しはしなかっただろう。
リルディは、人でもなく天翼でもない俺を必要だと言った。
そして俺もそれ以上にリルディが必要だ。
「分かっているのか? これはいつもの魔術とはわけが違う。一つ間違えば、お前もこの球体に囚われることになる」
「構わない。俺は絶対にあいつを連れ帰る」
「この世に”絶対”など存在しないがな」
俺の答えに、呆れたように息を付きながらも、満足気に小さく笑む。
「……あなたは王です。王が判断を誤れば、それは国へも波紋が広がります。それでも、リルディを助けに行かれますか?」
テオの言葉に続き、エルンストが固い声で問いを放つ。
「愛する者一人守れずして王と名乗れるか。……エルンスト、お前は俺が“王”であり続けることを望んだ。だから、今此処にいるんだろう? リルディの存在なくして、俺は“王”であり続けることは出来ない」
エルンストも、今回の黒幕が誰であるか、勘づいているはずだ。
それでも俺を選び主とし、ここまで付いてきてくれた。
だからこそ、身勝手だと知りつつ、最後まで信じてほしいと思うのだ。
「その答えを聞き安心しました。自分が考えているよりも、あなたは強くなったようでありますね。彼女がそうさせたのであれば、やはり彼女はあなたの隣りにいるべき人だ」
深々と下げられた頭で表情は見えない。
だが、その声にはどこか安堵にも似た響きがある。
「すまない。お前にいらぬ重荷を背負わせた」
「行ってください。リルディはきっとあなたを待っています」
エルンストの言葉に頷き、球体へと歩みを進める。
「……」
だが、それを阻むようにレイの姿がある。
「もし、リルディアーナを連れ帰らなかったら、あんたのこと殺してやる」
「あぁ。そうしてくれ」
俺の答えに虚を突かれたように目を見開き、そのまま項垂れる。
「……あんたなんか大嫌いだ。けど……彼女を助けてくれ」
きつく唇を噛みしめ、消え入りそうな声でそうつぶやき踵を返す。
「あぁ」
どれほど傲慢で自分勝手であっても、レイがリルディを想う気持ちに偽りわない。
自分が助けにいけないことを、どれほど悔しく歯がゆく感じているだろう。
相容れない存在ながら、その想いは痛いほどに分かる。
「リルディ」
どす黒い闇が覆う球体に手を翳し、愛しいその名を口にする。
必要なものはたった一つ。
彼女へのこの想いだけが、光の道しるべになる。
暗く荒んだその中へ、俺はリルディを求め飛び込んだ。