姫君、空を飛ぶ(2)
ずっと考えていたことだ。
クラウスは私の騎士でもあり、王国の騎士団を束ねる長でもある。
それなのに、王が留守の城に長い時間不在なんてまずいだろう。
一応、手紙は残してきたが、イザベラだってクラウスが恋しいはずだ。
恋人を引き裂くのは、私も本望じゃない。
「ふぅん。そうだな。お前は帰れよ。あとは、俺が姫さんのエスコートをしてやるから、心配するな」
そう言いながら、アランは私の手を握り、腰にもう片方の手を回す。
なぜだか妙に楽しそうだ。
「冗談じゃないです! こんなのに姫様を託せるわけがないっ。俺も絶対に行きますよ!」
「ほうほう。じゃあ、お前にも魔術をかけていいんだな?」
「当たり前だ! 姫様がそうされるなら、俺だって魔術くらい……!」
そこまで言いかけて、クラウスは我に返り言葉を止める。
「てなわけだ。騎士様の言質も取ったことだし、行きますかね」
ニヤリと笑うアランの顔はどこかあくどい。
魔術師というのは、口もうまいものなのだろうか。
などと考えてしまう。
「謀ったな、アラン!」
「お前が単純すぎなんだっつーの」
「ち、ちょっと待って! クラウス、本当に戻らなくていいの?」
ココまでひっぱり回してなんだけど、やはりクラウスも立場というものがある。
一人で行ける算段が付いた今、クラウスはやはり戻るべきだと思うのだ。
「姫様。見損なわないでいただきたい。姫を護るは騎士の役目。姫様をお守りすることが、俺の最大の使命です。嫌と言われても、離れませんよ」
揺るぎない眼差しと言葉。
「クラウス……。ありがとう」
クラウスはこう見えてとても頑固だ。
一度決めたことはなかなか折れない。
私と共に行くと決めているらしいクラウスには、多分これ以上言っても聞き入れられないだろう。
「んじゃま、話がまとまったところで出発!」
そう言うと、アランは呪いの言葉を転がす。
よく分からない単語の羅列を唱えると、その場に風が巻き起こる。
その場に吹き荒れる風は、何もないその空間を壊した。
卵の殻が割れるように、四方にヒビが入り空間は砕け散る。
「眩しい……」
覆うものを無くしたそこには光が溢れる。
それが太陽なのだと認識する前に感じる浮遊感。
風はいつの間にか全身を覆い、私を地上から引き離していく。
バランスが取れず、体が傾くのをアランが抱きとめる。
「大丈夫だって。落ちたりしねーし。体の力を抜いてみ?」
「そ、そう言われても難しいかも。空を飛ぶなんて初めてだし」
恐くて下が見られない。
心なしか、太陽がすごく近く感じる。
力を抜いたら落ちてしまう気がしてゾッとした。
「鳥をイメージするといいかもな」
「鳥?」
「そっ。翼があるのをイメージしてさ。というか、姫さんの場合は天使みたいだよな」
冗談めかしてそう言いながら、体を離し手を握ったまま状態を横たえ、隣りに移動する。
「翼……」
自分に翼が生えたことをイメージする。
徐々に体から力が抜けていく。
それと同時に、恐怖心も薄れ心地いいとさえ感じる。
「そうそう。そんな感じ。姫さんセンスいいなぁ。そっちの奴と違って」
アランの視線の先を見ると、手足を力なく下げ、うつ伏せになっているクラウスの姿があった。
半ば魂が飛んでいるかのように生気のないその顔は、まるで湖に浮かぶ死体のようだった。