狂気に囚われて(1)
リルディアーナ視点。
落ちてたどり着いた先で出会ったのは……。
「痛ぁ! うぅ。鼻打った」
突然足元の地面が無くなって、バランスを崩したまま俯け様に真っ逆さま。
おかげで顔面から落ちて、思い切り鼻を打ち付けた。
「まさか地面からも落ちる羽目になるなんて」
涙目で鼻をさすりながら、何とか起き上がる。
救いは落ちた場所が草の上だったということだ。
「ここどこ?」
見上げれば、抜けるように青い空と燦々と輝く太陽。
先ほどまでの砂嵐が嘘のように、穏やかな天気だ。
多分どこかのオアシスなのだろうと思う。
つまり、明らかに先ほどとは違う場所。
「やぁ。大丈夫? お嬢さん」
どうしたらいいのか分からず途方に暮れていると、唐突に声が降ってくる。
驚いて顔を上げると、いつの間にか目の前に男の人が立っていた。
細身で長身。
長い綺麗なダークブラウンの髪をゆったりと縛り、浅黄色のクルタ姿だ。
優しげな笑みを浮かべ、座り込んだままの私に手を差し伸べる。
「ありがとう……!」
その手を取り立ち上がるけれど、華奢な体つきに似合わず、驚くくらいに強い力で引っ張られる。
「ふふ。捕まえた」
体制を崩して体を預けた私に、耳元に吐息がかかるほどに近づきそう囁きかける。
「え?」
その言葉の意味を理解する前に、今度は乱暴に突き放され、そのまま地面にしりもちをつく。
それと同時に、私を取り囲むように杭が地面から突き出す。
真上で窄んだその形は、さながら大きな鳥かごのようだ。
「なにこれ!?」
慌てて立ち上がり、突き出した杭を引いたり押したりしてみるけれど、まったくビクともしない。
「本当に警戒心の欠片もないんだね。君は」
「どうしてこんなことするの? レイに頼まれたの?」
多分、私を此処に落としたのはテオさんなんだと思う。
だから咄嗟に思い浮かんだのは、レイの命令じゃないかってことだ。
「違うよ。これは俺がそうしたいからしていることで俺の意志だ」
「あなたは誰なの?」
その問いを聞き、先ほどまでの柔和な表情から一変、馬鹿にしたような皮肉めいた笑みを浮かべる。
「分からない? リルディアーナ。まぁ、そういう愚鈍なところが殺人人形やアランに愛されるんだろうね」
この人は私を知っている。
だけど、いくら思い返しても、私はこの人と会った記憶がない。
唐突に出た訳の分からない単語とアランの名前。
結びつける何かを探すけれど、頭の中は混乱するばかりだ。
「人のお気に入りを奪っておいてずるいよな。ずるをしたら罰が必要だろう?」
「……」
優しい声。
優しい笑み。
だけど、私を射抜くその瞳は冷たく暗い。
文句を言いたいはずなのに、声が喉に張り付いて音をなさない。
「君は俺が飼殺してあげるよ。殺人人形が愛してやまないその澄んだ瞳が色を失くすまでね」
「いや……」
恫喝されているわけでも、体を痛めつけられたわけでもない。
だけど、この人がどうしようもなく怖い。
底知れない闇が自分を飲み込むような錯覚に陥る。
「可哀相に。震えているね。怖がらなくてもいいんだ。殺したりはしないから。ただ君は、自我を手放して俺に従えばいいだけだよ」
杭の間から手を差し入れ、私の髪をひと房すくいとり弄ぶ。
逃げ出したいのに、金縛りにあったみたいに一歩も動けない。
「魔術はダメだから……そうだね。心を壊すか薬を使うか。それとも快楽で堕落させる? ふふ。綺麗な君がどう壊れるか楽しみだな」
甘く囁く言葉。
きっとそれはひどく残酷な言葉なんだろうけれど、頭の奥が痺れてうまく考えられない。
まるでこの人自体が毒みたいだ。
「ざけんなっ! 変態じじぃ。セクハラも大概にしろっ」
静寂を破る怒気を含んだ声。
その声に、遠のきかけていた意識が引き戻される。
「ア……ラン?」
そこにいたのは、鋼色の髪と瞳をしたアランだった。
赤毛と色眼鏡に慣れているから、その姿はやっぱり見慣れないけれど、その姿に泣きたいくらい安心した。