ネリーの帰還
ネリー視点。
レイのところから一人逃げ出して……。
『あなたには、彼女から目を放さずにいてもらいたい』
今にして思えば、あの男はこうなることを予感していたんだ。
リルディと私はレイとかいう男に捕まったけれど、私だけ脱出することが出来た。
あまりにもすんなりと逃げられたものだから、てっきり罠なんじゃないかと警戒していたけれど、それは杞憂だったらしい。
砂馬で大分走り続けているけれど、追手が来る様子はまるでない。
「ネリー様、お加減は大丈夫ですか? やはり休憩をとられた方が」
ずっと黙り込んでいる私の様子に、手綱を握る男が気遣わしげな言葉をかけてくる。
「へ? あ、あぁ。大丈夫ですよ。構わないので、このままアウグスト邸まで飛ばしてください」
「……かしこまりました」
この人もずっと走り通しだ。
もしかしたら、休みたいのはこの人の方かもしれない。
運悪く私と関わってしまったことに同情を禁じ得ない。
それでも、事態は一刻を争う。
申し訳ないが、無理を聞いてもらうしかない。
(それにしても、氷の君って何者なのかしら)
金の鎖で首に下げた、紋章の細工が施されたリングをまじまじと見る。
(うーん。どこかで見たことあるような、ないような)
けど、やっぱり思い出せないや。
これは、氷の君……ユーゴから渡されたものだ。
成り行きで酒を飲み交わした悪夢の夜、何の説明もなく、“リルディから目を放すな”と言われた。
とある弱みを握られ、私はそれを承諾するしかなかった。
(はぁ。まさかバレていたとはね)
知っていて今まで何も言わないあたり、本当に嫌な奴だ。
『もし不測の事態が起きたら、これをイセン国の警ら隊に見せてください。それで、ある程度の融通は利くはずですから』
リングを渡され放たれた言葉。
その時は『何言ってんだこいつ』と思ったけど、冗談みたいな話、これのおかげで助かった。
逃げ出したはいいものの、一文なしのうえに土地勘もない場所。
どうやって戻ればいいかと思案し、このリングを思い出したのだ。
ダメもとでイセン国の警ら隊を捕まえて、このリングを見せてみた。
そうすると、最初は不遜だった警ら隊の態度は一変。
ひれ伏す勢いで、馬を貸してほしいという私の願いを聞き届けてくれた。
しかも、念のためにと、馬の扱いがうまい護衛までセットにして。
(なんか呪いとかかけられてんじゃないかしら?)
ありえそうな気がして怖すぎる。
実は、リルディが金の髪をした南の国のお姫様だったなんていう、衝撃の事実があったのだ。
氷の君が呪いぐらいかけられても、もう驚きもしない。
ともかくあまり深入りはしないようにしよう。
「うん。そうしよう」
独り言を聞かれ、怪訝な顔をされたけれど、呪い効果か警備隊員はツッコんではこなかった。
………………
…………
……
「ただいま戻りました!!」
そうして半日走り通しで、アウグスト邸へとたどり着いた。
「遅い」
「!」
屋敷に飛び込んだ私を一番に見つけた氷の君が、開口一番言い放つ。
「なっ。こっちは死にもの狂いでここまで来たのよっ。もうちょっと言い方が……」
思わず敬語なんて吹っ飛んで、苛立ちを言葉に乗せる。
こっちは飲まず食わずでここまで来たのだ。
そのうえ、ずっと馬上で正直、歩くのだってやっとの状態。
「ことは一刻を争うっ。余計なことはいいから現状説明を」
噛みつく私を歯牙にもかけず言い放つ。
「? 何が……」
予想以上にピリピリとした様子に訝しみ口を開きかけたの時、体が宙を浮く。
「へ?」
「体力を消耗しているでしょうから運びます。あなたは口だけ動かしてください」
こともあろうに氷の君に抱き上げられている。
(なんの嫌がらせか!?)
嫌味なくらい華奢なくせに、軽々と抱き上げたまま、本当に屋敷へと歩みを進める。
大嫌いな仇敵なのに、端正なその顔を近くで見て、妙に鼓動が跳ね上がる。
「一度しか言わないから、ちゃんと聞いてよねっ」
一瞬でも見惚れた自分が腹立たしくて、私はつっけんどんに説明を始めた。