稀有なる魔力を秘めた存在
カイル視点。
カイルの前に現れた人物は、衝撃的な事実を口にする。
魔術を使い、たどり着いたその場所を認識し思わず自嘲する。
「俺も進歩がないな」
無意識にたどり着いたその場所は、遠い昔によく足を運んだ屋敷の奥深く。
手入れも行き届かず鬱蒼と草花が生い茂るだけの空間。
幼い時、テオやクリスに心配をかけることが嫌で、何かあるとこの場所へとやってきていた。
ここは俺にとって、弱い自分と向き合う場所だった。
だから無意識にたどり着いたのだろう。
この卑しく醜い想いを抱えて。
(あいつは俺のものじゃない。そんなこと、分かっていたはずだろう)
それなのに動揺し、リルディに八つ当たりのように言葉をぶつけてしまった。
俺の横をすり抜け、何の躊躇いもなく抱きついたリルディの姿は、相手への絶対的な信頼が見てとれた。
迎えに来たあの男は、それほどまでに大切な相手なのだろう。
「今更名乗ってなんになる?」
このまま、カイル・アウグストとして、一時のリルディの主で終わるのがいい。
カイルワーン・イセン王などと名乗れば、ただ混乱するだけだ。
それどころか、嫌悪すらされるかもしれない。
「俺の元にいない方があいつは幸せになれる」
「さあ、それはどうだろうね」
「!?」
唐突に放たれた聞きなれぬ声に振り返れば、そこには一人の男が立っていた。
細身で髪の長い男。
ゆったりと笑むその姿は、優雅ともいえるはずなのだが、ひどく毒々しく見える。
「貴様がイサーク・セサルか?」
只者ではない雰囲気を醸し出すこの男からは、昨夜の男と似た……いや、それ以上に危険な空気を纏っているのを感じる。
次に刺客が現れるのであれば、それはイサーク・セサルだろうという予感があった。
「へぇ。嬉しいな。天下のイセン王にまで名を知られているなんて」
「わざわざ、俺を殺しに来たというわけか」
「ふふ。そうではないよ。もう俺には君を狙う理由がないんだ」
「どういうことだ?」
「契約者から、依頼を打ち切られてしまったんだ。残念なことにね」
「……」
刺客を差し向けた黒幕。
それは、俺がイセン王だと知り、そして魔術持ちだということも知りえる人物。
「契約者とは誰だ?」
「それは言えないね。こちらも信用商売なものでね。というか、その落ち着きようでは、察しはついているのだろう?」
こいつの言う通り、察しはついている。
だが今更なぜ、俺を殺すことを諦めたのか。
この屋敷に滞在している今こそが、好機だと分かっているはずだ。
いくら昨夜殺し損ねたからといって、暗殺者として名高いイサーク・セサルとの契約を打ち切るのは得策ではないはずだ。
「それよりさ、君はリルディアーナを本当に手放すつもり?」
「!?」
鋼色の髪をした男の言葉が脳裏に甦る。
『……長……イサーク・セサルは姫さんをご所望だ。大切なら、せいぜい掻っ攫われないように守るんだな』
「……そうだ。何を勘違いしているかは知らないが、あいつは迎えが来れば元の国に帰る身だ」
「ふぅん。それは残念。君が関わってくれれば、もう少し楽しめると思ったのに。これじゃあ、簡単にあの子を俺のモノに出来てしまうな」
「貴様は俺の命を狙うために、リルディに目をつけたのではないのか?」
「冗談。正直、君こそおまけだよ。ま、おかげでリルディアーナが本物だと確認出来たから、そこは感謝しているけど」
「一体、何のことだ?」
「気付いてない? どうして、リルディアーナに、魔術の暴走が止められたと思う? それは、彼女が“稀有なる魔力を秘めた存在”だからだよ」
「何をばかな……」
笑いを含んだその声は、毒を含んだように俺の体をしびれさせる。
「その身に魔力を集め、相手の魔術を無力化する。いいや、それだけじゃない。集めた魔力は、未だ彼女の中に眠っている。リルディアーナ自身には、強大な魔力が封じ込められているんだよ」
「!」
ずっとひっかかっていたことではあった。
なぜあの時、俺の魔力の暴走を止められたのか。
リルディに触れた時、荒れ狂い俺を飲み込む闇が一気に霧散するような感覚があった。
それはまるで、どす黒い闇が俺の中から掻き消えたような感覚。
だからこそ、イサーク・セサルの言葉が、ただの夢想なのだと反論できない。
「ねぇ? もし、彼女の中の魔力を引き出し、使うことが出たらすごいと思わないかい? 彼女がいれば、無限に強力な魔術を扱える。ぜひとも私の手元に置きたい逸材だよ」
「貴様っ!」
「まぁ、君には関係のない話か。この後、リルディアーナがどうなろうと」
この男は危険だと本能で感じる。
人離れした魔力と狂気染みた思考。
もし、リルディがこの男の手に落ちればどうなるか。
「……」
この男をこのまま帰すわけにはいかない。
「ふふ。いいなぁ。君もとっても魅力的だ。殺人人形に惹けをとらないよ」
俺の殺意を感じ取ってなお、イサーク・セサルは戯言を口にする。
「そこまでだ」
一触即発のその場に現れたのは意外な人物だった。
「やぁ。フレデリク」
「久しいな。イサーク」
現れたのはフレデリク・エルン王。
イサーク・セサルは気安く声をかけ、エルン王もそれに応え含んだ笑いを返す。
「カイル、こいつの挑発に乗んなよ。こいつの目的はお前の魔力の暴走だ」
エルン王の言葉で、自分の中にある魔力がひどく高ぶっているのに気が付く。
怒りで制御する力が弱まっていた。
「ひどいな。俺はただ挨拶に来ただけなのに。殺人人形に伝言を頼んだんだけど、やっぱり直接話をした方がいいだろうと思ってさ」
「やっぱり、あいつにちょっかいかけてやがったな。相変わらず粘着気質だな」
「一途……って、言ってほしいところだけど、まぁいいか。ね、さっきの話聞いていたんだろう? フレデリク、君はこれと引き換えに、殺人人形を得た。だけどその代り、今度は愛しい娘を失うことになる」
髪に結わえられた青い宝石の飾りゴムに触れ、イサーク・セサルは目を細める。
「悪ぃがそのことに関しては、微塵の後悔もねぇさ。あいつも俺にとっては家族だ。あそこで見捨てる選択肢なんてなかったんだ。もちろん、今度もリルディアーナをくれてやる気はねぇ。お前がちょっかいかけてくんなら、全力で潰す」
どうやら、イセン王とイサーク・セサルには、何か因縁があるらしい。
「ははっ。俺はフレデリクのそういう青臭いところは嫌いじゃない。だが契約が切れた今、俺は好きなように動く。もちろん邪魔なら……消すよ」
笑みを消し、言い放ったその目には、隠しようのない狂気が色濃く見える。
「言いたいことはそれだけか?」
エルン王の冷え切った眼差しは、何の動揺も示さずイサーク・セサルを見据える。
「そうだな。今日はただ挨拶に来ただけだから。……それに、先を越されてリルディアーナには会えないし。もういいかな」
「どういう意味だ?」
イサーク・セサルから出たリルディの名に小さな違和感を覚える。
「リルディアーナは、君にはもう関係ないんだろ? 君には興ざめだ。さようなら。臆病者の王様」
俺の問いに答えることなく、イサーク・セサルはその場から姿をかき消す。
「相変わらず、捻くれた性格してやがる。まったく、人をいら立たせるのは天才的にうまい男だ」
「エルン王、今のは一体どういう……」
独り心地のエルン王に向かい、口を開いたその時だった。
小さな何かが目の前に飛び出し、一直線に俺へと飛びつく。
「なっ」
頭には黒く長い耳。
小さく華奢な体が小刻みに震えている。
俺を見上げるその瞳は紅。
それが耳長族と呼ばれる種族なのだと思い当たるのに、暫く時間がかかった。
「お願いっ。リルディを助けて!」
茫然とする俺の両腕を掴む手に力を込め、耳長族の少女は高ぶった甲高い声を発する。
「なに?」
「ごめんなさい! ラウラは約束したのに。あの方と約束をしていたのに。ラウラの所為なのですっ」
「ラウラ?」
その名には聞き覚えがある。
リルディとよく一緒にいた、大きなキャップに分厚いレンズのメガネをかけたおかしなメイド。
あの出で立ちは、長い耳と赤い目を隠すものだったのかと合点がいく。
「ラウラが側を離れてしまったから、リルディはいなくなった」
「どういうことだ?」
“いなくなった” 確かに今そう口にした。
「またうちのはねっ返りが厄介事に巻き込まれたか」
落ち着きはらった声とは裏腹に、イセン王からは先ほどまでの気安さが消え、表情が険しくなっている。
「どういうことか、話してくれ」
焦る気持ちを押しとどめ、ラウラへと言葉を向けた時だった。
「話なら、私から致しましょう」
その場に現れたもう一人の人物、ユーゴは混沌とするその場で、いつもと変わらぬ落ち着き払った声で言い放った。