もう一つの再会(2)
「どうかしたのですか?」
「……クラウスに、話しておかなくちゃいけないことがあるの」
「いいですよ。俺だって色々と話すことはあるんですけどね。とりあえず今は、先ほどの方の誤解を解くことが先で……」
「昨夜、アランに会ったわ」
唐突に姫様から出たその名に、心臓が大きな音を立てる。
何か行動を起こすだろうことは予想していたが、あまりにも早すぎる。
「あいつは、殺しても死なないような奴ですからね」
思わず一瞬顔が強張ったが、姫様に気づかれただろうか?
「クラウスがもうすぐ来てくれるって教えてくれたの」
「そう……ですか。ですが、もうあいつには近づかないでください」
ひどく悲しそうな顔で俺を見るその目は、戸惑いと不安が入り混じっている。
「その様子だと、あいつが何か余計なことを言ったんですね」
「……クラウスは、暗殺者の組織から逃げ出したんだって」
よりにもよって、なぜ今そのことを口にするのだろう。
いや、今だからこそなのか。
これは、あいつからの、俺への宣戦布告ということなのだろう。
「鋼色の髪と目をした追手はアランだったのね」
「!?」
昔、逃げ出した俺を捕えに来たのはアランだった。
次に再会した時、アランは赤毛で色つきメガネをかけていて、印象がガラリと変わっていた。
だから姫様は、アランが俺を連れ戻しに来た追手と同一人物だとは、気づいていなかった。
だが、それを知ったということは、アランが自らしゃべったか、何か思い起こさせる出来事があったかだ。
「……黙っていて、申し訳ありませんでした」
どちらにしろ、姫様は知ってしまったのだ。
“殺人人形”という醜く汚い過去の俺を。
あの時、すべてを諦めていた俺を救ったのは、フレデリク王だった。
昔、イサーク・セサルはフレデリク王に大きな借りを作り、その借りを一つの青い宝石に治めた。
それは、闇世界で名を馳せるイサーク・セサルが、いかなる場合もエルン国に手出しをさせないという誓い。
千の兵士よりも大きい護りだった。
それを何のためらいもなく反故にし、俺の身を引き取ったのだ。
『あと、あいつに会ったら言っといて。迂闊に、コレを使ったこと後悔するかもってね』
久方ぶりに不本意な再会をした時、あの男が青い宝石の飾りゴムを見せ、放った言葉を思い出し、胃の腑が焼けつくように痛くなる。
フレデリク王は、自分の決断を後悔するはずだ。
俺なんかを助けたために、姫様の身が危険にさらされようとしている。
克服したはずの闇が、覆いかぶさってくるかのような恐怖に知らずと体が震える。
まともに姫様の顔を見ることが出来ない。
「聞いてクラウス」
「……」
「過去がどうであっても、今ここにいるクラウスのことを信じているわ。クラウスは私の大切な騎士。それは、今もこれからも、何があっても変わらないことよ」
微かに震える俺の手を取り、まっすぐに俺の目を見る姫様は、きっぱりと言い放つ。
フワリとした笑みを向けられ、心を浸食しかけていたどす黒いものが払しょくされる。
昔から何度となく経験している感覚。
“発作”を起こしかかると、なぜか決まって姫様は俺の側にやってくる。
まるで大地を照らす太陽のように、闇に迷い込む俺の心を救い出す。
いつだって、側にいて救われているのは俺の方だ。
「姫様を危険な目に合わせることはしません。相手がアランだろうとそれ以外だろうと、姫様には指一本触れさせません」
「アランは私の大切な友達よ。クラウスだってそうでしょう?」
懇願するようにそう言い募られ、思わず視線を外す。
「あいつが友であったことなんて一度もないです。姫様に害になるものは、俺の敵です。あいつは多分、そういう対象になる。だから、もう二度と姫様には近づけません」
「そんなのダメ! お願いだから、敵だなんて言わないで。分かりあえる方法があるはずだもの。争わずに済む方法を考えましょう」
「ですが……いえ、姫様がそう仰せになるのなら」
でもきっとそんな都合のいい方法はない。
それでも姫様が望むなら、俺はただ頷くことしか出来ない。
「それは後でじっくり考えましょう。それより今は、早く行ってください」
「うん。約束。それじゃあ、行ってくるね」
俺に促され、いつものように、姫様は元気よく頷き駆け出す。
一度振り返り、大きく手をふり次の瞬間には、木々に阻まれ姿が見えなくなる。
「姫様が無事でよかった。しかも、好きになった相手があの方だとはな。これが、運命の赤い糸っていうものなのか?」
エルン国を出る前に、アンヌ様から聞いた“運命の赤い糸”の話がふと脳裡をよぎる。
ここに来るまでは、半信半疑だった。
だがその姿を見て、その予感は確信へと変わる。
ただの一度見ただけではあるが、“彼”は間違いなく、カイルワーン・イセン国王その人だ。
「姫様は気づいていないみたいだったが」
正体を知った時、姫様はどんな顔をするだろう?
「できれば、最後まで見届けたかったんだがな」
その役目はイザベラに託そう。
“けじめ”をつけに行く前に、姫様に再会出来ただけでも十分だ。
それだけじゃなく、イザベラにも会えた。
勝手に消えたら、イザベラは激怒するだろうが、きっと俺の気持ちを理解してくれるだろう。
「お前、そこで何をしている」
そんな想いを巡らせていると、唐突に殺気だったするどい声と共に男が現れる。
「どこから入り込んだ」
軍人。
一目でそう分かる出で立ちをしている男だ。
戦闘能力に長けているということが、その体躯や佇まいから感じ取れる。
「いや、俺は怪しいものじゃない」
「……」
俺の言葉にあからさまに不審な目を向ける男。
(まずい。逆に怪しがられている)
面倒臭いことになった。
この屋敷に連れてこられて、居てもたってもいられず、勝手に部屋を抜け出してきたのがまずかった。
何と説明すればいいものかと思案する。
と、男が間合いを詰める。
「!?」
「ちっ」
剣を抜くつもりはなかった。
だが、男の気迫に押されつい体が自然と動いて、気づいた時には剣を交え対峙していた。
キイィンッ。
刃が交じり合う高い金属音が響く。
「いやっ。違う。これは誤解だ」
「賊は排除する。あの方には触れさせないっ」
キンキンキンッ!
相手はかなりの手練れだ。
適当に受け流し、無力化する隙がない。
いやむしろ、気を抜けばこちらが殺られる。
「?」
「なんだ?」
対峙し何度か剣を交じり合わせるうちに妙な既視感。
それは相手も同じようで妙な顔をしている。
(変だな。まるで、剣を交えたことがあるような……)
相手はかなりの手練れではあるのだが、なぜか体が自然と男の動きに機敏に反応する。
思考が追いつく前に、体が勝手に対処するような感覚。
「貴様っ! シリウス・アンデか!?」
相手が俺を指さして叫んだ名は、とある時に使っている偽名。
それを知っている相手は数少ない。
「げっ。エルンスト・メディシスか!?」
頭をフル回転させて導きだしたその人物は、とんでもなく厄介な相手。
イサーク・セサルとはまた違った意味で関わりたくはない。
(なんでこいつが此処にいるんだ!)
誰に聞いたらいいか分からない問いを、俺は心の中で叫んだ。