伝えられない言葉・抑えられない想い(1)
カイル視点。
その想いは大きくなるばかりだが……。
『君は生きるべきだ。生きて幸せになりなよ。ボクが君やテオに出会えて幸せだったように、君にもそんな人に出会ってほしいんだ』
ふとクリスの言葉が甦る。
「出会えても一緒にいられるとは限らない」
いつもクリスが身に着けていた細い銀フレームのメガネを弄びながら、呟きを漏らす。
リルディアーナ・エルン。
エルン国第一王女。
昨夜、リルディはそう打ち明けた。
金の髪を黒に変え、結婚相手であるイセン国王に会いに来たという彼女。
そして、彼女の会いに来た相手こそこの俺だ。
カイルワーン・イセン。
それが本当の名。
だが、自分の正体をとうとう言い出すことが出来なかった。
リルディには想う相手がいる。
(相手は、やはり騎士だというあの男か……)
初めて出会った時、身を挺してリルディをかばっていた男の姿を、おぼろげに思い出し、苦い想いが込み上げる。
「あいつは帰った方がいいんだ。リルディがいるべきなのはここじゃない」
魔力を暴走させ、俺はあいつを危険にさらした。
それどころかリルディがいなければ、自分はあのまま魔力に呑まれていただろう。
強すぎる魔力は物心つくころから備わっていたものだが、ファーレンの門が開く頃はその制御が難しい。
少しの感情の乱れで暴走しそうになってしまう。
“リルディを殺す”
その言葉を聞いた時、俺の中の理性が吹き飛んで、魔力を暴走させた。
「引き留める資格など尚更ない」
結婚相手だと聞いた時、一瞬このまま一緒にいられるかもしれないと、勝手な希望を抱いた。
けれどそれはありえない夢だ。
そんなことを思った自分が滑稽すぎて笑えてくる。
「カイル! 遅くなってごめんっ」
慌ただしい足音と共に、いつものメイド服に身を包んだリルディが姿を現す。
「別に平気だが、何かあったのか?」
リルディの姿にひどく胸がざわついたが、務めて平静を装い緩慢に問いを放つ。
「ネリーと話し込んでしまって。ごめんなさい」
「中庭にいたメイドか」
「うん。その、昨夜のこともあったから……」
歯切れ悪く言葉を放ち曖昧に笑う。
昨夜、金の髪を見られないよう、俺は咄嗟にリルディを抱きしめていた。
あのネリーというメイドは、もともと妙な勘繰りをしていたのだ。
夜中に逢引……とでも勘違いして、絡まれていたのだろう。
「迂闊なことをしてしまったな。すまない」
「ううん! そのことじゃないのよ。それに、あれは仕方なくしたことだもの。気にしてないわ」
「……だが」
「やだな。あんなの本当に全然まったく何とも思っていないから大丈夫!」
「そ、そうか」
「うん!」
リルディの笑顔が空しさを誘う。
他に好きな相手がいるのはわかっているが、ここまで断言されるとさすがに落ち込む。
「ん? どうかした? カイル」
「いや。それより、本当にこのままメイドを続けていていいのか?」
「うん。最後までこの仕事をやり遂げたいんだ」
こいつは本当に変わっている。
王女という身分でありながら、メイドとして働いていたいなどという。
「お前がそうしたいのなら、止める理由もない。では、魔術のかけ直しをしておくか」
金の色に戻った髪を、俺が魔術で黒髪へと変えた。
ただ、あまり慣れていない魔術のため、短時間しか持たない。
早めにかけ直しを施した方がいい。
「うん。お願いします」
パアァン。
一度、古い魔術を解き、髪を金へと戻す。
日の光に当たり、キラキラと輝き美しい。
闇夜にも映えるが、こうして日の光に照らされれば、尚更きれいだ。
「おかしなものだな」
「え?」
「黒髪を見慣れているから、金の髪のお前は別人のようで落ち着かない。まるで本当に深窓の姫君のようだ」
エルン国の姫は“太陽の姫君”と名指されているという話を聞いたことがある。
確かにその名の通り、まるで太陽そのもののように光輝いている。
金の髪に青く澄んだ瞳。
透けるようなきめ細かい肌。
触れてはいけない宝石のように可憐で美しい。
これが、いつもの天真爛漫で破天荒なリルディなのかと、つい目を疑いたくなってしまう。
「金の髪でも黒髪でも私は私だよ。何も変わらないわ」
「……あぁ。そうだな」
無防備で無邪気なほほ笑みが眩しい。
抱きしめたいという衝動を必死に堪えている俺の想いなど、こいつは微塵も気づいていないのだろう。
「それにね、私はこう見えて、自国ではじゃじゃ馬姫として名高いんだから。“深窓の姫君”なんてほど遠いわよ」
「……そこは胸を張るところじゃないだろ。大体な、お前はやることが無茶苦茶すぎる」
一国の姫が家出同然で結婚相手に会いに来るなど、聞いたことがない。
挙句、成り行きとはいえ、メイドとして働くなどとは。
「……」
「なっ、なにその呆れたみたいな目は」
「いや、みたい……ではなく呆れている。本当にお前は……ははっ」
リルディと出会ってから、俺の心は乱れてばかりだ。
それなのに、どうしてかそれが嫌ではない。
騒がしいこの毎日は、まるで幸せだった時のようで心地がいい。
「笑うことないじゃないっ。確かに色んな人に迷惑かけちゃったけど。はぁ。特にクラウスにはたくさん謝らなくちゃ」
“クラウス”という名に思わず反応してしまう。
ひどくしょげているリルディの様子に、少しの罪悪感と共に、苦い思いが込み上げてきた。