3.殺した本音にやすらぎを(2)
「馬車の準備が整いました、奥様。お気をつけていってらっしゃいませ」
いつでも出かけられるようすっかり身支度を整え玄関ホールで待機していたエヴェリーナに、長年働く家令は深々と頭を下げた。
「ええ、後のことを頼むわ。何かあったらすぐに連絡をちょうだい」
「ご心配は無用です。主が留守の間、何事も起きないようにするのが我々の勤めですから」
「でもドナートも帰って来ないのに、私までここを離れてしまったらいざという時に困るでしょう」
「とんでもない、奥様は働き過ぎです。この一ヶ月、ずっと書斎にこもり切りでいらっしゃいましたから。奥様がご健全であれば、大抵のことは後からでもどうにかなるものです。今回は遅めのバカンスと思って、どうぞごゆっくりご静養ください」
エヴェリーナが時間を遡行してから早くも一ヶ月が過ぎた。大聖女の祝賀会にステラーレとして参加するという、前回の人生ではなかった事象からちょうど三週間が経ったこの日、彼女は再び以前の人生には存在しえなかった提案に乗ることにした。
トリステラ伯爵領への長期旅行である。切っかけはやはり、トリステラ家の現大聖女マリアンナであった。
「ごめんなさいね、ステラーレ役を急にお願いしてしまった上、こうして前触れもなく押しかけて来てしまって」
あの夜、エヴェリーナの控室を訪れたマリアンナは、王宮の使用人たちに慣れたかのように指示を出し、その場で略式的な晩餐の席を設けてしまった。
事態を飲み込めぬまま一瞬のうちにテーブルに並んでしまった二人分の料理や茶菓子を前に、流石に適当なところで早々に話を切り上げようという気にはなれず、エヴェリーナは思いがけず大聖女と晩餐を共にすることになったのだった。
何度か会場に戻らなくて良いのか念押しはしたものの、マリアンナ自身からも「私の存在はただの皆様の社交の口実だから大丈夫よ」と暗に引き下がらないことを宣言され折れるしかなかったのである。
エヴェリーナは聖人や聖女という存在があまり好きではなかった。熱心に信仰したところで自分を救ってくれるどころか、再び生きる意味のない人生を自分に繰り返させようとしている神の存在も気に入らなかった。
一度目の人生でラウラにした仕打ちを考えれば罪悪感もあり、ラファエロやマリアンナが自分に関わってくること自体が迷惑と感じていた。そんなエヴェリーナの心を動かしたのは、マリアンナの思いも寄らぬ声がけであった。
「夫人は無意識に歯を噛み締める癖がおありのようね。わたくしも若い頃はそうやって苦しい時を踏ん張っていたものよ。だから少しだけ、あなたの気持ちが理解できるわ」
それは食後のお茶を飲んでいる時のことだった。
「ようやく解放されると思ったのに、急に時間を巻き戻されて随分驚かれたでしょう。でもこれだけは忘れないでほしいの。あなたが人生をやり直すことになったのは、心のどこかであなた自身がそれを強く望んでいたからであり、あなた以外の誰かもそれを強く願い、そして神々があなたにはその経験が必要と判断したから。だから、あなたの人生に意味がないだなんて思わないで」
「どうしてそのことを……」
「ラファエロに招待状を届けさせる前日に視たわ。わたくしの孫のラウラが、あなたのご子息と婚約したことも、あなたがどのような思いでラウラに毒を盛ったのか、そしてどのような思いで処刑されたのかも、全部ね」
「視た?」
「正確には視させられたと言うべきかしら。若い頃から時々あるのよ、こういうことが。未来から戻って来たあなたならこれがどういう力なのかご存じでしょう」
「透視能力、ですか」
それは十五年後の未来で「二重に能力を開花させた聖女」と評されたラウラと全く同じ才であった。
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