2.すべて適切な瞬間に(4)
大抵の貴族の屋敷には、玄関にも簡易な応接用家具が最低一式は揃えられている。アルディーティ伯爵家も例にもれず、簡素と呼ぶには規模も品質も輝かし過ぎる家具がそこに設えられていた。
ラファエロは最初にこの玄関ホールへ足を踏み入れた瞬間、思わず自分の屋敷の居間と比べてしまったほどである。
その立派な来客用の長椅子に、埋もれるようにして黒髪の子どもが一人腰かけていた。
仕立ての良い夏物の上着には、ボタンホールからポケットにかけて、懐中時計のチェーンが垂れ下がっている。女神フォルトゥーナの肖像が彫り込まれた白金の紀章に、同素材で作られた細身の二連チェーン。間違いなくラファエロが公子への贈り物として選んだ代物である。
記者から公子は父親似と聞いていたのでアルディーティ侯爵の容姿を基準に色味を選んだが、それで正解だったようだ。
(お会いしたことがなかったからかなり悩んだんだが、こうして実際に使ってもらっている姿を目の当たりにすると嬉しいものだな。……それにしても侯爵によく似ている)
ラファエロの感動を察して、ではなく家令の声がけに反応して、アルディーティ公子もといガブリエーレ少年が弾かれたように顔を上げた。まだ幼気な顔立ちだが、夫人の教育の賜物か、感情を隠すのは得意と見えてかなり落ち着いてる風である。
だが少年から発される強い緊張感を、ラファエロは見逃さなかった。
(何だ?)
ガブリエーレがちらりと家令に視線を送る。老練な家令は、それだけで公子が何を言いたいか理解できたようだ。
「それではトリステラ卿、私はこれにて失礼いたします。お気をつけてお帰りくださいませ。若様、お見送りをよろしくお願いいたします」
公子が小さく頷く。家令はラファエロに一礼して足早に玄関ホールを去っていく。
わけがわからないままラファエロは、ただただ間の抜けた顔で家令を見送る。そんなラファエロを正気に返すのは、やはり共に家令にこの場へ残された公子である。
「はじめまして、アルディーティ公子様。グランデ・マーレ大聖堂所属、トリステラ伯爵家ラファエロと申します」
少年の青い目がじっと自分に注がれたのを感じ、ラファエロは慌てて挨拶を口にした。
初対面の挨拶は立場が上の者から。侯爵家の人間とはいえ公子はまだ爵位を継いでいないので、この場合はラファエロが名乗らなければ公子が用件を切り出せない。
なぜわざわざ公子が、と思わなくもないが、こういう時は考えるより流される方が賢明だ。
「はじめましてトリステラ卿。アルディーティ侯爵家ガブリエーレと申します。この度は誕生日の贈り物をありがとうございました」
「こちらこそ、早速ご使用頂けて喜ばしい限りです。公子様によくお似合いですよ」
「ありがとうございます。……こちらを。ありきたりの品ですが卿のためにご用意しました。お受け取りください」
公子は応接用のテーブルに置かれていたバスケットを取り上げラファエロに差し出した。ラタン製のそこからは仄かに焼き菓子の香りがする。伝統的な誕生祝いの返礼品である。
まだ幼いのにしっかりしたことだ。これも夫人の教育の賜物だろう。あの侯爵はどこか抜けたところがあるので、このような細やかな気遣いができるとは思えない。
ラファエロはありがたく少年の厚意を受け取ることにした。
「これはご丁寧にありがとうございます。公子様から返礼を頂けるなど光栄です。……ところで、ご用件は? もしかして誕生日のいたずらの計画に私も加えて頂けるのでしょうか?」
社交的な挨拶はここまでで良いだろうと見当をつけ、ラファエロは膝を折って少年と視線を合わせる。威圧的にならないように茶目っ気も忘れずに。
効果は十分あったようで、公子は堪えきれなかったように「ふっ」と小さく笑い声を立てた。
「トリステラ伯爵家では、誕生日の主役がいたずらを仕掛けるのですか?」
「もちろんです。我が家では唯一、誕生日だけはいたずらを仕掛けても笑って許される日でしたから」
「そうですか、それは羨ましい限りです。私は母が厳しかったので、そんなことをする勇気がありませんでした」
何となく引っかかる物の話し方である。しかし何が引っかかるのか、ラファエロは瞬時に理解できなかった。とりあえず公子が話を切り出せるよう、聞く姿勢を崩さないに務める。
「……実は、卿に助けて頂きたいことがありまして」
誕生日にまつわるしばしの雑談の後、公子はようやく本題を切り出した。待ってましたとばかりにラファエロは頷く。少年の瞳には再び緊張が戻っており、ラファエロを頼るという決断が彼にとってどれほど大きかったかが伺えた。
「何でしょう? 私にできることでしたら、可能な限りはご協力させて頂きます」
もしや家に寄り付かぬという、あの侯爵に関することであろうか。それとも夫人の方だろうか。確かに彼女は随分と我慢しているように見えた。親の夫婦仲というものは子どもにとって重大な問題である。場合によっては人生を大きく歪めてしまうほどに。
残念ながら聖人といえど侯爵夫妻の問題に堂々と首を突っ込むことはできない。だがラファエロが一般人とほんの少しだけ立場が違うのも事実である。そのほんの少しの部分が、この少年の役に立てる可能性は十分にある。
だからラファエロは待った。公子の口から自分を頼る言葉が出るのを。折角の誕生日なのだから、この少年の重荷を少しでも軽くしてやりたかった。
だが、
「……っ、う、……!!」
次の瞬間、公子の呼吸が止まった。突然のできごとに理解が追いつかず、ラファエロは眉根を寄せた。しかし身体をくの字に曲げ、声も上げず胸をかきむしる公子の様子に、ラファエロも血の気が引く思いがした。何かが公子の気道をふさいでいるようだった。慌てて小さなその背を強めに叩く。
「大丈夫ですか、公子様!?」
口の中に指を突っ込み無理やりにでも気道をふさぐ「何か」を吐かせるべきか。公子の背を叩きながら迷っているうちに、公子の口から何かかぼとりと落ちた。
意を決して口を開いた少年の言葉を制するように出てきたのは、獅子の口と呼ばれる真っ白な花だった。ひとつ、ふたつと、花は少年が言葉を発しようとする度に、その口を塞ぐようだった。
足元に五つめの花が落ちた時、公子は呼吸苦に耐え兼ねたように膝からくずおれた。ようやく全てを吐き終えたらしく、真っ赤な顔で「はっ、はっ、」と肩で呼吸をしている。
「……これは、」
『全く本当に出しゃばりな子ね。ダメよ、約束はきちんと守らないと』
何が何だかわからぬまま慌てて公子の背中をさすり、吐き出されたを呆然と見るしかできないラファエロの耳に、姿の見えない女性の声が届いた。厳しくもあり、それでいてどこか嬉しそうでもある。
『でも、この子を選んだところは見る目があるわ。……そうね、今回だけは見逃してあげましょう。折角だから今回はあなたが助けてあげなさいな、ラファエロ』
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