2.すべて適切な瞬間に(3)
(まさかここまで骨が折れるとは……見かけに寄らず頑固な女性だ)
小一時間後、ラファエロはげっそりと疲れ果てながら家令の後ろを歩いていた。漸く帰れる、という安堵感半分、恐らくこの事態を見越していたであろう用意周到な母への怒りが半分、という心持ちである。
出かけ間際、マリアンナはラファエロにこう言った。
「そうそう、今回の祝賀会なのだけど、ステラーレ(ベルフィオーレの祭事で起用される神の代役。聖人が関わる催しや王家主催の夜会には欠かせない)の役が二人ともまだ決まっていないの」
「はい?」
思いも寄らぬ打ち明け話に、ラファエロは開いた口が塞がらなかった。
「まだ決まってないって……夜会はもう一週間後ですよ? どうするんですか」
「仕方ないでしょう、お願いしたい方が見つからないのだから。もともとステラーレを立てるのも教会からの要請で、わたくしは乗り気ではなかったのよ。でも反って丁度良かったわ。ラファエロ、もしアルディーティ夫人にお断りされそうになったら、わたくしがぜひ夫人にマードレ(女神の代理)役をお願いしたがっていると伝えてちょうだい」
「そこまでして夫人にお会いしたいのなら、いっそ今日の招待状は母上がお届けにあがるべきでは? それにマードレの配役だけ決まっても、肝心のパードレ(男神の代理)が決まっていないのなら意味がないでしょう」
「大丈夫よ。アルディーティ夫人がマードレを引き受けてくださったら、パードレ役にはしかるべき人が現れるはずだから」
結論だけ述べれば、最終的にはマリアンナの言った通りになった。
「私がパートナーでは夫が嫌がるでしょう」と笑みも崩さず断ろうとする夫人に、ラファエロは何としても食い下がらなければならなかったからである。
「侯爵とは別でご参加されればよろしいでしょう。政略結婚のご夫婦にはよくある話です。それにこの通り、夫人宛ての招待状もご用意しておりますから」
「残念ながらパートナーがおりません。父は夫に家督を譲って以降、領地から離れようとしませんし、さすがに、ようやく十歳になったばかりの息子に夜会の付き添いをお願いするわけには参りません」
「それなら私がエスコートさせて頂きます。妻は二年前に亡くなっておりますし、パートナーがいないのは私も同じです」
「ですが夫や夫の恋人と鉢合わせしてしまったら気まずいでしょう? あちらがどう出てくるかもわかりませんし、折角のお祝いの席で我が家の恥を晒したくありません。トリステラ卿にもマリアンナ様にもご迷惑になりますから、やはり今回はご遠慮させて頂きますわ」
「でしたらご心配には及びません。実は今回こうして夫人に直接招待状をお渡しする理由がもう一つございまして、母が是非、マードレ・ステラーレの役をあなたに引き受けてほしいと申しております。実はお恥ずかしながら、夜会の日程が迫っているにも関わらずステラーレ役が二人ともまだ未定なのです。今回の夜会は、教会からは大聖女を祝う催しとみなされておりますのでステラーレが必要なんですよ。夫人がマードレ役をお受けしてくださるなら安心です。その場合はパードレとして私が補佐させて頂きますので」
できるだけ夫人の負担を減らすべく使わぬ努力をしていた切り札は、当人の頑なな姿勢によりこうしてあっさり提示するはめになった。それも自家が主催する夜会のパードレを自分自身が務めると言う嬉しくもないおまけつきで。
(確かに、聖人の主催する夜会で客人が初めてステラーレの役を担う場合は、その家の者がパートナーを務めることも珍しくはないが……)
それにしても晴天の霹靂である。自分でさえそうなのだから夫人はもっと面食らったに違いない。基本的に聖人や王家からステラーレの依頼が来た場合、余程の事情がなければ断ることは不敬とされている。マードレ役をお願いしたいと切り出せば、流石の夫人も断れなかったと見え、渋々ながら夜会への参加を諾と応えた。嫌々ながらに完璧な笑顔を最後まで保っていたことは実に天晴れと言える。他の者を使いにやっていれば彼女の不満は黙殺されただろう。
(当面は家を挙げて彼女に礼の限りを尽くさねば……。全く、元はといえば母上の我儘なのになぜ俺がこんな苦労をせねばならんのだ。いや、それもこれも可愛いライラのためだ。ライラのため……多分。きっとそう。本当に……?)
よくよく考えれば「未来のライラの結婚相手にアルディーティ夫人が関係する」という話は母から聞いただけであり、今のラファエロには直接確かめようのないことである。それだって匂わされた程度のもので、彼女がどの程度ライラの未来に関係してくるのかまでは話してもらえなかった。
もしや自分はあの我儘な母に担がされただけなのでは、と一抹の不安が脳裏を過ぎった時である。
「おや若様、いかがなさいましたか」
玄関ホールに差し掛かったところで家令が足を止めた。
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