ハンスの話 (未完)
これは特殊書籍の12冊目です。
ハンスは15歳、文官採用試験の合格発表の会場で呆然としていた。街一番の秀才と言われ、周囲の期待を一身に集めて王都に出て来たのに、なぜ合格者名簿に自分の名前がない?
同郷で出て来たサイトは補欠合格者になっているのに、なぜだ?
同時に発表された武官採用試験合格者にも、同郷のやんちゃ坊主、ポールの名前が出ている。
王都の予備校『完全勝利塾』には受験前の一か月、受験対策の集中講義を受けて、そこでも太鼓判を押されていた自分だったのに。どう考えても、どの問題も完璧に解いていた。面接でも落ち着いて受け答えができたので、全く問題がなかったはずだ。
サイトがニヤニヤしながら近づいてきた。
「おやおや、どういう訳だ? 完全勝利塾の首席様の名前がどうしてないんだろうね? 才子、才に溺れて、謙虚さを忘れた結果かよ。そう言えば、お前は傲慢だったよな」
「何を言うんだ? 僕は傲慢なんて、そんなことは一度も」
「うるせえ、合格してないのが何よりの動かない証拠だろうが。いつもいつも俺たちの分からない問題をスラスラと解きやがって、それが傲慢だって言うんだよ」
「そんなっ」
「「「なんだ、なんだ? どうした?」」」
サイトが大声でハンスを罵るものだから、他の受験者たちが寄って来た。
「聞いてくれ、このハンスって奴はいつも予備校の完全勝利塾で答えをスラスラ解いて俺たちを馬鹿にしてたんだが、実は前もって答えを知っていて不正をしてたんだ。その証拠にこいつの名前がここに出ていないのさ。文官試験では不正ができないから実力がばれてしまったのさ」
「そう言えば、面接でもこいつは調子に乗ってたな」
「ふん、こいつはそういう奴さ。いつも口がうまくて口先でごまかす狡猾な奴なんだ」
「とんでもない奴だ。いい気味だ」
そのうち石が飛んできてハンスの頭に当たった。ハンスはあまりの痛みに地面の上で転げ回った。すると、さらに何人もの者が集まってきて蹴ったり踏んづけたり、中には棒で叩いたりする者も現れた。
ぼろぼろに傷ついて宿に戻ってきたハンスを訪ねて来た者がいた。それは意外な人物だった。完全勝利塾の塾長の父親に当たる老人だ。彼はときどき塾を訪れては、なにかとケチをつけていく厄介者で、いつも酒の匂いをさせているぐうたら人間である。真面目な塾長と違って、不真面目なその老人はいつも授業の邪魔をして、みんなに嫌われていた。
それがどうしてハンスの所に来たのか? しかも、ベッドで寝込んでうんうん唸っているハンスに部屋に上がり込み、しつこく質問してくるのだ。
「おい、小僧。お前は監査学の問題を解いたのか?」
「痛い痛い……えっ、なに? 痛いから構わないでください」
「最後の問題、会計簿の誤記入の答えをいくつ見つけたんだ?」
「誤記入? ああ、あれは8つ……痛たた」
「それだ。お前が落ちた理由は。完全正解し過ぎたんだよ」
「はあ? それはどういう意味なんですか?」
「出題の原典は王宮のある月の出納簿から出しているんだ。それに手を加えて5つばかり不備な点を作ってある。それを指摘させるのが、出題者側の狙いだ。だが、後の3つについては、それは原典の不備な点で、それをお前が指摘するということは、どんな優秀な者でも普通は気づかない不正の証明になってしまったんだ」
「不正の証明? そういえば、三か所だけ違和感のある点があったので、それを与えられた資料をもとに精査したら、それらが三つ巴で互いに他を隠蔽してたのを指摘しました」
「お前は王宮の予算執行における不正を見抜いてしまったんだよ。しかも、かなり権力のある上級貴族の不正をな」
「えええっ?!」
「それともう一つ、文官採用試験では今回、王宮監査院長の子息が試験を受けている。きっとお前はそいつよりも成績が良いから、監査院長の面子を潰してしまっているんだ。つまり二重の意味でお前は邪魔者扱いされて落とされたって訳だ」
「僕は……王宮の文官には……もうなりません。実力があっても、それが正しく評価されないなら、意味がありませんから」
ハンスは気を取り直して商業ギルドに出かけて行った。優秀なハンスの噂を聞いて以前から勧誘を受けていたからだ。ところが受付嬢がハンスの顔を見るや、とんでもない中傷と侮蔑の言葉を浴びせた。
「ハンスさん、あなたは王宮文官採用試験において不正なことをして落とされてますね。そういう人は信用問題になりますので、ギルドでも採用できません」
「そんな根も葉もないことを誰が言ったのです?」
「王宮の方から通達が直接来てます。あなたを採用するのを禁止するってね」
ハンスが次に行った場所は、王都でも大きな商会だったが、そこでも同じことが言われた。王宮からも商業ギルドからも連絡が行っていたのだ。ハンスを採用することはまかりならんと。ハンスは完全に閉め出されてしまった。
「もう王都では事務関係の仕事は受けられない。どうしたら良い」
ハンスは途方に暮れてしまった。そして、ふらふらとやって来たのは冒険者ギルドだった。
「あなたって、もしかして文官採用試験で不正をしたというハンスという子ね。残念ながらうちでは雇えませんよ」
受付嬢が手配書を見ながらそう言ったのを、ハンスは手で制した。
「違います。冒険者登録させてください」
それを聞いて集まって来た若者たちがいる。同郷で乱暴者だった連中だ。
「おいおいおい、良い子坊ちゃまのハンスじゃねえか。お前、文官の試験落ちたってなぁぁ。それで冒険者になるってか? 馬鹿野郎やめとけ、お前みたいな青っちょろい奴に務まる訳ねえだろが、ぎゃはっはっは」
そしてドンッと肩をぶつけて来た。その勢いでハンスは飛ばされて、床の上を数メートル転がった。
「ぎゃははは、よわっちいな、まったく。笑えるぜ」
「そんなんじゃ、無理無理無理、冒険者なんてよぉ」
「尻尾を巻いて故郷に帰んな。ゴミ拾いくらいの仕事があるかもしれないぜ。ぎゃははははは」
「ひゃっひゃっひゃ」
「うへへへ、受けるぜっ」
ハンスはじっと堪えて、冒険者登録を済ませた。
新人冒険者のハンスは、クエスト掲示板というところで自分のできそうな仕事を捜した。新人のGランク冒険者が受けることができる仕事は、Gランクと一つ上のFランク用から選ぶことができる。その二つの掲示板にはたくさんの依頼票という紙が貼ってあって、それを剥がして受付のカウンターまで持って行かなければならない。
Gランクの仕事は王都内の雑役がほとんどで、商業ギルドなどで斡旋する長期の仕事ではなく、短期のしかも肉体労働が多い。ドブさらい、資材運び、穴掘り、大型犬の散歩などだ。
一つ上のFランクのクエストになると、王都の外に出てする仕事がほとんどで、薬草、果実、鉱石等の採取から、角ウサギ、ゴブリンなどのモンスターの討伐などがある。薬草などの採取は安全なように思えるが、王都の外は基本的に草原と森が多く、採取のためにそこに立ち入るとモンスターとの遭遇率が上がる。だから、モンスター対策のために剣や弓などの武器は必携になるのだ。
文官になるための勉強を続けていたハンスは、冒険者になるための肉体鍛錬や武術訓練などは一切していなかった。100m走っただけで息切れがするし、心臓がひっくり返るほど動悸が激しくなる。冒険者になった同郷の半端者たちが嘲笑ったのも、ほとんどは当たっているのだ。ハンスはもやしっ子なのだ。冒険者の女の子にも敵わないかもしれない。彼女らは幼い時から野山を駆け回り、棒切れを振り回したり、畑の物を盗んで追い回されたりする日常を経験しているのだ。
なんとか雑役の依頼票を選んで受付に来たが、受付嬢は首を横に振った。
「こういう仕事を受けても君は長続きは無理だと思うよ。ここに来ている人たちをよく見てごらん」
ハンスはギルドに出入りしている者たちを観察する。登録してくれた受付嬢は、ギルドのホールに集まっている冒険者の少年少女たちを指さして教えてくれた。
「あの子たちは孤児院出身だよ。字が読めない子もいる。だけど女の子でもゴブリンを撃ち殺すくらいの腕前があるよ。生きるために必死だからね。でも君は違う。冒険者になるような子ではないね。君にはギラギラした目がない。商店で算盤を弾いているような、そんな顔つきで冒険者は務まらないと思う。王都の外に出ればすぐに死んじゃうよ。都内の仕事だって、半日働いただけで三日は寝込んでしまうかもしれない。そんなんじゃ、食べていけないよ」
親切そうな受付嬢はそう言ったが、ハンスにはその一言一言が胸に突き刺さった。
「僕は……どうすれば……」
「君は料理をしたことがある?」
「ええ、自分が食べるものくらいは自炊でしてましたから」
「聞いた話だと傭兵ギルドで賄いの下働きを募集してるわ。あそこは特殊でここにも商業ギルドにも関わらないように求人をしている。王宮の通達も届いてないはずよ。ダメ元で行ってみれば? 私が教えたとか言わないでね。こことは仲が悪いんだから」
「あ……ありがとうございます」
故郷の街から期待を一身に浴びて出て来たハンスは、今さら戻ることもできず、ついに傭兵ギルドの門を叩いたのだ。
傭兵ギルドには若い美人のお姉さんはいなかった。皺だらけで目が異様に鋭い婆さんが、受付でナイフを研いでいた。
「なんだ、小僧? なにか用かい?」
「あの、ここで賄いの下働きを募集してるとか」
「いったいどこから聞いて来たんだ? まあ、良い。別に秘密にしてるわけじゃないからね。だけど、口に入れる物を作る奴の素性が怪しいのは困るんでね。こっちは確かな筋で人を選んでるんだ。だから帰んな。仕事が欲しかったら食堂や宿の皿洗いにでも入れば良いだろうさ」
「それが駄目なんです。王宮から各ギルドに僕を雇ってはいけないと回状が回ってるんです」
「王宮から? お前、何をやらかしたんだ?」
「ただ文官採用試験の監査学の問題を解いた時に、王宮の出納簿の不正記入を見抜いてしまったのが有力者の逆鱗に触れたらしいのです」
「ほう……詳しく話してみな」
ハンスは老人に言われたこと、そして監査学の問題の中身を受付の老婆に詳しく話した。
「じゃあ、お前はこの帳簿を見てどう思う?」
老婆は古い帳簿をハンスの前に出した。ハンスはすぐにその帳簿が裏帳簿であることを見抜いた。
「この内容で税務官が認める訳がない。実際は粉飾した帳簿を提出していますね?」
「なるほど、お前は使えそうな奴だね。どうだ、帳簿の手伝いもするなら、賄いの助手に雇ってやっても良いが」
この老婆はひどい奴で、賄いのほかに裏帳簿の手伝いもさせるつもりらしい。だが、ハンスは仕事が欲しい。一も二もなく引き受けることになった。
「ところで、お前は見るからに貧弱だ。狭い厨房でうろうろしてたら、賄い当番のごつい奴らとぶつかって骨がバラバラに砕けてしまうに違いない。なにしろ、背中をぽんと叩いただけで相手を気絶させるような馬鹿力の奴らばかりだからね」
老婆は古びた指輪をハンスに渡した。
「これはビートルリングと言うんだ。甲虫の外殻と同じ強さを体表につけてくれるから、うちの荒くれ者どもと衝突しても傷つかないし、賄い用の重い鍋でも外殻筋の働きで簡単に持ち運びできると思う。古代遺跡から出て来たアーキテクチャーだが、実際に逞しい筋肉を持った者にはかえって逆効果でね。かえって外殻筋と相殺しあって思うように動かないんだよ。お前さんのようにひ弱な筋肉の者ならその心配はないはずだ。くれてやるから使いな」
「あ…ありがとうございます。使わせて頂きます」
「じゃあ、ついて来な。みんなに紹介してやる」
老婆の後について行くと、奥に広い部屋があって、そこにテーブルと椅子があり、思い思いの姿勢で男たちが休んでいた。冒険者たちと微妙に違う所は、目の奥に墓場のような暗さがあることだ。傭兵というのは、対人の戦いで相手を殺すことに特化している戦士だ。魔物を相手にすることが多い冒険者とは微妙に違う感じだ。ハンスにとってはどちらも苦手だが、意外に傭兵たちを見ても冒険者に見るような威嚇的な恐ろしさを感じなかったのは気のせいだろうか。
「この子はハンスだ。王宮の不正帳簿を見抜いたせいで、王都の商業ギルドと冒険者ギルドからハブられているらしい。だからここで使ってやる。あたしの帳簿の手伝いと厨房の下働きをさせるからよろしくな」
「「「へい。分かりやした」」」
それから厨房に連れて行かれた。2mほどもある背丈で、横幅も厚みもたっぷりある大男がいた。
「フォルスタッフ、この子が今日から下働きでつくから、仕込んでやってくれ。ハンスと言う子だ。ハンス、こいつがお前の上司にあたるフォルスタッフだ。言いにくいだろうからシェフって呼べ」
「はい。宜しくお願いします、シェフ」
「あのマチルダさん、こんな細かい奴、間違えて踏みつぶしてしまいませんかね」
「ビートルリングってのをはめさせたから、壊れづらくなってるはずだ。試してみな」
するといきなりシェフは、丸太ん棒のような太い腕を振り上げて力いっぱいハンスの背中を叩いた。
ズバーン!!
その衝撃でハンスは壁まで飛ばされたが、少しも痛くなかった。背中にも体の前面にもかなりの衝撃があったのにだ。
壁と正面衝突したハンスが向き直ると、シェフはドスドスと近づいて来て、今度はハンスの手をぎゅっと握った。
「どうだ? リンゴなら一瞬でジュースにしてしまうぞ」
シェフがかなり手に力を入れても、ハンスの手は潰れなかった。今度は手を握ったまま、激しく上下に振った。するとハンスの体は上下にドスンドスンと跳んだり跳ねたりさせられたが、体のどこかがそのために壊れるという感じはなかった。
「じゃあ、なにか重い物を運んでみろ」
シェフは寸胴鍋を指さした。それはハンスが体を丸めればすっぽり入るような大きさで、中には熱いスープが一杯入っていた。ハンスは鍋つかみを両手に持って、寸胴の取っ手の耳を掴むとひょいと持ち上げた。びっくり驚きだ。たぶん自分の体重の倍以上はある重さの鍋を、いとも軽々と持てたのだから。昆虫の外殻の力は自分の体重の何百倍のものでも持ち上げられるというが、ちょうどそんな感じで全く重く感じないのだ。
「ほう、ハンスはビートルリングと相性が良いみたいだね。まさにぴったりの持ち主が現れて、その指輪も本望だろうよ」
それから、ギルドの裏手にある宿舎に連れて行かれた。傭兵ギルドの建物は他のギルドに比べてオンボロだが、その宿舎も同様だった。あてがわれた部屋は、ベッド一つとクローゼットだけの狭い空間だった。顔を洗う水場やトイレ、シャワー室は共同で使うようになっている。水で体を洗うと、皮膚と水の間に空気の膜のようなものがあることに気づく。暑さ1mmくらいの薄い膜だが、それがきっと結界、または外殻筋肉の働きをしているのだろう。指輪を外すと湯の温度が皮膚に伝わってきた。ビートルリングは体の表面を、寒暖の温度や打撲などの衝撃からも守ってくれるらしいのだ。
翌朝、午前5時起きで厨房に行き、炊事当番の傭兵と一緒にシェフの指示に従って野菜を切ったり火の番をしたりした。急いで走り回ることもあるので、お互いに体がぶつかることもある。動きが悪いと、怒鳴り声と共に手が出ることがある。そんなとき、シェフは軽い気持ちでも、大男の拳骨や平手は殺人級の威力があるのだ。ビートルリングがなかったら、ハンスはとっくに半殺しにされていたかもしれない。まるでシェフといれば、当番の傭兵も含めて、猛獣たちと一緒の檻で働いているようなものなのだ。
初めのうちは、当番の二人の傭兵の方がハンスよりも慣れていて、ハンスはただ必死について行くだけだった。けれども一週間もするとハンスの動きはずっと良くなり、当番の傭兵たちよりも慣れてきた。その辺りからマチルダ婆さんが、ハンスの休憩時間に帳簿作りを手伝わせた。
いわゆる収支の全てを正直に書くが表には出せない裏帳簿と、正直に書けない項目の収支を体裁を整えて一見明快な帳簿のように見せる表帳簿の両方を手伝わされた。ハンスはこういう問題は得意なので、表帳簿を見ても簡単に偽装が見破れないようなからくりを考えてみせた。それこそ王宮の粉飾された帳簿も足元にも及ばないトリックを使ってみせた。マチルダ婆さんはハンスの技術に脱帽した。それに比べれば自分のやって来たことは、子供の小遣い帳みたいなものだと思い知らされたほどだ。
本を閉じると、またウトウトしている転生神に声をかけた。
「今コメントを書いて渡すので起きて下さいよ」
すると彼女は目を擦りながら口を尖らせた。
「君の書いたコメントを今後の人生の展望として夢の中で神託を下すのは、すっごく疲れるのよ」
「そりゃ、分からないで失礼しました」そう言うと薫は次の本に目を向けた。
読者にお願い。この特殊書籍を読んで「面白い」「続きをよんでみたい」という方は、リアクションをお願いします。それがあればこの話は続きが書かれることになります。宜しくお願いします。