7.見えない感情と言葉
記憶としては久々に帰る自宅も、最初は懐かしかったけれども、何度も巻き戻ってからは見慣れた光景に戻った。
夕方に家に着くと、夕食を作る母親と、家計簿を付けている父親の姿があった。
「お父さん、これ、今日の分」
そう言って、俺は今日稼いだ分のお金を父親に渡す。リトラの件でいつもよりも少なかったが、それでも何も言わず受け取ってくれた。
俺が魔法を使えるようになったことは、両親にも言っていない。余計な気を遣わせたくなかったし、当時はまだ一人で生きていける年齢でもなかったから、悪魔と契約したと言われて追い出されることも怖かった。
一度、魔法を使えば、強い魔物を狩ってそれを売って、両親に良い暮らしをさせられるのではないかと考えたこともあった。けれども、俺が悪魔と契約したと思われれば、親だって嫌な目で見られかねない。そんな事、あってはならなかった。
決して余裕があるわけでもない生活。けれども魔法が使えない家の生活は、そんなものだった。
仕事にだけは困らない。多くは稼げないけれども、魔法が使えなくてもできる仕事は沢山ある。そんな生活に不満を感じたこともなかった。
と、美味しそうな野菜スープの香りが漂い始めた。そろそろだろうと、俺は台所に向かう。
「スープのお皿、ここに置いとくね」
母親にそう言って、俺は他の食器を食卓に並べ始める。
8年前のあの日から、今の母親の事をお母さんとは呼べていない。決して呼びたくないわけではない。けれどもあの日、本当の息子ではないのに、お母さんと呼んでいいのかわからなくなってしまった。
食卓に付けば、両親は他愛のない話をする。今日はこんな依頼を受けたとか、街でそんな事があっただとか、深く意味はない話。
それを聞きながら食事をしていたら、必ず父親が俺に聞くのだ。
「クロノ。おまえは今日、どうだった?」
普段は、両親の真似をして俺も簡単に今日の事を話す。長くなり過ぎないように、けれども淡々ともし過ぎないように。
けれどもこの日は、旅に出たいと言わなければならない。
「あのさ、ちょっと相談したいことがあるんだこど」
俺の言葉に、両親は少し驚いたように顔を上げ、俺を見た。きっと俺から両親に相談をすることは殆ど無かった。だから驚いたのだろう。
「どうした?」
「あっ、えっと、今日、友達から一緒に旅に出ないかって誘われて……。一週間後ぐらいから、ちょっと長い間家を空けさせてもらえたらなーって」
その言葉に、両親は顔を見合わせる。
いつもと違う食卓の空気。けれども俺にとっては何度もその空気を吸いすぎて、こっちの方が慣れてしまった。
「そうか。クロノももうそんな年齢か」
そう父親はポツリと呟いた。
別に、魔法が使える使えないは関係なく、俺ぐらいの年齢の人間が旅に出るのは珍しい事でもなかった。色んな街に行き、経験を積み、時には生涯の相手を見つける。敢えて経験のため、子供に旅に出すよう促す親もいるくらいだ。
両親もまた、俺を否定することなく笑顔で頷く。
「クロノなら、心配いらないと思うわ。歳の割にとてもしっかりしているもの」
「そうだな。それに、旅先で良い子でも見つけてくるかもしれない」
ちなみに、一緒に旅に出る友達を男性だと思い込んでいる父親が、次の日に紹介したリトラとソフィアを見て驚くのも毎度のこと。そして、恋のトラブルは起こさないようにと動揺しながら言うまでがお決まりだ。
そんな事を思い出して笑いそうになるのを堪えていると、父親は口を開く。
「家のことは気にしなくていい。自由に色々なものを見てきなさい」
「旅に必要なものがあったら言ってね。用意するわ」
「うん、ありがと」
両親の言葉に、最初はホッとした記憶がある。突然旅に出ると言った息子に、優しい言葉で快く送り出してくれる両親。改めて、優しい親だと俺は思う。
こんな両親だからこそ、妹を取り戻して、また心から笑って欲しいと思うのだ。
それから丁度一週間後。パーティの証明書が無事発行され、俺はリュックを背負い、家の扉を開けた。すると、リトラとソフィアが待っていた。
「待ちきれなくて、来ちゃった!」
そうソフィアが心からワクワクしながら言うのも、毎回のこと。
「それじゃあ行ってきます」
次にここに帰ってくるときは、妹を連れて帰れる時でありますように。そう思いながら、俺は一歩を踏み出す。
「行ってらっしゃい」
「気をつけて」
そう言って、両親が送り出してくれるのも、いつものこと。俺も会釈をして、そして歩き始める、はずだった。
「あ、あの……!」
と、どうしてかリトラが、俺の両親に話しかけた。
「あっ、えっと、私、両親がもういなくて……。子供が旅に出るって、やっぱり心配というか、寂しいものなんですか!? なんか、暫く会えないのに、あっさりしてる気がして……」
「ちょ、リトラ!?」
リトラがこんな質問をする事は、初めてだった。だから俺も、本気でリトラの言葉に驚く。
と、父親が、少し動揺したように俺を見た。
「あっ、いや、それは……」
言い淀んだ父親の言葉に、俺は一瞬固まった。父親は、一瞬何かを考えた後言葉を続ける。
「そりゃあ心配だし寂しいよ。親であれば当然の事だからね。けれども、せっかくクロノが新しい世界を見ようとしているのだから、快く送り出してあげたいという気持ちが大きいかな」
そんな父親の様子に、俺の胸はズキリと痛む。
一瞬の動揺が、本音は心配もしていなければ、寂しくもない、そう思っている気がした。それが、あの日生きていたのが妹の方が良かったと、父親もそう思っていたのだと証明されたようで、苦しくなった。
俺は、母親の方をチラリと見る。母親は、少し困ったような顔で俺から目を逸らし、何も言わなかった。
当たり前だ。実の子供ではない俺を、心から心配するはずがない。
「……そう」
リトラはそう言って、俺の父親から目を逸らす。リトラの質問の意図も、俺にはわからなかった。
「クロノ、行こう」
そう言って、リトラは俺の手を引っ張って歩き出す。俺も、両親に再び会釈をして、慌てて付いて行った。
と、リトラは俺の家が見えなくなった所で立ち止まる。
「……ねえ、クロノ。あんたの両親……」
リトラはそれだけ言って、そして口を閉ざした。
「リトラ……?」
「……なんでもないわ」
そう言って、再びリトラは歩き始めた。リトラが何を言おうとしたか、俺には見当もつかなかった。