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第7話 さらなる陰謀の加速

 あの娘を社交界から追い出すためには、もっと決定的な不名誉を与えなければならない――そんな思いがわたしの中で確固たる意思となっていた。これまでの些細ないじめや無根拠の噂程度では、彼女が得ている信頼を崩せない。むしろ、彼をはじめとする人々が彼女をかばい、同情の念を強めるばかりだ。わたしは苛立ちに身を焦がされながら、より大胆な手を打つ必要があると悟った。


 そうしてわたしが考えたのは、“証拠”の捏造をともなう本格的な策略だった。彼女が重大な非行、あるいは失態を犯したように見せかければ、さすがに彼女の評判も一挙に瓦解するだろう。そのためには、周到な手配が必要だ。適当に思いつきで動いては、かえってわたしが疑われるかもしれない。わたしはこの計画のために、使用人の一部を抱き込み、細心の注意を払いながら情報操作を進めることにした。


 まず最初に目をつけたのは、“金銭トラブル”というネタだった。貴族社会では、資産をめぐる問題は深刻なスキャンダルとして扱われることが多い。あの娘は家柄こそ低くはないが、公爵家や侯爵家ほど裕福でもない。もしも「彼女が社交界で目立つために、無理な借金をして高価なドレスを買い漁っている」などの噂が流れれば、周囲は真偽を確かめようとするに違いない。そこへ捏造した証拠――彼女名義の借金記録や、闇の貸金業者との契約書もどき――を示せば、彼女への信用は一気に揺らぐはずだ。


 わたしは、以前からわずかな報酬で動いてくれる商人との関係を利用し、実在しない“貸金明細”を作成させることに成功した。もちろん、それだけでは不十分だ。この文書が本当に彼女の手元から流出したもの、あるいは関係者が誤って外部に漏らしたものという形を整えなければならない。そこでもうひとり、わたしに頭が上がらない下僕を呼び出し、偽の“盗難”を計画した。すなわち、彼女が落とした封筒を偶然拾ってしまった、という筋書きだ。


「うまく運べば、あの娘は弁解の余地もなく追い詰められる」


 書斎で偽書類を確かめながら、わたしは胸を高鳴らせる。これこそが、わたしが求めていた一撃なのだ。あの娘がわたしの婚約者や周囲からいかに愛されようと、こうした疑惑が持ち上がれば、完全に信頼を失うことはなくとも痛手は避けられない。そのとき彼がどんな反応を見せるかはわからないが、少なくとも「彼女は思っていたほど清廉な人物ではないのでは」と考え始めるはずだ。そこに付け込むことで、わたしは彼の心を取り戻せるだろう――いや、もともと彼はわたしのものなのだから、“取り戻す”という表現はおかしい。だが、今の彼の優しさはあの娘に向きすぎている。だからこそ、この手段で断ち切らねばならないのだ。


 計画を実行に移す日は、あの娘も含めた複数の貴族子女が集まる茶会が開かれると決まっていた。場所は王都の郊外にある比較的広い屋敷で、庭園が美しいことで名が通っている。わたしもこの茶会に招かれており、出席するつもりでいた。あの娘はもちろん来るし、彼もまた出席予定だ。場には多くの貴婦人や子女が集まるため、もしそこで“金銭トラブル”が露呈するような書類が出回れば、噂は瞬く間に拡散されるだろう。


 実行当日、わたしはわざといつもより落ち着いた色合いのドレスを選んだ。派手に振る舞って目立つ必要はない。むしろ、できるだけ自然にあの娘を“事件”の焦点へと誘導する方がよい。わたしは冷静を装いながら屋敷へ向かい、到着するとごく普通に周囲と挨拶を交わす。見ると、すでにあの娘も来ており、いつものように柔らかな笑みで応対している。彼は少し離れた場所で、知り合いの貴族らしき男性と言葉を交わしていた。


「今日は穏やかな天気ですね。お茶会にはぴったりです」


 あの娘は、軽やかな足取りでわたしに近づき、礼儀正しく頭を下げる。そのまっすぐな瞳に、自分が今まさに彼女を貶める策略を仕掛けようとしているなど、微塵も気づいていない様子が浮かんでいた。わたしは胸のどこかで後ろ暗い気持ちを感じながらも、それを必死に押し殺して表面上は笑顔を返す。


「ほんとうに。こんなに過ごしやすい日はめずらしいわね」


 わたしがそう言うと、彼女は嬉しそうに頷いて「はい」と返す。その一瞬だけは、まるでわたしたちが友人同士のように見えるかもしれない。だが、わたしの心には毒々しい感情が渦巻いていて、もはや友好的な思いはひとかけらも残っていなかった。今から数刻後、あなたは大きな疑惑を浴びてうろたえることになる――そう思うと、唇の端がかすかに震える。


 計画はこうだ。わたしの下僕が茶会の途中で「拾い物をしてしまったのですが……」と周囲に切り出す。そこには、あの娘が“うっかり落とした”という名目の書類が仕込まれている。中には先に用意した偽の貸金契約書や、借金の延滞を匂わせる手紙。日付や宛先も綿密に捏造してあり、表面をざっと見た人が「彼女の家が借金地獄に陥っている」という印象を受けるように構成されていた。そこから先は、周囲が勝手に話を大きくしてくれるはず。わたしはただ「まあ、なんてこと……」と嘆くふりをしていればいい。


 そうしてわたしは適当なタイミングを見計らい、視線で下僕に合図を送る。彼はわたしの意を汲んで、やがて小さな騒ぎを起こし始めた。茶会の最中、庭の隅で「失礼いたしますが……どなたか、この封筒を落とされた方は……」とわざとらしい声を上げ、数名の令嬢が注目する。わたしも大袈裟に驚くふりをしながらそちらに寄っていく。やがて下僕が「どうやら中の書類に、この屋敷にいらしている方のお名前が……」と芝居がかった台詞を口にすると、他の客人たちも興味をそそられたように集まってきた。


「ええと、これは……?」


 中身を覗き込んだ一人の貴族が、目を丸くする。その書類には、はっきりあの娘の家名が記されているとともに、金額を示す数字や貸し手の署名が続いていた。しかも手紙の文面には「返済が厳しいなら、何らかの形で支払ってもらわねばなりません」といった脅しめいた表現まで含まれている。周囲の人々が「まあ」「そんな……」と声を上げ始め、時折わたしの顔を見る者もあったが、わたしはあえて唇を引き結んで何も言わない。


「ちょ、ちょっと待ってください。それ、どういう意味……?」


 事情を知らされないまま、あの娘は戸惑いがちに書類を受け取ろうとする。しかし、次の瞬間、わたしの婚約者がすばやくその書類を横から取り上げ、端から端まで視線を走らせた。そして、見る見るうちに彼の表情が険しくなるのがわかった。わたしは一瞬だけ胸が痛むような気がしたが、こんなことで躊躇してはいけないのだと己に言い聞かせる。


「こんなもの……嘘だ。君が落とすはずがない」


 彼は低い声でそう告げると、書類をぐしゃりと握りしめた。しかし、その行動は逆効果だった。周囲からは「でも、名前は確かに……」「こんな大金、返せるはずがないわ」といった囁きが止まないのだ。彼がもみ消そうとすればするほど、「何か本当に後ろ暗い事情があるのでは」と猜疑の芽がかえって育っていく。そこが、わたしの狙いでもあった。


「ま、待ってください。わたしは……そんなこと……本当に知らないんです!」


 あの娘は混乱した様子で必死に否定するが、客人たちの視線にはすでに疑念の色が宿り始めていた。いくら口先で弁明しても、書類に家名が記されている以上、彼女自身がそれを否定する証拠を提示しない限り、大勢の前では不利になるだろう。わたしは痛ましげな顔を作りながらも、心の中では小さく勝利を確信した。


「本当にあなたのものではないの? もしそうなら、ちゃんと説明を……」


 一人の令嬢が、不安そうに彼女へ問いかける。けれど、彼女は何も証拠を出せるわけでもなく、ただその場で目を潤ませるばかり。そこへ追い打ちをかけるように、わたしは小さく息をつく仕草を見せながら、あくまで友人を気遣うふりをして言った。


「もし違うのなら、しっかり調べてもらったほうがいいのではなくて? 大金の名前が載っているものが落ちていたなんて……あなたも困るでしょう?」


 周囲に対しては“彼女を助けようとしている”かのような装いをしているが、声のトーンには微妙に疑問を含ませている。そうすることで、彼女の落ち度を暗にほのめかす。こういう手口なら、わたしが何か仕掛けているとは思われにくいはずだ。


 その場は混乱に包まれ、茶会は一時的に中断された。彼は猛烈な勢いで「もうこんなもの、捏造に決まっている」と主張し、彼女を安全な部屋へ連れ出そうとするが、客人たちは何が何だかわからないまま、戸惑いと好奇心を入り交じらせて噂話を続ける。わたしは一見、動揺しているふりをしながらも、内心では成功を確信しはじめていた。――これで、少なくともあの娘が後ろ暗い噂を背負うことは間違いない。たとえ彼女が弁明を試みても、その間に周囲の印象は変化していくだろう。


 ところが、その日の夕方、わたしは衝撃的な事態に直面した。すべてが終わり、わたしが馬車に戻ろうとしていたところ、彼が急な足音でわたしを呼び止めたのだ。振り向くと、彼は先ほどの偽書類を手に握り締め、顔を青ざめさせている。


「……この文字、見覚えがあるんだ。お前は知らないはずがないだろう?」


 彼はそう言って、わたしに書類の一部を示す。そこには契約書を作成したらしき商人の署名が入っていた。わたしは思わず息を呑む。彼がここまで洞察力を働かせるとは想定外だった。たしかに、わたしが以前から取引している商人の名を偽書類に用いてしまったが、それを彼が知っているとは思わなかったのだ。


「……それは、たまたまでしょう? わたしは何も……」


 わたしがしらを切ろうとすると、彼は苦しげに顔を歪め、さらに追及する。


「君は、何か隠しているんじゃないのか。あの娘に妙にきつく当たっているという噂も耳にした。……どうしてこんなことをする? もし、これが嘘だとわかれば……君は……」


 彼の言葉は最後まで続かなかったが、わたしは鋭い警告を感じ取った。まるで、「これ以上、あの娘を傷つける行為をしているのなら、わたしは看過できない」と告げているように聞こえる。胸の奥が冷たく震え、息が詰まるような痛みが走った。それでも、わたしは必死に表情を押し殺し、首を横に振る。


「そんな……わたしが何をするというの? あなたまで疑うの……?」


 わたしは潤んだ瞳を向け、演技めいた悲痛さをにじませる。これまでは、このやり方で彼の追及をかわしてきた。けれど、彼の反応はいつもと違った。彼の目には確かに強い動揺が宿っていたが、それを抑えるかのように唇を引き結んで、最後には「もういい。話はまた今度、落ち着いて聞く」とだけ告げると、その場を去ってしまった。


 馬車に乗り込んでから、わたしは心臓の鼓動が止まらないほどに動揺していた。策略そのものは部分的に成功し、あの娘の評判を揺らがせるきっかけを作れた。だが、その代償はわたし自身の疑惑という形で降りかかろうとしている。今後、彼がさらに調査して真実に近づけば、わたしが絡んでいることを完全に掴むかもしれない。そうなれば、婚約はどうなるのだろう。わたしがこれまで心の支えとしてきたすべてが崩れ去るかもしれないのだ。


 夜になって自室に戻り、必死に寝台へ横たわっても、目を閉じるたびに不安と焦燥が押し寄せてきて眠れない。わたしが固執している愛は、本当に純粋なものなのか、それともただの自己中心的な執着なのか――そんな疑問が頭をかすめても、考えたくない。わたしは歪んだままでもいい。彼だけがいればそれで構わないのだから。いっそ、彼に許しを乞ってすべてを打ち明けたい気持ちに駆られるが、そんなことをすれば元も子もない。わたしは悶々とした夜を過ごし、浅い眠りにつくばかりだった。


 それから数日、社交界には「あの娘が不審な借金をしているらしい」という噂が広まり始めた。彼女の否定に耳を傾ける人も多いものの、少なからず疑いの目を向ける人も出てきている。あらためて、わたしの策略は一応の効果を発揮していた。しかし、同時にわたしへの視線も日に日に冷ややかになっていくのを感じる。「彼女の噂は、もしかして公爵家の娘が流しているのではないか」と囁く人々がいないとも限らないからだ。わたしは気丈に振る舞おうとするが、気づけば頭痛がひどく、肌の調子も著しく悪化している。夜中には何度も目を覚まし、息苦しいほどの恐怖に襲われる。


「これ以上はやめてくれ」


 ある夕刻、わたしが疲れ果てた体を引きずるようにして応接室へ入ると、そこに彼が立っていた。真剣な眼差しでこちらを見据え、そう告げるのだ。その声音にはこれまで感じたことのない硬さがあった。まるで最後通告のように。わたしは戸惑いつつも、必死に言い逃れようとする。


「わたしは、何も……。あの娘の噂なんて、本当に知らないの」


 しかし、彼はわたしの言葉を振り切るように首を横に振る。そして、低く押し殺した声で言うのだった。


「もういい。君の行動は、誰かを傷つけている。……これ以上、踏み込むな。そうでなければ、わたしも君のことを守りきれない」


 その言葉を聞いた瞬間、わたしは震える足を踏ん張りながら、唇を結んで視線を床に落とした。“守りきれない”――それはつまり、彼との婚約だけでなく、わたし自身の立場が危うくなるという宣告にも等しい。今まで、彼はどんなわたしの態度にも許しを与えてくれていたと思っていたのに、ここへ来て初めて突き放される可能性を突きつけられたのだ。


 まるで崖っぷちに立たされているような恐怖に、目の前が暗くなる。愛しているはずの相手に、まさかこんな形で見放されるかもしれないなんて。わたしは自分が仕掛けた策略の重さを、今さらながら痛感していた。しかし、引き返すにはもう遅い。あの娘が彼の庇護を受け続ける限り、わたしの不安は晴れないままだ。わたしが掴みたいのは、誰からも脅かされない絶対的な彼の愛。そしてそのためには、いまさら後退するわけにはいかない――狂おしいほどの思いがわたしを突き動かす。


「……どうして、あの娘をそこまで守るの? あなたは……わたしを見ていてくれないの……?」


 思わず声を震わせて呟いた言葉に、彼はさらに苦しそうな顔をした。そしてわたしから目をそらすようにして、小さく「君こそ、どうして……」とつぶやく。その問いに、わたしは答えることができない。けれど、彼が立ち去ったあと、部屋に取り残されたわたしは崩れるように床に膝をつき、胸を押さえて浅い呼吸を繰り返す。頭の中で理解している。――いま、わたしは確実に破滅の入り口に立っている、と。


 それでも、どうしてもやめられない。やめてしまえば、あの娘が彼を手中にするかもしれない。失うことのほうが、わたしにとっては何よりも恐ろしい。夜の闇に包まれた寝室で、眠れぬままのわたしはシーツを握りしめ、何度も「わたしのものなのに……」とつぶやく。深い孤独と焦りで体が震え、まるで風邪でもひいたかのような悪寒を覚えることさえある。


「たとえ、彼に責められようとも……わたしはあの娘を潰す」


 そう強く自分に言い聞かせる瞬間、わたしの視界はわずかに霞んでいるのに気づく。涙など流しているつもりはないのに、頬が濡れていた。こんなにも必死なのは、わたしの愛がただ一人に向けられた純粋な思いのはず。けれど、誰もわたしを理解しようとせず、彼すらもわたしを受け入れてくれないかもしれない――そんな絶望感が、わたしをさらに狂わせていく。苦しみから解放される術など、もはや見当たらなかった。わたしは自分の破滅をかき立てるように進んでいくしか道がないように思えたのだ。

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