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第5話 純白の令嬢、ヒロインの出現

 次の招待状が公爵家に届けられたのは、わたしが初舞踏会を終えたほんの数日後のことだった。差出人は、とある中流貴族の家だったが、王都の社交界では最近なにやら話題を呼んでいるらしい。母はまるで世間話の延長線上というふうに「あの屋敷は、最近になって評判の良い娘さんがいるそうよ」と言いながら、わたしがどのドレスを着ていくかを選ぶように促した。


 その噂になっている娘というのが、今回の会合で人々の注目を集めているという話は、わたしの耳にも届いていた。下級貴族や平凡な家柄の者が、急に注目されることはそう多くはない。それでも、その娘の“可憐さ”や“優しい人柄”が噂を呼び、あちこちの集まりで人気を得ているらしい。わたしは半ば興味本位のまま、馬車に乗り込み、その屋敷へ向かった。


 到着してみると、そこは装飾こそ控えめながらも、落ち着いた雰囲気を持つ瀟洒な館だった。わたしと母が案内されるままに奥のサロンへ足を踏み入れると、すでに数名の貴族が楽しげにお茶を嗜み、会話に花を咲かせている。ほのかに漂う花の香りと、軽やかな音楽の調べ。大規模な舞踏会とは違う、温かみを感じさせる空気がそこにはあった。


 すると、部屋の一角で顔を見合わせて談笑している人々の中に、わたしの婚約者の姿を見つけて思わず胸が高鳴る。彼は落ち着いた色合いの上着を身にまとい、変わらぬ気品を宿した姿で周囲に笑みを向けていた。すぐに「ここにいたんですね」と声をかけたい気持ちに駆られるが、母に止められ、まずは主催者に挨拶を済ませねばならない。公爵家の娘としてこうした場には慣れてきたつもりだったが、やはり彼がいると意識してしまうのか、上手に笑顔が作れないのがもどかしい。


 主催者との挨拶を終え、母とはいったん離れて、一人でサロンを歩き始める。すると、予期せぬところで視線が交差した。わたしの婚約者が、まったく知らない令嬢と親しげに言葉を交わしていたのである。その令嬢は、まるで白い花のような純粋さを感じさせる雰囲気をまとっていた。飾り気の少ない淡い色のドレスは上等な生地ではあるものの、派手さは抑えてある。しかし、その整った顔立ちや柔らかな眼差し、何より穏やかな笑みが印象的で、わたしの婚約者のほうもどこか楽しげに会話を続けているように見えた。


「まさか、あれが噂の令嬢……?」


 心の中でそうつぶやく。まだ名前すら知らないその娘は、わたしの思っていた“中流貴族の娘”というイメージよりも、ずっと儚げで可憐な印象を与えていた。整った所作は貴族教育をしっかり受けてきた証だろうが、いわゆる華美な“上流の貴婦人”とは異なる親しみやすさを感じさせる。まわりの人々から「まるで天使のよう」と称されるという噂を、わたしは早くも納得し始めていた。


 そして何より引っかかるのは、彼女が婚約者――わたしがあれほど心を砕いている相手――と自然に言葉を交わしていることだ。わたしはその場に足が張り付いたように動けず、二人の様子を遠目に見守るしかなかった。彼はわたしに対するときと同じように、優しげなまなざしを送っている。まるで古くからの知り合いかのような和やかな空気がそこに生まれていた。


「……何を話しているの?」


 いてもたってもいられなくなったわたしは、さりげなく近づき、耳を傾ける。別段、耳をそばだてるほどのことではないのかもしれないが、どうしても気になる。すると、わたしの婚約者が「大丈夫ですか? 先ほど何か慌てていたように見えましたが」と声をかけており、それに対して令嬢のほうが「ええ、ついそそっかしくて、お客様にぶつかりそうになってしまいました。でも、何もなくて本当に良かったです」と恥じらうように答えていた。彼女はその後も、自分が不手際で周囲に迷惑をかけなかったかどうかを気遣うように質問し、彼は大丈夫だと安堵させるように微笑んでいる。


 そのやり取りを目撃して、わたしの胸は激しくざわついた。彼女の口調は上品で、けれど傲ったところがまるでない。周囲への配慮を忘れず、失敗を恥じながらも自分なりに誠実に振る舞おうとしているのが伝わってくる。見た目の可憐さに加え、そうした内面の優しさが相まっているのだろう。大勢の人が集まる場で、彼女がひときわ目立つ存在として扱われるのも無理はないかもしれない。


 しかし、わたしにとっては、それこそが大問題だった。――あまりにも“彼女が誰からも愛される存在”として輝いているように見える。そんな人がもし、わたしの婚約者にとってより魅力的な相手になってしまったら、どうなるのだろう。わたしは心臓をきゅっと締めつけられるような感覚に襲われ、思わずドレスの裾を握り込む。ふと、彼女がわたしの視線に気づいて会釈を向けてきたので、わたしは慌てて無表情を装い、軽く礼を返した。


「公爵家の娘様ですよね。はじめまして。わたしは……」


 彼女は名乗りをあげ、穏やかな笑みを浮かべた。やはり間近で見ると、その清らかさはさらに際立っていた。ドレスの色も淡い花のようで、彼女の柔らかい雰囲気によく似合っている。人の目を見ながら、相手が話しやすい空気を自然と作り出すところも好印象そのもので、まるで「あなたと仲良くなりたいんです」と言わんばかりだ。わたしは一瞬言葉を失いかけたが、冷静さを失わないように注意しながら、わざと落ち着いた口調で答える。


「ええ、こちらこそお目にかかれて光栄ですわ。うちの母も、あなたがとても素敵な娘さんだってお聞きしていて、今日お会いできるのを楽しみにしていたんです」


 そう言葉を返しながらも、わたしの心は穏やかではなかった。そう、彼女の美点を褒めながらも、本当は「そんなに全方位に優しさを振りまいて、わたしの彼から気を引こうとしているのではないか」と勘繰ってしまう。自分でも醜い感情だとわかっているが、どうしても抑えきれない。


 そしてわたしの隣で、婚約者が彼女の手をとるようにして言葉をかけるのを見たとき、その感情はますます大きくなった。彼女の指先に小さな傷があることに気づいたらしく、「本当にそそっかしすぎるんですよ」とからかい半分に注意する。その口調には責める意図が微塵もなく、ただ彼女を心配しているのだとわかる。彼女も「大丈夫ですよ。かすり傷なので、ご心配なく」と微笑んで答えた。二人のやり取りは、あまりにも自然で、まるでわたしが入り込む余地がないかのようだ。


「そろそろ……わたしは、あちらにいる母のもとへ戻りますわ」


 そう告げて、わたしはそっと腰を折りながら退席した。彼とあの令嬢が同時に「あ……」と小さく声を上げるのを耳にしながら、その場を立ち去る。わたしの気持ちなど知らず、二人はまだ何か会話を続けようとしているかもしれない。振り向きたくても、その勇気はなかった。もし再び彼が彼女に優しいまなざしを向けている光景を見てしまったら、わたしは冷静を保てる自信がなかったのだ。


 少し離れた場所から改めて二人を観察してみると、彼は彼女を安心させるように肩に手をかけ、テーブルの上に用意された包帯を取っている。どうやら、さっき彼女がぶつかりそうになった拍子で軽く擦りむいたのかもしれない。周りの人たちも、そんな二人の様子をほほえましげに見守っている。さながら、純粋な少女と優しい青年という物語の一場面のようだ。


「……絶対に、あの子には負けない」


 自然と、そんな誓いめいた言葉が胸を満たす。まだ正式に何か競い合う関係というわけではないし、むしろ彼女はわたしに対して好意的に接している。けれど、わたしは確信してしまったのだ。もし放っておけば、彼女はあまりにも眩しい純粋さで、いつか彼の心をさらってしまう可能性があると。


 わたしの婚約者は、優しい人だ。よほどのことがなければ誰に対しても同じように手を差し伸べ、特に困っている人や不器用な人には放っておけない性分。それを知っているからこそ、わたしは不安に襲われる。あの娘の天使のような笑顔が、わたしから彼の視線を奪っていくのではないかと恐れるのだ。大切な存在を失うのが怖いあまり、わたしは自分でも冷徹な思考に陥り始めるのを感じる。


 このとき、わたしの頭に浮かんだのは、「彼女を遠ざけなければ」という一念だった。具体的にどうするかはまだわからないが、少なくともあの純白のような無垢さをこれ以上、彼と近づけてはいけない。そうしなければ、わたしの大切な存在が脅かされる。その思いが、わたしの心を鋭く突き刺してやまない。


「公爵家の娘として……堂々としていなければ」


 いつものように深呼吸をして、かろうじて仮面の微笑を取り繕う。わたしは他の客人に向かって愛想よく挨拶を交わしながら、静かに屋敷を一周する。やがて、わたしの目は再び彼と彼女のほうに向かう。彼が笑顔で彼女の話に耳を傾け、その声に合わせて笑い合う姿は、ひどく自然で温かい。それを見ていると、わたしは胸がかき乱されるような息苦しさを覚えてならない。


 そうこうしているうちに、やがて短い演奏が始まり、人々は曲に合わせて踊りの輪をつくりはじめた。大規模な舞踏会とは違い、ここでは十数名が小さく輪を描いて、和やかにステップを踏んでいる。その中心には、わたしの婚約者と彼女の姿があった。どうやら、ちょうど近くにいた彼女が誘われる形でパートナーになったらしい。ちょっとしたダンスといえど、二人が並ぶだけで一際人目を引き、周囲も微笑ましくそれを見つめている。


「……わたしの隣りに立つのは、あなただけのはずなのに」


 わたしは思わずそう口を動かしそうになって、慌てて唇を噛む。冷静になろう。今この場で嫉妬をむき出しにすれば、かえってわたしの品位を損ねるだけ。周囲の目には「仲の良い人たちが、たまたま踊っているだけ」と映っているのかもしれない。でも、わたしの内心は穏やかではいられなかった。彼と彼女が手を取り合う姿が眩しくて、刺々しい感情が募る。


 踊りが終わると、わたしの婚約者は彼女を席までエスコートし、軽くお辞儀をして別れた。そのわずかな仕草にさえ、わたしは胸をかきむしられそうになる。彼は礼儀正しいだけなのに、それが彼女への特別な行為に見えてしまうのだ。自分でも理性を失いかけているとわかるが、それほどまでに彼女の存在感はわたしを警戒させている。


 それからまもなく、わたしは意を決して彼のもとへ近づいた。彼もわたしの姿を見つけると、少し気まずそうに「戻っていたんですね」と言い、笑みを浮かべる。わたしは、できるだけ冷静な声音を保とうと努めた。


「ええ、先ほどは失礼しました。……あの令嬢、噂の方なの?」


 率直に聞くわたしに、彼は「そうらしいですね」と、あまり関心がないかのように答える。たしかに、彼女が特別に気になるわけではないと主張しているかのようだが、わたしが求めているのはもっと強い否定だった。たとえば、「あの娘にはまったく興味がない」とか、「心配する必要なんてない」など、はっきりした言葉。だが、彼はそこまで踏み込んだことは言わない。


「彼女は、まだこういった場に慣れていないようで、ちょっと困っていたから声をかけただけですよ。大げさに考えなくても平気です」


 そう言われると、わたしは苦い気持ちになる。たしかに、わたしの考えすぎかもしれない。けれど、あの純白のような魅力をもつ彼女が、このまま社交界に定着していけば、わたしの不安は消えるどころか増していくだろう。彼の優しさが、いつか本当に彼女へと向かってしまうのではないかという恐怖が、わたしを支配してやまない。


「……わたしはただ、あなたが、いろんな人に優しすぎるのではないかと思って……」


 そう言ったわたしに対し、彼は「そんなことはない」と首を振る。さらに「あなたこそ、思いつめすぎですよ」と窘めるように言われ、わたしはその場で何も言い返せなくなる。やがて気まずい沈黙が降り、周囲の目を気にしてわたしは作り笑いを浮かべた。今ここで感情をあらわにするわけにはいかない。わたしは握った拳をドレスのレースで隠しながら、深く息をついて表情を取り繕うしかなかった。


 その日の会合は、わたしの胸に消化しきれない感情を残したまま幕を閉じた。結局、あの白い花のような令嬢とはほんの少し言葉を交わしただけで、まともな会話もできずじまい。表面的には仲良くできそうな雰囲気があるのに、わたしの心は彼女に拒否反応を示す。彼女の優しさや純粋さが、わたしにとって脅威でしかないからだ。


 帰りの馬車の中、窓の外の景色がまったく目に入らないほどに、わたしはあの娘の姿を思い返していた。あんなに可憐で、周囲に愛され、しかもわたしの婚約者ともあっという間に打ち解けてしまう。それをただの社交的な振る舞いだとわかっていながら、どうしても嫉妬の炎が鎮まらない。彼女は悪意なくとも、わたしの大切なものを脅かす存在に違いない――そう決めつけなければ、自分の心を守れそうになかった。


「わたしが、あの娘を遠ざけてみせる……」


 馬車の揺れに合わせて、わたしは心の中で小さくつぶやく。子どものころから厳しく教え込まれてきた“公爵家の娘”としての振る舞いを思い出す。必要ならば、少しぐらい冷徹な手を使うことも辞さない――そんな覚悟すら芽生えてくるのを感じていた。


 こうして、あの白い花のように輝く令嬢との出会いは、わたしの中に強烈な警戒心と嫉妬心を呼び起こし、さらに深い執着を育てていく。表面的にはまだ穏やかさを装っているものの、その裏では「絶対に彼女を遠ざけなければ」と強く誓う自分がいた。すべては、わたしが守りたい唯一の存在――婚約者を失わないために。そう、あの雨の日から変わらず、わたしにとって彼は生きる支柱そのものなのだから。もしそれを奪う存在が現れたなら、わたしは迷わず立ち向かうだろう。たとえそれが、天使のように純粋で愛される娘であっても、容赦などしない――そんな自分の姿を、わたしはうっすらと自覚し始めていたのだ。

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