第13話 許されぬ祈り
朝の礼拝が終わると、わたしは暖かい日差しの中庭へ足を運んだ。小鳥のさえずりが木々の合間を通り抜け、石畳の隙間からは雑草が小さく芽を伸ばしている。ここは、修道院の中でも特に静かで、祈りの声も遠く聞こえるだけだ。わたしは箒を手に、薄い苔が浮きはじめている道をゆっくりと掃きながら、周囲を見回す。かつては舗装された華やかな庭園で、使用人の監督下に立つだけだった自分が、今は誰にも指示されることなく細やかな掃除をしている。そんな場面をふと客観的に思い描き、胸の奥が奇妙に震えた。
あの日、婚約者からの手紙を読んで号泣してしまったわたしは、そのあと少しずつではあるが、修道院での毎日に落ち着きを見出しはじめていた。朝の祈り、子どもたちの世話、清掃や畑仕事、そして夜の祈り――単調とも言える日々の繰り返しを続けるうちに、わたしの心はかすかに澄んでいくような気がする。とはいえ、完全に救われたわけではない。自分の罪や過ちを振り返るたび、無性に胸が痛くなることには変わりがないからだ。
かつてのわたしは、公爵家という肩書きを傘に、傲慢な言葉で人を支配しようとした。あの娘を陥れるために策略を巡らせ、無関係な人々まで傷つけた。その結果、大切だったものを全部失ってしまった。今、こうして修道院で日々を過ごしていると、あまりの落差に自分自身を嘲笑いたくもなる。もしもっと早く、自分の愚かさに気づいていれば、あんな破滅的な道を踏まずに済んだかもしれないのにと――考え始めると、どこまでも後悔の底へ沈んでいきそうだった。
だからこそ、わたしは祈る。午前と午後に設けられた短い祈りの時間、あるいは夜の礼拝堂の静けさの中で、わたしは胸に手をあてて目を伏せる。人々の幸せを願うように言われても、正直、はじめは何を求めればいいのか戸惑いばかりだった。こんなわたしが口先だけで「平穏を願う」などと言っても、虚飾にしかならないのではないかと疑ってしまうからだ。誰かに優しい言葉をかける資格などない、それが今のわたしの本音でもあった。
けれど、シスターたちが「祈りは自分のためだけでなく、人々に平安をもたらすためのものです」と諭すのを聞くうちに、ほんのわずかだけ意識が変わりはじめる。わたしは自分の過ちに対する悔いを抱え、ここで朽ちようとすることに意味があるのかもしれないと思うようになっていた。もしそれが過去に踏みにじった人々への小さな償いになるのなら、たとえ偽善と言われても構わないのではないか。そんな考えを胸に、少しずつ「誰かの幸せ」を祈ることができるようになっていった。
とはいえ、そこには大きな葛藤が付きまとった。「自分に救いを求めることは許されない」という気持ちが強すぎて、どうしても自分自身を赦せないのだ。祈りのなかで思い浮かぶのは、あの娘の笑顔だったり、わたしをずっと慕ってくれた家の使用人の顔だったりする。あるいは、わたしを追放した公爵家の人々の今後を案じる思いでもある。だが、自分の明日や未来を祈ることは、どうしても気が引けてしまう。そうした行為は、わたしの犯した罪を軽んじるように思えてしまうからだ。
そんなわたしを見かねたのか、ある日、修道女の一人がそっと声をかけてきた。いつものように畑で土を耕しながら、その女性は「あなたが自分を責め続けるのは良いことばかりではありませんよ」と、控えめながらもしっかりとした口調で言う。わたしは驚いて顔を上げた。修道院の人々は、わたしの過去に詳しいわけではないはずだが、この感情の荒波を見透かしているように感じたのだ。
「それでも、わたしは多くの人を傷つけ、何もかもを壊したんです。今さら、自分のために祈るなどできません……」
そう答えたわたしに、修道女はわずかに微笑み、「あなたがどんな罪を抱えているかはわかりませんが、ここにいるのは贖罪のためだけではないでしょう。新しい人生を生きるために、自分を赦してあげる方法を探すのも大切なのです」と言い残して去っていった。まるで深い洞察力を持つ聖職者のような言葉に、わたしは立ちすくむほかなかった。新しい人生――そんなものを、わたしが望んでいいのだろうか。自分を赦せないくせに、未来を思い描くなど身勝手ではないのか。問いかける相手もいないまま、わたしは再び鍬を握って黙々と土を耕し続けた。
そんな日々が続くうち、シスターたちや子どもたちの何気ない優しさが、わたしの心をかすかにほぐす瞬間が増えてきた。たとえば、小さな怪我をした子を抱き上げて手当てをするとき、その子がわたしにしがみついて「ありがとう」と笑ってくれる。あるいは、食堂で配膳をするとき、静かに手を合わせて「感謝します」と言ってくれるシスターたちを見ると、胸の奥でほんのりとした温もりが広がるのを感じる。でも、それは決してわたし自身のためではなく、誰かが喜んでくれているのを見るときだけに芽生える。自分への優しさはまだ受け取れずにいるのだ。まるで、それが罰を軽くしてしまうかのように恐ろしく思えてならない。
だが、その恐れとは裏腹に、祈りのひとときでわたしが思い浮かべる人々の顔は、なぜか以前より柔らかなものになっていた。あの娘の純粋な微笑、わたしの乱行を耐え忍んだ人々の姿、そして今わたしを受け入れてくれる修道院の子どもたちの笑顔。それらが目を閉じた闇の中で鮮やかに浮かび上がるとき、わたしは彼らの無事と幸せだけを願っている。そう、わたし自身への赦しなどは求めないまま、それでも「誰かの幸せ」という灯りを遠くに見るようになっているのだ。
「これは、きっとわたしが生きていくために必要な祈りなのだろう」と、ある夜、礼拝堂でろうそくの灯を見つめながら思う。もしわたしが完全に絶望していたら、ここで黙って死を待つか、自暴自棄になっていたに違いない。けれど、彼やシスターたち、幼いころのわたしを助けてくれた人々の存在が、わずかながらでも心を支えてくれている。彼らのおかげで、わたしはもう少し、この修道院で小さな奉仕をしながら過ごしてもいいのかもしれない――そう思えるようになってきた。
もっとも、それは決して大仰な目標ではなく、わたし自身を赦すための道でもない。どこまでも償いの一端として、“わたしが犯した罪を思い出すため”に役立つだけの祈りかもしれない。それでも、この静かな修道院の空気に溶け込むように働き、子どもたちに寄り添い、しばしば畑や家畜の世話をしていると、あの奔走していた自分が少しずつ遠ざかっていくのを感じる。過去を引きずりながらも、同時にそこから離れていく。そんな複雑な流れが、自分の心の底で起こっているのだ。
「許し」を求めるには、あまりにも多くの罪を背負ってしまった。わたしは自分でそれをよく知っている。だからこそ、未だに自分を裁き続ける気持ちが消えないのだが、それでも人々の中に紛れ、祈りを捧げるときだけは、静かに微笑みたいと思えることがある。祈りの言葉を声に出してはいけない気がして、いつも心の中に押し込んでいるけれど、いつか本当に誰かを祝福するような言葉を口にしてみたい――そんな淡い希望が芽生えはじめたのだ。
夜風に揺れるろうそくの炎を見つめながら、わたしはそっと目を閉じる。――これから先、どれほど長く修道院に留まることになるのかはわからない。でも、ここで暮らす日々が、自分にとっての終わりではなく「新しい余生」であるならば、せめて人々のための祈りを捧げ続けよう。その祈りに、わたし自身の救いは含まれない。だが、そんなちっぽけな“優しさ”しか持てないわたしだからこそ、今ここに生き残っているのかもしれない。
そう思い至ると、胸にかすかなあたたかさが宿る気がして、わたしは薄く瞼を開いた。石壁に反射する光の揺れが、まるで誰かの微笑のように見える。あの娘の純粋さや、婚約者だった人の悲しげなまなざし、そしてわたしを見放した両親すら、今は遠い記憶になりつつあった。彼らがどこかで安らかに暮らしていることを願う。わたしの罪を決して忘れるわけではないが、せめて人知れず祈ることで、いつかは自分自身と折り合いがつく日が来るのかもしれない。
その夜、わたしは質素な修道服を身にまとったまま部屋に戻り、薄い寝台に身を預けた。過去を振り返れば胸が軋むが、わたしはそれでも、ここでの静かな労働と祈りを続けるほかないと思っている。自らを厳しく律しながらも、これまでとは違った目で世界を見られるようになるのなら――そう願わずにはいられないのだ。それは、わたしが許されるための祈りではなく、ただ「誰かの笑顔」を心の隅で思い浮かべるための、名もなき灯火のような気がした。わたしは目を閉じ、寝台で大きく息をつく。すべてが穏やかとは言えないが、それでも世界がほんの少しだけ静かに見えてきたのを感じながら、夜の深い眠りへと落ちていく。




