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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

焦がれるイエロー

作者: 南波 晴夏

本作は文学フリマにて販売した合同誌『想い』に収録されている作品です。ぴぴ之沢ぴぴノ介さん(@ppNozw_ppNosk)と百合短編集を作りました。


『想い』は引き続き文学フリマにて販売予定です。ご興味がございましたらぜひブースまで足を運んでいただければと思います。

サークル太陽花屋にてお待ちしております!


『想い』収録作品

・南波晴夏

「焦がれるイエロー」「月の最愛」「桜の行く先」

・ぴぴ之沢ぴぴノ介

「花言葉」「この太陽も吊るされてるんだろう」「もう飽きた」

 私は彼女の太陽になりたい。

 人の役に立つような明るさや温かさは持ち合わせていないけれど、それでも彼女の笑顔だけは絶やさないようにしていたい。

 だから、彼女が悲しむかも知れないことなんて言える筈がなかった。

「……良いと思うよ」

「本当?」

 不安げな表情を向けてくる彼女に、私は改めて「うん」と優しく微笑んだ。いくらか安心したのか、クラスメイトで親友の高倉心陽(たかくらこはる)は僅かに頬を緩めた。

 よくある女子の恋愛話。夏休みを間近に控えた七月下旬、心陽は隣のクラスの男子から告白を受けた。それまでは意識していなかった存在だとしても、好意を向けられれば少なからず心が動くのは自然なことだろう。

 そんな状況で私に出来ることは心陽の選択を肯定して安心させてあげることだけだった。

「私、好きとかよく分からないんだぁ……。でも、お試しでいいって言ってくれたし、私も恋愛してみたいから」

 そう言って、心陽は恥じらうように身じろぎをして笑った。

 そんなこんなで、可愛い親友に彼氏ができた。

 良いことだと思う。幸せになって欲しいと思う。付き合う前に相談してくれたからといって私に決定権がある筈もなく、私は心陽の背を押してやることしか出来なかった。

 そもそもあれは相談というより報告に近いものだった。当然と言えば当然だ。誰だって自分の恋人は自分で決める。他人に決定権を委ねることなんてないし、当人以外の人間には関係のない話だ。

 無論、私が心陽のことを好きだとしても関係ない。

 関係ないけど、ダメージは想像以上に大きい。

「じゃあ否定しちゃえば良かったのに」

 柔らかいソファに突っ伏していた顔を上げると、幼馴染の泰知(たいち)が呆れ笑いを浮かべながら湯気の立つココアを差し出してきていた。好物のそれをありがたく受け取りながら、「そんな可哀想なことするわけないだろ……」と力なく返す。

 好きな人から恋愛相談を受け、失恋を突き付けられた日の放課後。私はマンションの隣の部屋に住む幼馴染の家に来ていた。唯一何でも話せる存在ということもあるが、今一人になったらどこまでも沈んで行ってしまいそうで怖かった。心の中心にあったものがぽっかりと抜け落ちて、精神も体も底なしの暗闇に落ちていくような感覚がした。緩みきった涙腺からは機械的に涙が流れ続けている。

 空いた片手でティッシュ箱を私の横に置き、泰知は自分の分のココアを一口飲んでから「でもさ」と言葉を続けた。

「まだその彼氏のこと好きなわけじゃないんでしょ? 千紗(ちさ)にもチャンスあるじゃん」

 簡単にそんなことを言ってのける幼馴染が途端に別世界の人間のように思えてくる。気付くと私は全力で顔をしかめていた。

「本気で言ってる……?」

「気持ち伝えないと何も始まらないでしょ~」

「他人事だと思って……出来るもんならとっくにしてるわ……」

 大きなため息を吐いて再び顔を伏せる。頭上から「零すよ~」と注意する声が聞こえるが、最早答える気力も起き上がる気力もなかった。カップを手にした右手に意識を割きながら、暗い視界をスクリーンにして心陽の笑顔を映す。

 まだ少し幼い中学生時代の無垢な笑顔。私たちが出会った入学式の日。

 初めて交わした会話も続けて浮かび上がり、やけに懐かしい思い出に浸る。

 出席番号順に割り当てられた席に腰かけ、静かな教室を見渡す。やがて目に止まったのは前の席から垂れるふわふわとしたツインテールだった。低めの位置で結ばれた髪は陽の光を孕んだように淡い色をしていて、どことなく懐かしい匂いがした。そんな訳でじろじろとその後ろ姿を見ていた私は、彼女が振り返ったことに一層驚いてしまった。

「あの、私高倉心陽って言います。……よろしく、ね」

 そう言ってはにかんだ彼女を見た瞬間、世界が変わった。月並みな表現だと分かっていても、それ以外に言葉が見つからなかった。心陽の笑顔はダイレクトに私の心臓を貫き、それからの日々を鮮やかに彩ってくれるものだった。

 後になって、それが初めての恋だと気付いた。

 それから三年間、私たちは奇跡的に卒業まで同じクラスで笑い合うことが出来た。高校も家から近いことを言い訳に心陽と同じ場所を選び、十六になった今も私は心陽の隣に居座り続けていた。

 私はどうしようもなく心陽に心を奪われてしまっているのだ。

 外見の可愛さだけでなく、人懐っこい性格や持ち前の明るさ、何気ない仕草の一つ一つにまで惚れ込んでいた。誰にでも平等にまっすぐな所が好きだった。私にないものを持っている心陽が好きだった。柔らかい空気を纏うばかりどこか危なっかしい心陽を守ってあげたかった。ずっと隣で笑った顔を見ていたかった。

 けれど、一方的に抱え続けた恋心は近頃毒が回るような痛みを伴うようになってきていた。

 言うまでもなく、叶わない恋というのは苦しいものだった。

 目を背けてしまえれば、ただの友達として大事にすることが出来ればどれだけ良いだろうと思った。恋の痛みが心を蝕んでも、純粋な好意に執着が混じっても、私の世界から心陽を消すことは出来なかった。中学の頃にふと口をついた「ずっと一緒」が、女子の間ではよくあるじゃれあいに過ぎないと分かっていても忘れられなかった。

 重症だった。誰に言われずとも分かっていた。

 私は心陽に焦がれている。

 まさしく、向日葵の蜜を求めるミツバチのように。



            *



 小さな憧れが恋に変わるなんて思ってもみなかった。

 絵に描いたようなヒーロー。かわいくてかっこよくて、優しい人。

「私は津村(つむら)千紗。よろしくね」

 初恋だった。初めてその笑顔を向けられた時は緊張と恥ずかしさで死んでしまいそうだった。

 中学の入学式、私はクラスが発表される前から千紗ちゃんのことを知っていた。

「どうした?」

 中庭の隅で聞こえた声。そこには同じ制服を着た女の子二人の姿があり、一人はその場にしゃがみ込んでしまっていた。恐らく気分が悪くなってしまったのだろう。その子は木陰に隠れるような場所にいたから、きっと気付いたのは千紗ちゃんだけだった。

 千紗ちゃんはその子に肩を貸しながらゆっくりと立ち上がらせ、一番近くのドアから校舎に入って行った。そして千紗ちゃんは焦るでもなく、優しい声で「大丈夫だよ」と囁いたのだった。

 まるでドラマや映画のヒーローだった。

 千紗ちゃんと仲良くなって、好意を自覚して、私は付け回すように千紗ちゃんとばかり話すようになった。とにかく好きで、近くに居たくて仕方がなかった。

 恋に浮かされ、恋に溺れて、私は自分の気持ちを押し付けることしか考えられなくなっていた。

「泰知、今日うち来れる? 前借りた本返したくてさ」

「良いけど……もっとゆっくり読んでいいよ?」

「面白くてすぐ読んじゃったから。あと昨日映画借りてきたから一緒に観ないかなって」

「お、いいねぇ~。もしかして前言ってたやつ? あれ僕も観たかったんだよね」

 クラスメイトの小坂(こさか)くん。千紗ちゃんの幼馴染。

 小坂くんと居る時の千紗ちゃんは楽しそうで、私と居る時とは違う笑い方をしている気がした。

「ねぇ千紗ちゃん」

 中学三年生のある放課後、私は祈るような気持ちで千紗ちゃんを呼び止めた。千紗ちゃんはいつものように「ん? どした?」とすぐに私の方を振り返ってくれた。優しさの滲む声、私の顔を覗き込む仕草。それだけで私の心臓は高鳴っていた。

 いつもならその甘さに浸っていられるのに、走る鼓動はチクチクと痛みを伴っていた。

「……小坂くんのこと好きなの?」

 声が震えないように、小さく尋ねる。怖くて千紗ちゃんの顔は見れなかった。見えなくても、千紗ちゃんの動揺は嫌という程伝わってきてしまった。

「えぇ? 泰知はそういうんじゃないよ。幼馴染だし」

 分かってたのに。私は、応援してあげなきゃいけなかったのに。

「……そっかぁ。千紗ちゃんに彼氏ができたら、寂しいなって思っちゃった」

 印象付けるようにゆっくりと話し、眉尻を下げて控えめな笑みを浮かべる。

 自分の狡さは自覚していた。それまで甘く輝かしいだけだった恋心は、泥を塗られて汚いものに姿を変えてしまった。自業自得の切なさを感じると同時に、その汚さまで利用してしまう執着心はなんて厄介なものだろうと思った。

「私の一番は千紗ちゃんだから。……ずっと一緒に居てね」

 優しい千紗ちゃんはきっと、私との約束を守ってくれる。……なんて、どうして好きな人の優しさまで利用してしまったのだろう。

「……どうしたの、急に。それはこっちのセリフだよ」

 変わらず優しい千紗ちゃんの笑顔を思い出すたび胸が痛む。

 あんなこと言うんじゃなかった。あんな風に優しい人を縛り付けて良い筈がなかった。

 ……だから、こんな関係をいつまでも強要し続ける訳にはいかないと思った。

「高倉と津村ってずっとくっついてるよな」

 委員会の帰り道、中学からの同級生の都築(つづき)が言った。隣のクラスの男子にまでそんなことを言われるなんて相当だなぁ、と改めて反省する。

 その日は用事があったらしく千紗ちゃんは先に帰っていたけれど、私がジャンケンに負けて押し付けられた文化祭実行委員の二人目に、千紗ちゃんは自分から立候補した。言うまでもなく私のせいだった。慌てて止めたけれど、千紗ちゃんは「自分がやりたいから」と譲らなかった。どこまでも頼り切りで情けなくなる。

「やっぱり私、千紗ちゃんの邪魔しちゃってるよね……。いっそ私に彼氏でもできれば良いんだけど……」

「んえ? なんでそうなんの?」

「私に彼氏が出来れば、千紗ちゃんのお荷物も減るでしょ」

 そうしたら千紗ちゃんもきっと、好きな人と一緒に居やすくなる。本当はそんなの嫌だけど、嫌で嫌で仕方ないけど、これ以上千紗ちゃんに迷惑をかけたくはなかった。

「お荷物ねぇ……。津村はそんなこと思ってないと思うけど」

「都築に何がわかんの!」

「はいはい、すんませんね」

 思わず声を荒げて頬を膨らませる。千紗ちゃんのこと何も知らないくせに、という本心は何とか飲み込んだ。私だって、千紗ちゃんの全部を知っている訳じゃない。本当は知らないことの方が多いかも知れない。

 都築のことをとやかく言える立場ではなかった。

「それはそれとして、彼氏候補はいんの?」

「いないよ、そんなの」

『彼氏』にしたい人はね、と心の中で付け加える。何も知らない都築は「作戦破綻してんじゃん」と楽しげに笑っていた。

 それがなんだか憎らしくて、大きなため息と共に私は突拍子もないことを口にしてしまった。

「じゃあもう都築が付き合ってよ……」

「えぇ……? そんなにか……」

 これには流石の都築も驚いていた。というか、たぶん引いていた。

 何馬鹿なこと言ってるんだろう。そう思った直後だった。

「じゃあ、『ふり』なら良いんじゃん? それなら付き合うよ。高倉さえ良ければ」

「え……?」

 予想外の都築の提案に、今度は私が驚く番だった。騙すような行為に抵抗がない訳ではなかったけれど、考えてみればそれは絶好の作戦だった。

「……いいの?」

「まぁ……。それで津村が喜ぶかどうかは知らんけどな」

 後半の言葉には聞こえないふりをして、私は都築と偽恋人になった。『偽』だからこそ、まずは千紗ちゃんに信じてもらわなければいけないと思った。千紗ちゃんは頭も良くて鋭いから、相当のことをしなければ。

 そんなことを考えて、そもそも恋人ってどんな感じなんだろう、という素朴な疑問にぶつかる。

「都築! 元カノの写真見せて!」

 手っ取り早く都築の好みを知れば恋人らしくもなるだろう。そんな安直な考えで都築からスマホを奪い取る。

 馬鹿な私は、これで全てが上手くいくと思っていた。千紗ちゃんの優しさを抜きにして、対等な友達になれると思っていた。

 ただ、私には恋愛経験がなかった。壊滅的なほどに。

 初めての『恋人』に対する接し方が、一ミリも分からなかったのだ。



            *



 ふわふわと背中で揺れる髪が好きだった。無意識に見つめていたあの日のツインテールをずっと愛しく思っていた。

 だから、肩にも付かないボブの髪を揺らす心陽を見た瞬間、私は思わず目を見開いてしまった。

「心陽!? どうしたのその髪!」

「流石千紗ちゃん気付くの早い!」

「いやそんなバッサリ切って気付かないわけないでしょ! 何かあったの!?」

 驚きを超して心配までしていた私に、「都築の好み~」という心陽の声はぐっさりと刺さった。思わず出そうになった呻き声を既の所で飲み込み、「そうなんだ」と精一杯の作り笑いを添えて返す。

 言うまでもなく致命傷だった。何が悲しくて好きな子を奪った彼氏の好みを褒めなければならないのだろう?

 そう思いながらも、私の口は自然に「似合ってるね」と発声して口角を上げていた。仕方がない。私の中では心陽の笑顔が全てなのだ。時には嘘も必要になってくる。

 この先益々こういう場面は増えるだろう。その分私の吐かなければならない嘘も増えるということで、そんな未来を考えただけで気分が沈む。そういうものだと分かっていても、報われない片想いには弊害が多くて嫌になる。

「千紗ちゃん? どうしたの?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる心陽に、やっぱり私は優しく笑った。

「なんでもないよ」

 心陽が選んだことなのだ。私がどうこう言う必要も資格もない。

 ……けれど、一つだけ気になることがあった。

 中学の頃から大切に伸ばしていた髪。褒められると特に喜んでいた髪。長めツインテールの面影はなく、肩上で踊るボブになったその髪を、心陽は気に入っているんだろうか。

「ボブ、好きなんだね」

 休み時間、たまたま廊下にいた都築を捕まえて微笑みかける。当然心陽のことだと気付いたようで、都築は「いやぁ……」と言葉を濁していた。

 しらばっくれられても困るけど、気まずそうにされたら益々疑いたくなってしまう。あの髪型は都築が強要したものなんじゃないか、と。

 そんなことを考えていた矢先、都築は言いづらそうに口を開いた。

「実は元カノが短かったんだよね」

 首元を掻きながら言った都築に、ぶわっと全身の毛が逆立つような心地がした。

 なんだそれ、と思った。それならまだ『好み』と言われた方がましだった。今カノの容姿を元カノに似せるなんてとんでもなく失礼な発想だ。軽蔑と同時に言いようのない怒りが胸を焼いていく。

「それ、心陽に言ったの?」

「言ったっつーか、言わされたっつーか……」

 問い詰められて、と都築はばつが悪そうに言った。その事実に拍子抜けして、私は思わずフリーズしてしまった。段々と脳の処理が追いついていくに連れ、怒りは熱を失い全身が真冬の夜に投げ出されたように冷たくなった。

 都築の好みを知りたがったのは心陽の方だった。

 心陽は自分から、都築の……『彼氏』の好みに寄せようとしたのだ。

「……なんだ」

 普通に、好きなんじゃん。こいつのこと。分かんないとか、お試しとか言っといて。

 ……私が一番だって、言ってくれたのに。

「津村さーん」

 俯きかけた顔を上げると、そこに立っていたのは二年生の文化祭実行委員長だった。

 急な訪問に驚きつつ、「お疲れさまです」と軽く会釈をする。

「ね、津村さんって写真部だったよね? ポスターとかに使う写真お願いしてもいいかな」

「あ、はい……。何の写真ですか?」

 本当に急だな、と思いつつとりあえず聞いてみる。委員長は間髪入れずに「向日葵!」と満面の笑みで言った。それを聞いて、何かしらのイメージを提示されると思っていた私は思わず頬を引きつらせてしまった。向日葵の写真なんて一枚も持っていない。

 口を開きかけた時、ふと委員長の目が全く笑っていないことに気が付いた。……嫌な予感がする。

「てか、私部長なんだけどね。津村さん私のこと知らないでしょ」

 ピシッと全身が凍り付く。動揺する私に気付いているのかいないのか、委員長は貼り付けたような笑みを崩さない。……いや、ここでは『部長』と呼ぶべきか。

 背筋を伝う冷や汗を感じながら、へらへらとした笑みを浮かべる。最近、というか入部して一か月も経たない頃から部活には参加しなくなっていた。自業自得と言われれば返す言葉もないけれど、進路のこともあるしここで強制退部させられては堪らない。

 これは逃げられないな、と私は大きなため息を吐いた。



            *



「カメラかっこいい~! さすが写真部だね!」

 無邪気に一眼レフを褒めてくれる心陽に、「まぁ幽霊部員だけどね~」とおどけて笑いながらカメラの設定をいじる。

 夏休み初日、私は心陽と一緒に大規模な自然公園に来ていた。目的はもちろん向日葵撮影、そして私の強制退部回避だ。

「折角の夏休みなのに付き合わせてごめんね」

 私情も混ざっているだけあって申し訳なく思っていたけれど、心陽はいつになく楽しそうだった。

「ぜんっぜん! 私も実行委員だし、千紗ちゃんとお出かけしたかったもん!」

 そう言って眩しく笑う心陽は相変わらず可愛い。

 運良く空は晴れ渡っていて、今日は絶好の撮影日和だった。自然光ほど映えるものはない。眩しい太陽に心の中で感謝しながら、丁度綺麗に咲いている向日葵にピントを合わせる。久々の撮影はやっぱり楽しくて、撮った写真を見せるたび心陽が目を輝かせて褒めてくれるので、私はまんまと調子に乗っていた。

「ねぇ、心陽のことも撮っていい? ポートレートの練習したくてさ」

 どさくさに紛れて言うと、心陽は「いいよ! むしろ嬉しい!」と快諾してくれた。言ってみるもんだな、と思った。もちろん文化祭用に使う写真ではないから完全な私の趣味だ。心陽以外には誰にも見せないし渡さない。

 都築には悪いけど、今日の心陽は私が独り占めしていたかった。

 順調に文化祭用の撮影も終わり、私たちは公園内にあるカフェで昼食を取ることにした。革張りのソファや西洋風の家具が揃う良い雰囲気のカフェで、私たちは窓際の四人席に座った。

 向日葵と心陽の写真を見せながら盛り上がっていると、改めてその明るい笑顔に太陽のような花はよく似合うなぁと思った。

「心陽って向日葵みたいだよね」

 ぽつりと呟くように言うと、心陽はぱっと顔を上げて「ほんと?」と目を輝かせた。

「私の名前の由来、向日葵なんだ。向日葵のようにまっすぐ真心を持って、陽の射す方に進んで行けますように」

 私の撮った向日葵を見つめながら、噛み締めるように心陽が言う。その優しい表情から、心陽がその名前を気に入っていることがよく伝わってきた。

「……良い名前だね」

 思ったことをそのまま声に出す。『心陽』という名前も由来も心陽の人柄に似合っているし、陽の射す方に、という願いは素直に素敵だと思った。

 やがて運ばれてきた昼食を堪能し、私たちは色々な話をして穏やかな時間を過ごした。中学の頃の思い出話や他愛ない世間話に花を咲かせていると、心陽が言いづらそうに口を開いた。

「……千紗ちゃん、小坂くんと付き合わないの?」

「え?」

 唐突な話題に心臓が跳ねる。思えば、中学の頃も心陽はそんなことを聞いてきたことがあった。その時否定した筈なのだが、心陽の誤解は完全には解けていなかったらしい。

「付き合わないよ。そんな風に見てないんだ、お互い」

 なるべく平静を装って答える。心臓が嫌な音を立てていた。心陽に彼氏が出来てから、心陽と恋愛話をするのはもう怖くなっていた。

 何しろ、心陽は私にだけ刺さる棘をいくつも持っている。

「でも、二人お似合いだし……」

「心陽」

 気付いた時には心陽の言葉を遮っていた。これ以上惨めになりたくなかった。心陽の話は最後まで聞いてあげたかったけど、これ以上耐え続けたらきっと心が壊れてしまう。

「……私が好きなのは泰知じゃない」

 今目の前で、可愛い目を不安げに揺らして、私の言葉を待っている、彼氏持ちの女の子。

 揺らぐ心に陰が射す。……言うな。壊すな。これ以上、この関係にヒビを入れるな。

「……私の好きな人、女の子なんだ」

 その言葉は、薄暗いカフェでやけに大きく響いた。大した決心もつかないまま口にした言葉を早くも後悔する。視線を下げたままその場の沈黙に耐えていると、震える手に心陽の温かい手が触れた。

 顔を上げると、心陽はなぜか泣き出しそうな顔をしていた。

「……ごめんね。今までずっと、勝手なこと言って」

 対面に座る心陽の顔が揺らぐ。そんな風に言ってくれるなんて思ってもみなかった。優しい心陽が私を非難したりしないことは分かっていたけれど、それでも私はどこか不安だったのかも知れない。近頃はジェンダーレス思考が浸透してきたといっても、感じ方は人それぞれだ。否定も肯定も強要しない。

 けれど、心陽から距離を置かれてしまうことだけは堪らなく怖かった。

「出よっか」

 静かにそう言った心陽に、私は潤んだ瞳を隠して頷いた。それ以上何も言わず、踏み込むこともしない心陽の態度がありがたかった。

 外に出ると、段々と傾き始めている太陽が見えた。遠くの空は薄くオレンジ色に染まっている。昼間綺麗に晴れていただけあって美しい空だと思った。その風景を撮りたいとも思ったけれど、カメラはもう丁寧にカバーをかけて鞄の底に入れてしまっていた。せっかく心陽と居られる時間にスマホを触るのもなんだか気が引けて、私はその空色を鮮やかな黄色と共に目に焼き付けた。

 それからしばらく、私たちは口を開かないままでいた。向日葵の咲き誇る道を並んで歩き、ゆっくりと終着点に近付いて行く。

 やがて空全体が赤色に染まった頃、ふと手を引かれる感覚があった。カミングアウトした以上心陽から触れてくることはないと思っていた私は、驚きのあまり勢いよく振り返ってしまった。私の一歩後ろで足を止めていた心陽は、下を向くまま小さく肩を震わせていた。じっと足元を見つめる心陽の表情は確認できない。

 夕陽に花弁を透かす向日葵を背景に、真赤に染まった心陽の耳だけが見えた。

「好き」

 ぽつりと落とされた言葉が鼓膜を揺らす。唐突すぎて逆にぼんやりとした頭で、その言葉をゆっくりと咀嚼する。それは心の中で何度も唱えた言葉だった。

「こんなタイミングで言うなんて最低だよね。ごめん。……でも、好きなの。ずっと好きだったの」

 細かく震える小さな手が、それでも縋るように力強く私の手を掴んでいた。まるで都合の良い夢のようで、いまいち信じられない状況だった。その現実を処理しきれないまま、なんとか口を開く。

「……だって、都築は」

「……嘘なの。私、千紗ちゃんが小坂くんのこと好きなんだと思ってて……。私のせいで、付き合えないんじゃないかと、思って。……都築は、付き合ってるふりしてくれてただけなの」

 心陽の足元に水滴が落ち、乾いた土に小さな染みが出来る。

 上手く頭が回らない。涙声で続く心陽の声はほとんど頭に入って来なかった。

「ごめんね、急にこんなこと言って。……あの、私、もう帰るね」

 やがてそう言った心陽は、私の手を離して身を翻した。口を開くより手を伸ばすより早く、心陽は土を蹴って走り出した。

 私は呼び止めることさえ出来ずに、あっという間に離れて行く背中を見つめることしか出来なかった。

 夏風に揺られる向日葵とボブの髪がやけに眩しく見えた。



            *



 長いようで短い夏休みが明け、二学期が始まった。心陽と顔を合わせるのはあの日以来だ。

 もう遅い、かも知れない。

 今更告白の返事なんて。ましてや、付き合って欲しいなんて。

 そう思わない訳ではなかったけれど、それでも勇気を出したいと思った。何せ三年前から抱えてきた初恋だ。ここまで来てしまったなら最後まで貫き通すしかない。

「まだ、間に合うかな」

 写真の中の向日葵に問いかける。まっすぐ空に伸びたそれは、太陽に向けて鮮やかな花弁を大きく開いていた。輝かしい黄色は目に焼き付く日差しのようで、太陽の花とはよく言ったものだなぁとぼんやり思った。

 やがて静かな空間に小さな足音が響いた。いつの間にかそれだけで高鳴るようになっていた心臓を押さえ、深く深呼吸をする。

 遠くの廊下から小走りに駆けてくる人影が見える。



 私は心陽の太陽になりたい。

 向日葵のようにまっすぐな心陽に、こっちを向いて笑って欲しいから。

『想い』

令和五年十一月十一日発行

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― 新着の感想 ―
 面白かったです。  南波さんの丁寧な文章で描かれた二人の感情が爽やかだと思います。しっかりと分かりやすく描写されていて、誤魔化しや妥協を感じないです。    展開などももちろんよかったですが、この…
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