転移前後の一幕
◇西暦2024年 12月24日 22:12 日本 東京 渋谷区
クリスマス・イブ。
イエスキリストの降誕祭前夜を意味するその言葉は元々は西欧の文化であったが、20世紀の半ば頃に日本にも大々的に持ち込まれ、(かなり形を変えつつも)現代では日本の代表的なイベントの一つとなっている。
クリスマスの日に雪が降る事をホワイトクリスマスと呼ぶが、残念なことに昨今の地球温暖化による影響もあって近年ではクリスマスに雪が降る事は滅多にない。
しかし、それでも季節が冬な為に気温はかなり低く、そんな寒空の下で中学二年生の少年――冬ノ宮雄樹はある人物に待ち合わせ場所として指定された場所で、空を見上げながらのんびりと相手が来るのを待っていた。
辺りは今日がクリスマス・イブであることもあって深夜にもかかわらず、人通りはかなり多かったが、人込みに慣れている雄樹には全く苦にならないどころか、これからやってくる人を想いながら何処かうきうきとした様子で待ち人を待っている。
――そして、それから数分後、少年の待ち人は遂に現れた。
「お~い!雄樹ィ!」
快活そうな声でユウキにそう呼びかける一人の少女。
オレンジ色のセーターを着込んだその少女の顔立ちは絶世の美少女と断言できるほどに整っており、並のモデルでは彼女に対抗することすら出来ないだろう。
更には外国人の血を引いていることも有るのか、そのプロポーションも出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでおり、偶々近くを通りがかった通行人は彼女のあまりの美しさに思わず目を奪われている。
だが、当の彼女は周囲の人間が寄せる好奇な視線を気にすることなく、ユウキの方に駆け寄っていく。
「お待たせ!遅れちゃってごめんね」
「いや、大丈夫。全然待ってないから」
彼女の謝罪の言葉に、ユウキはそんな言葉を返す。
・・・実のところ、待ち合わせの時間は22時であったので、彼女は完全に遅刻して現れた訳なのだが、付き合ってこそいないものの、今日彼女と会うことを楽しみにしていたユウキとしては雰囲気をぶち壊しにしたくなかったこともあり、一般的な男女のデートにおける男性側のマナーに則り敢えて嘘を言っていた。
「本当にごめんね。次から絶対に気をつけるから!」
「分かったから。それより行こう、一応俺は中学生だからお巡りさんに見つかると、ちょっと不味いことになるから。家のこともあるし」
「そうだね。じゃあ、急いでユウキの家に行こう!」
そう言うや否や、彼女は雄樹の手を引っ張って歩き出し、雄樹もまた彼女の相変わらずの強引な態度に呆れながらも、嬉しそうに笑みを溢しながら二つ年上の従姉妹にして初恋の少女――夏ノ宮春花と共に渋谷の街を歩いていった。
◇
冬ノ宮家と夏ノ宮家。
それは21世紀の現在では数少なくない皇族の家系であり、共に外交皇族と呼ばれる涼ノ宮家の分家だ。
基本的にこの21世紀において皇族の家系は現天皇の直系とこの涼ノ宮家の二つ以外は存在しない。
第二次世界大戦直後に涼ノ宮家が主導して行った“大粛清”によって皇族の家系の大半が断絶してしまい、残りも様々な理由から20世紀後半にはその姿を消したからだ。
家系図がスッキリしてしまったこともあり、基本的に皇族内での親戚同士での仲は良く、この両家もその例外ではない。
特にユウキと春花は彼女が軍の士官学校に入った後も休みの日などを利用して交流を続けていた為に、両者の関係はこうしてクリスマス・イブの日に相手の家を訪れる程に良好そのものだった。
「改めて言うけど、久しぶりだね。二ヶ月ぶりだっけ?」
リビングに存在する炬燵に入りながら、春花は改めて雄樹にそう挨拶する。
冬ノ宮邸は用意されている家具こそ一般的な水準より高価な物が揃えられているが、その内装は皇族の家とは思えないほど質素だ。
外の警備体制さえなければ、誰もここが皇族の家だとは思わないだろう。
それほどこの家の内装は庶民の生活水準に会わせる形で作られていた。
「10月に会ったきりだったからそうなるね。元気にしてた?」
「うん。相変わらず、訓練は厳しいけどね」
そう言っててへっと可愛らしく舌を出す春花。
前述したように、春花は今年の4月から軍の士官学校へと入校したために、世間一般では女子高生という年齢にも関わらず、忙しい毎日を送っている。
ちなみにだが、昔ならいざ知らず、現代では皇族だからといって必ず軍に行かなくてはならないという習わしは存在しない。
むしろ、皇族の人間が戦死してしまったりするとその上官の首が道理に適っていようがいまいが問答無用に飛ばされてしまうことから、忌避されているほどだ。
もっとも、流石にそんな理由で皇族の軍への入隊を禁止するわけにも行かないので、入隊そのものは出来るのだが、軍の上層部からはいい顔をされないし、よっぽどのことがない限り前線に出されることもない。
彼女が何を思って軍人になると言ったのか未だに雄樹には分からなかったが、基本的に軍というのは皇族にとってアウェーな空間なので、ちゃんとやっていけるのか雄樹は凄く心配していたのだ。
(結局、取り越し苦労だったか。まあ、良かったと言えば良かったんだろうけど・・・やっぱり少し心配だな)
今時女性軍人など珍しくもなかったが、雄樹も一人の人間として好きな人に危険な職に就いて欲しくはなかった。
まあ、士官学校に入ったからと言って3年間の課程をちゃんと全てこなせるかはまだ分からなかった(実際、途中で辞める人も結構居る)し、卒業しても実際に軍へ入隊する道を選ぶかどうかも分からない。
ましてや、皇族である春花が最前線に行く可能性など無いに等しいだろうが、それでも軍に所属する限り、リスクは常にある。
・・・もっとも、自衛隊に比べればそのリスクもまた格段に低いだろうが。
「そっか。春花が元気でやっているならそれで良いんだ」
「ふふっ、ありがと。それより雄樹はどうなの?」
「そりゃあ、友達と遊んだり、勉強をしたり、部活をやったり・・・まあ、とにかく上手くやってるよ」
「彼女は出来た?」
「俺はまだ中学生だよ?まあ、早いやつは出来てる奴も居るんだろうけど、少なくとも俺は出来ていないよ」
それに好きな人がこうして目の前に居るのに、それを差し置いて別な奴と付き合えるわけ無いだろ。
そう思った雄樹であったが、流石に口に出すことはなかった。
「へぇ。でも、雄樹は私さえ側に居なければ、すぐにでも告白してくれる娘が一人や二人は出てきそうなんだけどなぁ」
「そんな簡単にはいかないって事だろ。実際、春花が卒業してから今までの間、俺は一度も告白された事なんて無かったし」
これは嘘ではない。
雄樹は顔こそそれなりに良いという程度であったが、文武両道で勉強もスポーツもかなり出来るし、頭の回転も早い。
更に社交性も高いので、男女問わず友達も多いのだが、恋人という段階になると皇族という肩書きが邪魔となってくる。
昔と違い、涼ノ宮家の系譜の家系は恋愛は自由となっているのだが、それでも皇族の権威が未だに根強く残るこの日本では、友達という立場ならいざ知らず、恋愛となると皆尻込みしてしまうのだ。
ちなみにこれは去年まで中学に通っていた春花も同じ事情だったりする。
もっとも、彼女の場合は異性からこそ無かったが、同性からの告白はそれなりにあったりするのだが。
「そっかぁ。意外だったな、雄樹がモテないなんて。じゃあ、 陽奈ちゃんの方は?」
「さあ?あいつは別の中学に進学して以降は電話やライン以外では連絡を取ってないから分からないや」
春花の問いかけに、雄樹はそう言って炬燵の上に置かれていたカップを手に取り、その中に入ったコーヒーを育ちの良さを伺わせる上品な仕草で口に含む。
ちなみに陽奈とは雄樹の一つ年下の義妹で、元はとある華族の令嬢であったが、幼い頃に両親が死亡してしまい、その後、雄樹の父親が引き取る形で冬ノ宮家へとやって来た少女だ。
春花とは対称的に大人しい性格の少女で、生まれつき体が弱かったのか、小学生時代は体調を崩すことが多く、雄樹もよく看病していた。
だが、去年、春花が士官学校に行くと言い出したのと殆ど時を同じくして彼女は雄樹や春花が通っていた中学とは違う中学へ行くと言い出し、雄樹を驚かせたものだ。
そして、陽奈の申し出に対して両親は最初こそ反対していたが、どうやって言いくるめたのか、最終的に彼女の申し出を了承し、今年の春に彼女はお付きのメイドと共にその中学の寮へと引っ越していき、雄樹は春花だけではなく陽奈とも物理的に距離を離すことになっていた。
「・・・引っ越してから一度も会ってないの?」
「ああ。なんでも一人前になるまで俺とは直接会いたくないらしくてさ。こっちからはなかなか会いには行きずらかったから。それにすぐ根を上げると思っていたし」
「そうなんだ。・・・ということは陽奈ちゃんも本気なんだね」
「そうだな。知らない間に立派になって俺も嬉しいよ」
「いや、そういうことじゃないんだけど・・・」
「ん?なにか言った?」
「なんでもない。ただ、雄樹は意外と鈍感だったんだなって」
「鈍感?俺が?」
「そう。あっ、どういう意味かについては答えないよ。こればっかりは自分で気づくべきだからね」
そう言いながら、春花はふと部屋に掛けられた時計を見る。
そして、その時計の針が示す時間を見た時、彼女は慌てた様子で立ち上がり、リビングを出て行こうとした。
「どうしたの?」
「実は外国人の友達とこの時間くらいに電話しようって約束してたんだ。ほらっ、雄樹も会ったことあるでしょう?」
「・・・ああっ。あの人か」
春花にそう言われて、雄樹は何年か前に会った春花と同級生の外国人の女の子の顔を思い出す。
「そう。だから、ちょっと席を外すね」
「そういうことならどうぞ。ただし、あまり長電話はしない方がいいよ」
「ごめんね。向こうが良いって言ったら雄樹にあげるからあげるから」
そう言って春花はリビングから出ていき、雄樹はその姿をそっと見送っていく。
そして、そのまま春花が友達と電話を終えるのをじっと待っていようとした雄樹だったが、意外にも彼女はすぐにこちらへと戻ってきた。
「あれ?電話するんじゃなかったの」
「それが全く繋がらないのよ。ラインも送ったけど、返事はないし」
「向こうも忙しいんじゃない?まあ、なんにしてもその内連絡は来るさ」
「・・・うん、そうだね」
「そんな一度繋がらなかったくらいで落ち込むなよ。あっ、そうだ。テレビでも見よう。なにか面白い番組が有るかもしれないし」
雄樹はそう言ってテレビのリモコンを探し始める。
――だが、彼は知らない。
春花が外国人の友達と連絡が取れることは、この先一生無いのだということに。
何故なら、これより1時間前の西暦2024年12月25日午前0時。
日本は地球から姿を消していたのだから。