砲撃開始
◇西暦2025 5月21日 05:21 インセント大陸 ネルヴィク近郊
大規模偵察隊の通信途絶から5日。
とうとうしびれを切らしたチアサは、凡そ二万の軍勢を引き連れてネルヴィクへと直接向かっていた。
「ええい!いったい、どうなっているのだ!!」
5日前にカムスに怒鳴っていた時にも増して、チアサは苛立っていた。
彼は今回の戦争で功績を挙げて更なる出世を目論んでおり、その障害となりかねないような事態は到底見逃すことは出来ず、こうして余剰戦力を集めて直接偵察に赴いていたのだ。
幸いにもウルフハンズ王国との戦いはこちらが圧倒的に優位に進んでいたために二万もの兵力を抜いても大丈夫ではあったのだが、もしこれらの兵力が全滅した場合、北方軍団は予備戦力を全て失ってしまうことになる。
しかし、出発当初、そのような懸念はチアサはおろか、各地上部隊の長達は誰も抱いていなかった。
当然だろう。
たかだか後方の戦線の様子を確認するためだけに二万もの兵力が一気に消えてしまうことなど、想像する方が無理というものなのだから。
――だが、そんな楽観にも似た考えも、ネルヴィクまであと数十キロと言うところまで来ると雲行きが怪しくなってきた。
なにしろ、先程から放ち続けている騎馬とリンドブルムで構成された先遣部隊が一向に帰って来ないのだ。
一応、先遣部隊の向かった方角から爆音などは聞こえてくるので攻撃されている事は分かるのだが、一人も戻ってこないためにそれがどんな攻撃なのかも全く分からない。
こんな状況では兵達が不安に思うのも無理からぬ話だった。
(ちっ。やはりワイバーンも連れてくるべきだったか?地上からの視点だけでは何が起こっているのか、全然分からん)
ワイバーンを擁する飛竜部隊はカムスを初め、これまでネルヴィクに向かって飛んでいったワイバーンが一騎も帰ってこなかったことで何処か尻込みしており、チアサは事前にそんな彼らを今回の偵察から外していたのだが、このような状況になってしまったことで無理をしてでも彼らを連れてくるべきだったと今更ながら後悔してしまっていた。
(とにかく今は先に進んで情報を得なくては。流石にここまで来て手ぶらで帰る訳にはいかん)
なにしろ、二万もの兵士を引き連れてまでこうしてやって来たのだ。
このまま手ぶらで帰ってしまっては、貴族社会において良い笑いものになってしまうだけでなく、臆病者のレッテルを貼られる事になってしまう。
それだけは防がなければならない。
・・・彼は元からあった功名心と現状が分からない事への苛立ちから、すっかり冷静さを失ってしまっていた。
そして、その代償はすぐに支払うこととなる。
◇同日 08:03 ネルヴィク市内 陸上自衛隊第8旅団 司令部
陸上自衛隊第8旅団。
史実では1つ上の師団規模であったこの部隊だが、この世界の日本では軍事組織が別に存在するために、陸自を含めた自衛隊という組織そのものが――そもそも組織が掲げる標語や存在理由からして違っているが――史実よりも小規模となっており、その影響もあって史実の陸上自衛隊では師団規模だった部隊が第8旅団のように旅団規模に縮小されていたりそもそも存在しなかったりするのだ。
さて、そんな第8旅団であったが、現在、彼の旅団はネルヴィクに進出しており、北方軍集団が放った偵察部隊を持ち前の高射隊にて次々と撃墜し、ネルヴィクの様子を一切カーク皇国側に伝えられないようにしていた。
その理由は至って簡単で、敵の大規模部隊が現れる日を1日でも遅らせるためだ。
如何に文明レベルにおいて日本側が圧倒しているとは言え、魔法という不確定要素は依然として存在していたし、それ以前に大軍団で押し寄せられては弾薬が足りなくなる事態も生じる可能性がある。
その為、自衛隊上層部は増援部隊や弾薬の数が十分に揃うまでは、敵に此方の部隊規模に関する情報が漏れることが無いように、一人も漏らさぬ完璧な対哨戒網を築き、第8旅団は勿論、空自の戦闘攻撃機や無人攻撃機まで投入して敵の偵察部隊を片っ端から皆殺しにしていたのだ。
・・・まあ、残念なことに弾薬の充足はともかく、増援に関しては一歩間に合わなかった訳だが、それでも弾薬だけは十分に揃えることが出来ていた為に、第8旅団は意気軒昂だった。
「旅団長、間もなく敵の全軍が第8特科隊の射程に入ります」
「そうだな。では、射程に入り次第、攻撃を開始。敵を一人たりとも生かして帰すな」
幕僚長――桐ヶ谷二佐の言葉に、旅団長である町屋陸将補はそう答える。
史実の自衛隊ではよっぽどの状況でも無い限り、決して言わなかったであろう過激な発言であったが、この世界では自衛隊はアメリカ海兵隊のような有事の際の斬り込み隊のような立ち位置となっていて、史実と比べて非常に血の気の多い組織となっていた。
その為、他の幕僚達も町屋の言葉に緊張するどころか、むしろ当然だと言わんばかりに受け止めており、彼らの中に町屋の宣言に動揺する者は一人たりとて居なかったのだ。
「了解。しかし、無人偵察機から送られてくる情報を分析した限りでは敵の数は約二万程。これだけの数となると取りこぼしが出てくる可能性が有りますが・・・」
「問題は無かろう。明日には第二師団が増援としてやってくるのだからな」
「そうですな。それに元々、我々の存在を何時までも隠し通すなど不可能でしょう。ここまで隠し通せてきただけでも上出来だったかと」
町屋の言葉を捕捉するように、第8旅団第二部部長――秋原二佐はそう言った。
それは間違いではない。
そもそも敵勢力圏のすぐ側に進出した数千人単位の人員をいつまでも隠し通すことなど幾ら文明レベルに差があるとしても不可能だ。
まあ、日本側がもう一世紀か半世紀、時代が進んでいれば話は違ったかもしれないが、少なくとも2020年代の現在では不可能な行為であるのは変えようのない事実だった。
「まあ、そういうことだ、桐ヶ谷二佐。今は敵の撃滅に集中しよう。この敵を叩けば、6日後の攻勢はほぼ確実に成功するだろうしな」
「分かりました。ただちに第8特科隊に命令を通達します。追撃はどうします?」
「行う。第8飛行隊と第42即応機動大隊にはそのように伝えろ」
「はっ」
――かくして、陸上自衛隊第8旅団は手ぐすねを引いて、チアサ率いる二万の軍勢を待ち構えた。
◇同日 08:14 ネルヴィク南方
8時を過ぎて10分以上が経った頃、チアサ率いる二万の軍勢はネルヴィクの南に広がる平原へと到達し、軍団の先方はネルヴィクまであと8キロというところまで迫った。
――ちなみにこの時点で彼らは第8旅団隷下の砲兵部隊である第8特科隊の射程内に入ってしまったことに気付いていない。
元々インセント大陸には大砲はおろか、銃すら存在していなかったし、それ以前に偵察部隊からの報告が入っていない以上、仮に大砲の事に関する知識があったとしてもその存在を知りようが無かったからだ。
そして、そんな彼らにまず襲いかかったのは、第8特科隊が保有する59式155ミリ自走榴弾砲16両による砲撃だった。
「ん?何の音だ?」
ヒュウルルルーというこれまで聞いたことのない変わった音に、チアサを始めとしたカーク皇国軍将兵は首を傾げながら思わず進軍を止めてしまった。
その音は口径155ミリの砲弾が滑空する音であったが、前述したように大砲という存在を知らない彼らにそのようなことを知るよしもない。
またこの時、彼らは地面に伏せるという砲弾の着弾の際の最低限の防護動作すら全く取っておらず、榴弾による被害を最小限に押し留められる見込みは全く無かった。
ドォオオオオオオオオン!!!
砲弾が着弾したことにより鳴り響いた轟音。
それは数キロ離れた巧妙に隠蔽された陣地に居る自衛官達には多少の耳鳴りがする程度であったが、砲弾が着弾した場所やその近辺に居たカーク皇国軍将兵にとっては、当然、それだけの話では済まされなかった。
「な、なんだ・・・何が起こったんだ?」
砲弾によって吹き飛ばされはしたものの、運良く爆風にも破片にもやられずに20秒ほどの脳震盪という被害だけで済んだ幸運な兵士。
しかし、そんな彼の周囲には悲惨な光景があちこちに現出していた。
「がああああ!俺の足がああああ!!」
「だ、誰か助けてくれ・・・死にたくねえよぉ」
「しっかりしろ、カイル!いま助けてやるからな!!」
「馬鹿野郎!そいつはもう助からねえ!!それより、次の“アレ”が来る前にとっとと逃げるんだよ!!」
「おい!竜がこっちにく、ぎゃ!」
四肢が吹き飛ばされて痛みにのたうち回る兵士や貴族指揮官、明らかにもう助からないであろう負傷をしている兵士にそれを助けようとする兵士や逆に見捨てる兵士。
更には激しい轟音に驚き錯乱してしまったのか、暴走して周囲の将兵を挽き潰す竜や馬。
――そこはさながら地獄だった。
「本当に・・・何が起こったんだ?」
あまりにも悲惨な状況に絶句し、思わずそう呟いた幸運な兵士だったが、次の瞬間にまたあの風を切る音と共にやって来た155ミリ榴弾が彼の周囲に着弾すると、彼の幸運と共にその人生も幕を閉じ、呟いた言葉の解答は永遠に得られなくなった。