帝国主義
◇西暦2025年 5月17日 09:35 日本 東京 首相官邸 総理執務室
「ふむ。下手に手を付けると、面倒なことになりそうだな。メイウスト大陸とやらは」
芹沢は眠気覚ましのコーヒーを口に含みながら、先程大日本帝国中央情報局より届いた報告書に目を通していく。
メイウスト大陸。
それは先月接触したフェリアスの南西に存在する大陸の名だった。
この大陸は一言で纏めてしまえば、バルカン半島の存在しない第一次世界大戦直前のヨーロッパといった感じで、日本やマカラニアに比べれば100年以上文明レベルが遅れているが、それでも近代国家であることに間違いはなく、更にはマカラニアのように最近まで行われていた戦争で国土がボロボロというわけでは無かった為に、経済界では市場としての価値が有ると見込まれていたのだ。
だが、この報告書を信じるならば、そんな経済界の目論見は間違いなくご破算となるだろう。
(植民地の消失による経済の不安定化か。まあ、この時代の文明レベルなら不自然では無いんだが、問題なのは日本が彼の大陸の事情に巻き込まれそうだという点だな)
前述したように、この大陸には同時代のヨーロッパのように同じ大陸に大戦争の火種となりうるバルカン半島のような存在はなく、仮にサラエボ事件と同じようなことが起こっても第一次世界大戦のような大戦争となり得る可能性は低かっただろうというのが情報局の分析官達の見解だ。
――だが、過去形で表現されている事からも分かるように、それももう過去の話。
現在は転移によって植民地をいきなり失ってしまったことによって政情が不安定となっており、まだ転移から半年足らずしか経過していないために今のところは静かだが、いずれは内戦か、もしくは植民地の獲得のために大陸外に進出する可能性は高い。
いや、交換現象で植民地に居た戦力が本国に戻っていることを考えれば、今年中にも動き出す可能性すらある。
そうなった時、おそらく真っ先に狙われるのはフェリアスやマカラニア、そして、日本だろう。
なにしろ、フェリアスはインセント大陸のような魔法すら存在しない正真正銘の中世国家であり、おまけに油田も存在するのだ。
近代の帝国主義国家にとってこれほど植民地にし甲斐のある国はなかなか無い。
次にマカラニア。
こちらは文明レベルこそ日本とほぼ同等だが、元々軍事的にも経済的にも弱体で、地球世界基準ならばちょっと力のある中小国といった感じであり、如何に20世紀初期という遅れた文明が相手といえどそれが列強レベルとなると少々怪しいところが有る。
しかも、そんな頼りになるのか怪しい戦力でさえ、この世界に来る前に経験した戦争で海軍は壊滅し、現在は日本から旧式艦艇を譲って貰おうと打診してくる有り様。
空軍は健在では有るものの、半壊状態で防空体制は十分とは言えず、陸軍は量は兎も角、質の面では全く頼りにならない上に現在は動員解除中で今後更に縮小することが見込まれている。
フェリアス程では無いにせよ、こちらも植民地として狙われる可能性は非常に高い。
そして、最後に自国、すなわち日本だが、実現は兎も角として狙われる可能性は少なからずある。
何故なら、日本は戦艦を保有していないからだ。
第二次大戦後の生まれの芹沢には想像し難い事であったが、地球世界で第一次世界大戦の頃は戦艦が核兵器のような扱いを受けており、それをどれだけ保有できるかで軍事における国際的な立ち位置が決まっていた。
だが、この世界の日本は第二次大戦直後、核兵器や空母の整備などが優先されたこともあって太平洋戦争を生き残った殆どの戦艦が1940年代後半中に解体され、かつては日本の誇りとさえ言われた長門――二番艦である陸奥は西暦1943年にハワイにて謎の爆発事故を起こして沈没――でさえ西暦1950年代には解体の憂き目に遭い、最終的に残った大和と武蔵もまた西暦1980年代には退役――本来は1970年代前半には退役予定であったが、ベトナム戦争への参戦や第二次日中戦争が発生した結果、退役が延期された――して記念艦となっている。
その後、海軍や海上自衛隊は空母や潜水艦、更には日本版イージスシステムとも呼ばれるアマテラス・システムを搭載した駆逐艦・護衛艦を整備してきた。
なので、日本が戦艦を建造する機会は当然の事ながら無く、それ故に現在では戦艦という艦種そのものが無くなっているのだが、こんな事実を第一次世界大戦レベルの国家が想像できるかどうかは微妙なところだ。
・・・いや、陸軍を中心に軍備を整備している国家は大丈夫だろう。
陸軍は海軍と違い、戦艦という存在にそれほど幻想を抱いておらず、相手の陸戦装備や練度、軍の規模などによって評価する。
そして、そんな彼らに21世紀の“重厚かつ強そうな戦車”を見せれば、強烈なインパクトを与える事が出来る筈だ。
しかし、海軍を中心として整備している国家の方は日本の先進的な海軍を決して認めることは無い。
何故なら、それを認めてしまえば今までの軍の整備が全て無駄であったかのように思えてしまうからだ。
まあ、第一次世界大戦の頃であれば、まだ航空機という存在が普及したばかりであり、性能も低かったので、戦艦を中心とする軍備は間違っていなかったのだが、将来的には無駄になると知らされるのであればそんなものは何の慰めにもならない。
なんせ、戦艦の建造は核兵器の製造よりも多大な金と時間が掛かるのだから。
そして、そんな事情がある以上、海軍国家では植民地の獲得に加え、戦艦の保有が正しいことを証明するために戦争をするという可能性は存在する。
「いや、流石にそれは無いか。戦艦の存在意義を証明するために戦争をするなんて事があるはずが無い」
あまりにも馬鹿馬鹿しいと、芹沢はその可能性を一笑に伏す。
そもそも幾ら戦艦が核兵器並みの影響力を持っていようと、その力を示すために戦争をするなどあり得ない。
戦争は戦艦だけで行うものでは無いのだから。
「とはいえ、植民地を持つことが列強のステータスだった頃の時代から来た連中だ。念のための備えはしておいた方が良いだろうな」
それに仮に帝国主義国家でなかったにしても、近代以降の文明を持っているならば高い確率で植民地を得ようとする行動に走ることは避けられない。
何故なら、近代文明の国家は大抵の場合、文明の維持には外部からの資源、あるいは食料の輸入無しには成り立たず、転移で国際関係がほぼ全面的にリセットさせられてしまったこの状況では、平和的な話し合いで輸入してくれる国を確保するのも一苦労だからだ。
日本がその点をクリアしているのは、カイナ王国やフェリアスという食料・資源輸出国がすぐ近くにあり、尚且つ貿易の話し合いが比較的すんなり決まったからにすぎず、一歩間違えていれば日本もまた帝国主義への道に逆戻りせざるを得なくなっていただろう。
「そう考えれば、我が国は本当に運が良いと言えるな。・・・さて、そうなるとやはりここも狙い目となってしまうのだろうかね」
そう言って芹沢が目を向けたのは、マカラニアが名付けた日本本土より北西に1500キロ程の位置に存在する小柄かつ無人の大陸――スロベニア亜大陸に関する資料。
この大陸の東端から西に1000キロ程にかけては農地に向いた平野が広がっており、ここを開拓すれば日本の食糧事情の解決に大きく貢献すると農林水産省は分析していた。
とはいえ、食料で困っているのはマカラニアも同じであったし、カイナ王国の食料輸出を日本が独占してしまっているという外交的な負い目もあったので、この地の開拓はマカラニアが主軸で行い、日本はその補助をするということで話はついている。
それより西の開拓については今後の交渉次第となっているが、この大陸のことが知られればメイウスト大陸の国家も何かしら言ってくる事だろうし、場合によっては実力行使すら行ってくるかもしれない。
(そうならないようにある程度の戦力をスロベニアに配置したいんだが、あまり多くの戦力を配置するとマカラニアが警戒してしまうだろうし・・・難しいところだな)
まあ、ここら辺は時間を掛けて交渉するしかない。
そう考えた芹沢であったが、彼は知らない。
今から四年後にこの大陸を巡ってある勢力と対立するということ、そして、その戦いは自身の運命にも大きく影響するということを。