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怪人:泡


 彼の名は坂間。今年、大学を卒業してから新卒で商社に勤めている。勤務態度や出来の方はそこそこで未だに足元がおぼつかないものの、ようやく仕事をしているという感覚を実感することができた。


 坂間は仕事の間中、尖らせていた神経を最寄り駅に到着する辺りで軟化させ、くたくたになって帰路についていた。


 今年の春から一人暮らしを始めた坂間。今はアパートで暮らしている。オンボロの八畳の一室。坂間は親しい人もいなければ、特別没頭できる趣味も無かった為、本当であれば六畳でも十分であった。


 しかし、彼はどうしてか少し広い部屋に住みたかった。狭い場所にいるとどうにも息苦しく感じてしまい、頭痛がすることが多かった為である。


 坂間は帰り道の途中にあるスーパーで値引きされた適当な弁当一つと安い発泡酒を二本買った。


 坂間は発泡酒もビールも特別好んでいるわけではなかった。苦味と旨味はまだ直結していないような子ども舌であった。缶チューハイや梅酒の方が寧ろ好みだった。彼にとって本当に飲みたいものは未だジュースだったのかもしれない。


 しかし、坂間はそれでも発泡酒を買った。その真意は彼自身にも分からなかったが、頑なに甘い飲み物、特に缶チューハイを買うことだけはしなかった。


 ビニール袋は貰わず、それらを通勤鞄の隙間に斜めに詰める。弁当の中身が崩れようが知ったことではなかった。坂間は寧ろぐちゃぐちゃにかき混ぜられた弁当が好きだった。


 米や焼き魚、きんぴらごぼう、漬物の混ざったところに醤油を垂らして食べるのが坂間のやり方だった。少しばかり味が濃いのが好みだった。


 アパートに着いた坂間はジャケットをハンガーに掛け、ネクタイを乱暴に引っ張って外した。ズボンの中に入れていたワイシャツをだらしなく出して、彼は畳の上に寝転がった。その際にテーブルの脚に膝をぶつけたが、家具に対して逐一リアクションをとっていられる程に坂間は優しくなかった。


 大きな溜息を漏らした坂間。


 しばらく何も触らないように手を浮かしながら器用に転がった後に、面倒臭そうに洗面所へと向かう。


 洗面台の右側に置いてあるハンドソープディスペンサーの下に二回程手をかざした。右側にそれが置いてあるのは坂間が右利きであった為である。左側に置いた方が見てくれの収まりは良かったが、そうすると稀に泡が出てくれないことがあった。


 一度目の泡が出た後に微かな機械音がして、二度目の泡が出た。二度泡を重ねると丁度良い量だった。


 坂間は丁寧に手を洗った。指の股、爪の中、手の甲、手首。出しっ放しの水は跳ねないように蛇口を軽く捻って完璧なバランスだった。程良い勢いの水で手を洗い流した坂間はもう一度、今の工程をやり直した。


 手の微細な汚れを取り去る為に泡はある。水では取り切れない部分を取る為に。しかし、坂間はそれでは安心できなかった。


 汚れを取る為に手をさらっていく泡。それはつまり泡に汚れが転移したことを意味した。その泡が自分の手を流れていくというのであれば、それは彼にとって汚れがそのまま手を伝っていくことと同義だった。


 坂間の中では泡は美しさの象徴ではない。寧ろ穢れの象徴なのだ。泡沫は目玉のようにこちらを覗いている気がしたし、それが乾いて薄くなっている様は何故かグロテスクに感じていた。だからこそ彼は二回手を洗う。穢れた手を洗い流したその泡を、また洗い流す為に。


 泡を洗い流した坂間はペーパータオルに手を向けた。手には水が滴り、床に水滴が落ちていた。こういったことには何故だか無頓着だったのである。


 ペーパータオルは吊り戸棚の扉に挟んであるキッチンペーパーホルダーに入っていた。穴からティッシュ箱のようにペーパータオルが一枚飛び出ている。


 坂間は濡れた手を持ち上げるようにしなければならなかった。


 ペーパータオルは入れ替えたばかりでパンパンになっていた為、なかなかに取り出しづらかった。


 苦戦し苛ついているとてペーパータオルが千切れ、手が勢いよく洗面台にぶつかった。


 「あ……」


 坂間は痛みを感じていたが、そんなことよりも恐怖を感じていた。


 「ふざけんなよ」


 坂間は焦って蛇口を捻った。水は先程よりも勢いよく噴き出している。


 ソープディスペンサーに手をかざし泡を二回出した。


 ぶつけた手の甲を入念に擦り、水に流す。


 続いて泡を三回と多めに出して手の全体を洗った。指先から手首まで。まるでヤスリでもかけるかのように。強く。激しく。


 坂間にとって穢れた泡の流れる洗面台に触れることは便器の中でも触るようなことと同義だった。それだけ彼にとって泡は恐怖の対象だったのである。


 手の洗い方としては寧ろ模範的なものだったのかもしれないが、同時にどこか疑問が残るようなものでもあった。坂間はその狭間でいつも揺れていた。洗面台に立つ度に。


 手を洗い直した坂間は同じように水を滴らせたままペーパータオルを丁寧に四枚程取った。手を拭くには少し多い枚数だったが、拭き終わったペーパータオルにはまだ使い道があった。


 坂間は使い終わったペーパータオルで蛇口を直接触れないように閉めた。


 閉め終えた蛇口を見ながら、ペーパータオルを軽蔑したように丸めて屑篭に放り捨てた。屑篭には同じように丸まったペーパータオルが溢れんばかりに詰めてあった。あまり触りたくはなかった。


 坂間は昔から潔癖の節があったというわけではない。変わったこだわりこそ持っていたが、部屋はそこまで綺麗でもなかったし、今でも本棚に埃が被さっていたりする。


 その代わりに考え事が多かった。飛躍した発想から繰り出される思い込みに振り回されて過ごしていた。故に彼は幼い頃、異様に怖がりだった。自室に一人で居ることが苦痛であった程に。


 手をよく洗うようになったのは社会人になって少しばかり経ってからだった。いつの日からだったか、坂間は除菌用のアルコールスプレーを多用するようになった。最初は手を消毒するだけだったのが、携帯電話、ワイヤレスイヤホン、鞄と来て、最後には靴にまでアルコールをかけるようになっていった。


 そこで坂間はある飛躍した発想に行き着いてしまう。「汚いものを処理した自分の手こそ、最も汚いのではないか」と。


 坂間はそれに気が付いた時、目一杯手を洗った。手の皮が剥けて血が噴き出した。翌日、彼はソープディスペンサーを購入した。何故なら穢れた手で触ったプッシュ式のハンドソープを何度も触ることに耐えられなくなったからである。


 こうして徐々に坂間の要塞は完成していったのだった。









 坂間は肌着姿で弁当を貪った。味は醤油が混ざって判別が付かず、具材を殆ど食感で楽しんだ。


 特に味の濃い部分を口にした時、坂間は発泡酒を流し込んだ。舌周りが塩気と炭酸に刺激されて心地が良かった。寧ろ、こうやって何かを流し込もうとする時以外は坂間は発泡酒を口にしなかった。


 耳が寂しかったのでテレビを久方振りに点けてみる。こういうことがあるかと思ってわざわざ高い金を出してテレビを買ったのだった。


 適当にチャンネルを漁って、一番画面の色彩が豊かだったチャンネルで止める。


 毎週放送されているクイズ番組だった。芸人が素人のような無茶振りをされてフリップをひっくり返した。


 笑い声はどこか乾いていて、フリップを返した芸人本人も恥のようなものが垣間見えた。


 恥ずかしくなってしまった坂間は咄嗟にテレビを消した。


 「これじゃ意味ねぇや。どうせ耳塞いじまうんだもん」


 気が付けば弁当も発泡酒も空だった。


 坂間は追加の発泡酒を買いに近くのコンビニへと足を向けた。もう一度手を洗わなければならないのは億劫ではあったが、坂間はどうも酒に溺れやすい体質らしく、飲み出すと止まらなくなってしまう。その癖、弱かった。


 ワイシャツ姿ではもう肌寒い時期になっていた。防寒も兼ねてコンビニではコロッケも購入した。酒は発泡酒を四本と焼酎のカップを一本、梅酒の小さな瓶を二瓶と適当なつまみを購入してしまった。


 坂間は追加分の発泡酒が倍の本数であることがなんとなくおかしく感じてしまい店員の前でつい笑ってしまった。店員の方は白けた笑みを浮かべていた。


 帰りは頬にコロッケを押し当て、発泡酒を飲みながら歩いていた。コロッケを持つ手が自然と力んでいき、やがて中身のじゃがいもが吹き出して潰れた。


 コロッケに心のどこかで苛立ちを覚えたその時、ゆったりとした声が坂間の耳の近くを通っていった。


 「やっほ」


 灰色の髪の青年。狼男だった。電柱に付けられている防犯灯の下に狼男は立っていた。


 「アンタ、誰だ?」


 コロッケと共に発泡酒一本と焼酎のカップを帰り際に飲み干していたこともあってか、坂間は若干判断が鈍っていた。


 坂間は外面はそれなりに良い方なので他人に対して今のような不行儀な発言をすることは少ない。しかし、彼は今酔っていた。


 「うーん。説明が難しいなぁ。どう言えば良いんだろうか」


 「ハッキリとしない奴だな。黙って聞いててやるから言ってみろよ」


 「そう? じゃあ遠慮なく……えっとね、キミの家を覗かせて欲しいんだよ。なんかね、匂うんだ。いや、臭いとかそういうんじゃなく……とにかく匂うんだ」


 「?」


 何を言ってるのか訳が分からないのは酔った坂間でなくても同じであろう。


 「えーっとぉ……お兄さん飲みに来たいの? だったらウチじゃなくても、どっか飲み屋さんにでも」


 坂間の解釈の方も無茶苦茶だった。


 「あ、うんとね、違うんだ。キミの家に行きたいんだよね。お店とかじゃなくって」


 坂間は足りない頭で考えた。


 「えー、あー、俺ってアンタと知り合いだっけ?」


 「違うね」


 「あー、そうか。まあ良いや。来たけりゃ来なよ」


 「うん。ありがと」


 奇妙なやりとりが終わると二人は坂間のアパートに向かった。


 発泡酒は残り三本。












 

 坂間は洗面台の前で立ち止まった。


 「どうしたの?」


 坂間は洗面台の前では冷静だった。酔いさえも無粋な程に覚まされたようになった。


 「ああ。手を洗うのが面倒くさくてな」


 「別に洗わなくたって死にはしないのに」


 「そしたら苦しいなきっと。洗ってても死ぬ程苦しいけど」


 坂間は蛇口を捻って手を洗いだした。水に濡らし、泡で擦り、水流で流す。それを二回繰り返す。


 狼男はそんな坂間の姿を黙って見ていた。


 ペーパータオルで水気を拭き取った坂間は安堵したように屑篭に放り投げる。


 「面倒なことをするもんだね。随分待たされた気分だ」


 「悪い。さ、飲もうか」


 居間に戻る坂間を尻目に、狼男は洗面台を見渡した。


 「パッと見はアレが歪みかな。でも逃すと面倒だ。もう少し話を聞いてみよう」












 

 今夜の坂間は気が利かなかった。狼男に飲み物を出すわけでもなく、広げたつまみを自由に食えというスタンスをとった。とは言え、いきなり家に押しかけてきた狼男をもてなせというのも酷な話だが。

 

 「美味しいねこれ。随分と味が濃いけど。味自体は凄く美味しい」


 狼男は鮭とばをしゃぶっていた。


 「少しとっておいてくれよな? 結構するんだぞそれ」


 「遠慮するのは苦手だよ。それなら別のを食べたい。どれなら全部食べて良い?」


 坂間はミックスナッツの袋を狼男に差し出した。引っ張るように袋を破いた狼男はナッツを大量に鷲掴んで口の中に放り込んだ。


 「随分いっぱいこぼす奴だな。綺麗に食えないもんかね。今時、ガキだってもう少しマシだぞ」


 「食べることに必死じゃないんだよ皆。だから飯をこぼさない」


 狼男はナッツから目を離そうともせずに言った。坂間は何故か反論することができずに、それ以上狼男の食べ方の汚さを指摘することができなかった。


 そうこうしている内に発泡酒は残り二本となっていた。今度は味の濃い鮭とばを流し込む為に、発泡酒を使った。


 「ところで話は変わるんだけどさ。キミはなんだって、ああいう手の洗い方をするんだい?」


 坂間は発泡酒をぷしゅっと開けて狼男の話に耳を傾ける。


 「俺にも分かんねぇんだ。徐々に、なんだよな。別に何かこう大きな、衝撃的なことがあったわけじゃねぇんだよ。手指のアルコール消毒から始まって、手洗いになって、気が付けば洗面台もプッシュ式のハンドソープも触れなくなってた」


 「急にってわけじゃあないのか。まぁ、それもあり得るか」


 狼男は会話をしているようで一人で完結していた。


 「泡がさ。穢れているんだよ。それなのに。俺の身体を伝っていくんだ。汚れたものなのに全身を流れるんだぜ? 穢れが血管みたいに伸びていくのを洗い流すのは大変なんだ。昔はそんなこと意識すらしなかったのに。今は泡が通るのが怖くて仕方ないんだ。今じゃ俺はかなりの長風呂になっちまったんだ。全身を何回かに分けて洗うんだ。面倒で仕方ない」


 「キミの中に侵食してるね。キミの大嫌いな泡が」


 「俺の話を聞いてたか? 表面を流れていく、さらっていくんだ」


 「いや、侵食だよそれは。まあ良い。今に分かる」


 狼男が静かにしだすと、坂間は酔いからくるまどろみに襲われて眠った。ここから先が狼男の仕事だった。


 仕事には前段階がある。そのことを狼男は知った。本来、獣である筈の狼男は最近、物悲しい社会性を身に付けてしまったのだった。人らしくなった、とも言えるが。


 発泡酒は残り一本。




 狼男は洗面所に向かった。洗面台に置かれているソープディスペンサーを握る。


 「彼を陥れたのは泡そのものだけど、そんな彼を存分に甘やかしたのは、お前だよね。どーしよっかなぁ。壊しちゃおうかなー?」


 ソープディスペンサーは抵抗するようにセンサーを光らせて大量に泡を出した。


 泡は地を這って風呂場へと向かっていく。


 「ま、これは入れ物に過ぎないってわけだ。本体を叩きに行こうか。ボクも暇じゃないしね。キミのことは見逃してあげる」


 ソープディスペンサーは放られた。中身はもう入っていない。ソープディスペンサーはそれ以上動こうとはしなかった。抜け殻になったのだった。


 狼男は中折れの浴室扉を開けた。浴室扉の下の隙間から泡はここに逃げ込んだのだった。


 浴室扉を開くとそこでは泡が増殖を始めていた。


 等身大の高さまで増殖した泡は狼男を包み込もうとした。この場合、襲ったというのかもしれない。


 身体が泡に襲われる寸前に狼男は姿を人から狼へと変化させ、避けた。


 「傲慢だネ。キミハ人ヲ支配スル側ニハ居ナインダヨ」


 泡は話さない。泡であるが為に。しかし、微かで静かな怒りを狼男は感じ取っていた。


 「ソンナニ嫌ダッタ? 手ニ乗セラレ、擦ラレタラ流サレテシマウコトガ」


 泡は暴れだした。質量すらなさそうなその身体で、強く、激しく。


 「図星ダネ。モット擦ッテ欲シカッタンダ。モット手ノ上に乗ッテイタカッタンダ。流サレルノガ怖カッタンダネ。チョット気持チハ分カルカモ」


 共感してもらえたと思ったのだろうか。泡は動きを少し緩めた。狼男は無慈悲にもそこを狙う。


 「デモ、ゴメンヨ。仕事ダカラサ」


 狼男は泡の喉笛を狙うようなつもりで、爪でひと突きにした。


 泡はボコボコと音を立てて、赤い泡を吐き出した。赤い泡は段々と全身に流れていき、やがて白く見えていた泡は赤に染まって崩れていった。


 地を這うように赤色の泡は風呂場の床に散らばった。


 「綺麗ニシナキゃね」


 狼男は丁寧にシャワーで流した。シャワーの水圧に怯えたように、泡は排水溝へと逃げ入るように堕ちていく。











 


 「おーい。おーい」


 狼男は坂間を起こした。話を続けたかったわけではないが、言っておきたいことがあった。


 「……ん? 俺、寝てたか……?」


 「うん」


 「そっか、悪いな」


 「もう少しだけ、この会を続けても良いかな?」


 「お、おう?」


 坂間はまだ少しばかり寝ぼけていた。狼男がくんさきを摘みながら切り出した。


 「さっき話をして思ったんだけど、キミは多分だけど格好をつけ過ぎるんだよ。例えば、言葉遣いとか、言い回しとか。大体この缶カラの飲み物、本当はあんまり好きじゃないんでしょ? 何か食べる時くらいにしか、この飲み物を口にしない。それってこれの味が嫌いだからなんじゃないの? ホラ、嫌いな物を食べる時に好きな物と一緒に食べて味を誤魔化したりするじゃない? それと同じ」


 「…………」


 「家でも外でも少しばかり無理をして形から入ろうとする。だから変なのにつけ込まれるんだよ。勿論、キミのような人が皆そうってわけじゃないけどね。ただキミの場合はそうだ」


 「そんなつもりは、ねぇんだけどな」


 「皆が皆、考えが行動に繋がってるわけじゃない。矛盾を抱えてるんだよ。気持ち悪い程にね」


 「そういうもんなのかな」


 「信じようが信じまいがキミ次第さ。とりあえずこの缶カラの奴はボクが飲むから、キミはそっちの瓶のやつ飲みなよ」


 狼男は梅酒の瓶を指差した。坂間は言われるがままに蓋を開けて飲み始める。本当は氷を入れたかったが、何故かそのまま飲んでしまった。発泡酒とは比較にならない程に勢いよく梅酒を飲んでいく。


 対して狼男の方はおっかなびっくり開けた缶から噴き出した泡を舌先で舐めとった。


 「うえ、泡って思ってたより苦い」


 しかし、狼男は泡を喰らった。噛み潰すように。すり潰すように。


 「こっちは甘くて美味いや。あれ? お前、なんか口の周りが赤いぞ?」


 「気にしないで。残りが死んだだけだよ」


 「?」


 会話は先程よりも弾んだ。狼男も案外楽しく話をすることができた。


 酒に酔ったのか、雰囲気に酔ったのか、坂間は自分の弱みを曝け出そうとする。


 「そう言えば俺って風呂も長いんだよ。手と一緒。なんか気になっちゃってさ。汚れた泡が上から下に流れるのが気持ち悪いんだ。どうすりゃあこの癖は治るんだろうな。正直、もう疲れちまったよ」


 長風呂のことは先程も言っていたことだった。自分の述べたことなど、もう覚えていないのだろう。人は酔うと同じことを繰り返す。


 「まずはその飲み物を飲むところから始めたら? 自分に合うものを自分に与えることから始めれば、いずれか帳尻は合ったりするものだとボクは思うけどね」


 狼男は分かった風なことを言ってみる。しかし、今回に限っては彼の言い分はもっともだったかもしれない。あくまで感覚で動く彼の言うことは感覚を見失った人間にとっては新鮮なものだろうからだ。


 「でもさ、風呂をサボったりしたら臭うんじゃねぇのかな」


 「そういうところだよ。外聞を気にし過ぎている。もう少し頭じゃないところに身を委ねてみたら? まあ、手洗いに関しては、そういう弱さにつけ込まれたわけだから、直接的に関係があるかと問われると微妙なんだけど」


 坂間の酔った頭には狼男が何を言っているのかいまいち理解することはできなかった。しかし、今そうしているように「頭で考える」ことが彼の癖であることはなんとなく分かった気がした。酔った頭でさえ自分はいの一番に使ってしまうのだ、と。


 「なんとなくお前の言ったことが分かった気がする。気がするだけかもしれないけど」


 「十分じゃない? ここから先はキミのお仕事だ。頑張ってね。じゃ、ボクはそろそろお暇するよ」


 「おう。なんかありがとな」


 気が付けば狼男は姿を消していた。狼男の持っていた缶を坂間は持ち上げてみたが、発泡酒はもう残っていなかった。


 「格好か……」


 どこか吹っ切れたように二瓶目の梅酒を飲んだ。今度は缶チューハイを買ってみようと思った。


 「甘い方が、良いな」


 



 坂間はその日、風呂に入らなかった。

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