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Yellow Submarine

We all live in a yellow submarine.

怪人:顆粒


 僕らは波の下で暮らしていた。

 

 僕らの黄色い潜水艦の中。









 

 この街では最近とある薬物が流行している。黄色いカプセルの鎮静睡眠薬だった。


 服用の主な目的としては睡眠障害の改善ではあった。


 しかし、眠りにつこうとする度にこの薬を服用する内、いつの間にかこれに依存してしまう。現代的で、現代的なことを考慮すれば至って普遍的な事態だった。


 服用者は何をするわけでも無く、ただ一人、黄色いカプセルの誘うまどろみの中へと吸い込まれていく。造られた眠気によって快適に睡眠をとり、またそれぞれの明日の朝へと起床していくだけ。


 だが、もう一つ大きな問題があった。


 この薬を服用した人々は昼間も強烈な眠気に襲われた。睡眠薬は脳の活動を抑えることによって、その効果を発揮する。副作用としては妥当なところであろう。


 問題はその後だった。


 服用者の半数近くが日中の作業効率が異様な程に低下した。


 そのことを上司や教師は怠慢だと切り捨てる。激昂し侮蔑し罵倒した。


 しかし、本人達は至って真剣なのだ。彼らにも守るべき家族がある。進むべき未来がある。決して怠慢などではない。決して怠慢だと言ってはならない。そもそも怠慢ではないのだから。


 彼らは浅い眠りの時に見る悪夢のように手に力が入らず、身体が浮いてしまいそうな感覚に襲われる。走ろうとしても重力が邪魔をする。手を動かそうとしても明後日の方へと向かう。思考は宙を舞い、紙吹雪をばら撒かれたように散り散りになってしまう。


 ただ、それだけなのだ。気持ちに身体が追いつかない。それだけなのだ。


 思考力の低下した服用者。周囲の人間からの侮蔑。果ては左遷か落第か。こういった極めて短絡的な思考に陥ってしまった服用者達。そして彼らはこの世で最も早まった行動に出てしまった。


 彼らは揃って緑色に濁った海に身を投げた。まるでその下に何かがあると思い込んでしまったように、皆一様に海に身を投げる。


 その先にあるのは彼らにとって永久の救済だったのかもしれない。何者にも囚われない賑やかな海の下での暮らしだったのかもしれない。この場合はどちらも当てはまらないが。


 まどろみに邪魔をされ、仕事を奪われ、身を投げる。側から見ればなんとも惜しい話だった。


 服用者は死の間際に「行ってみようかな」、「楽しそうだね」などと独り言を口にした。同僚はそれを気味悪がったが、それ以上のことは無く、彼らの脚は流暢にそして淡々と海へと向かった。


 そんな彼らは世間では「イエローサブマリン行き」と呼ばれた。著名な楽曲の逸話を元にしたナンセンスな呼び名だった。そんな長い呼び方をしなくても依存症患者やら薬物中毒者やら呼び方はごまんとあるであろうに。










 「こんな小さなものがここまで生命を狂わせる、のか。なんか変なの」


 灰色の髪の青年、狼男は不思議に思って黄色いカプセルを摘み、夜空にかざしてみる。

 



 君もおいでよ!


 それは良い考えだ。


 仲間は多い程、良いものね。




 彼の耳元で賑やかな音楽が流れた。


 そうすることで透けるわけでもなければ、何か分かるわけでもないのだが、彼はそうしてみたかった。


 ただそうすることで、なんとなく人間らしくなれる気がした。どう足掻いても彼は歪な狼男なわけだが。


 彼は特段人間になりたいわけではない。寧ろ狼の方に戻りたがっている。


 しかし、人間らしい振る舞いをすることは一定の意味を孕んでいることも事実だった。今を生きる為に今を受容する。その為に彼は獣人である自らの「人」の部分を形から入ってみることで満たそうとした。


 物思いに耽っていると、ふと獣でも人でもない、獣人としての彼の責務が頭をよぎった。


 一丁前に溜息をついてみる。




 どうしたんだい?


 疲れているの?




 吸い込んだ空気を深く吐く。たったそれだけのことが何故人間にとってはマイナスなのだろう。責務からの逃避か、単なる興味か、ついつい考え事をしてしまう。


 それはさて置き、いい加減今回の仕事に取り掛からなければ、誰かさんにどやされかねない。


 どこか綺麗に思えてしまった黄色いカプセルをポケットに一錠だけ突っ込んだ。誰に見られているわけでもなかったが、悪いことをしている気分だった。


 彼は頭を掻いてみながら、夜の街へと繰り出す。



   *



 この街は相変わらずだった。


 派手に塗りたくられた装飾の数々が無理矢理に宵闇を照らそうと躍起になっている。


 人々の声は甲高かったり、低くくぐもっていたりと混じり合って不協和音を醸し出し、視覚と聴覚の双方から狼男を刺激した。


 彼はこの仕事に携わってからというものの頭痛持ちになってしまった。




 どうしたんだろう?


 大丈夫?




 身体には馴染んできても環境にはどうしても慣れることができない。


 最近は頭痛のせいで夜も眠れなくなってきてしまった。


 逞しい両肩にさえ余る程の苦痛。それに耐えきれずに昨晩、彼は黄色いカプセルを口にした。


 危険なものだとは分かっていた。服用者の末路も知っていた。しかし、彼はそうしたかった。快感を求めた。安穏を求めた。解放を求めた。


 何より、世間を騒がせる程のまどろみをもたらすこの薬に、変な興味が湧いてしまった。


 どこかおかしくなってしまったのだろうか。ポケットに入っているもう一錠も飲んでおこうか。けれど身体には良くないんじゃないだろうか。小さな葛藤が小さく渦を巻いた。


 それとは対照的に、口にするだけなのだから、思い切ってしまえと身体の中で誰かが囁く。


 ポケットからカプセルを取り出し、改めて見つめてみる。


 カプセルを口に近づけてみる。




 おいで。


 こっちは楽しいよ。


 おいでったら。


 遠慮なんていらないよ。




 すると、鼻が何かを嗅ぎ取った。カプセルは無臭だった。しかし、反応したのは明確に鼻だった。まだカプセルに口をつけてはいない。その事実が何かを嗅ぎ取ったという事実を再認識させる。




 そっかぁ。


 残念。




 狼男はカプセルをポケットに戻し、海の方へ歩いてみることにした。緑の海とやらに。



   *

 


 海の方へ向かう途中に件の薬を取引している現場を発見。例によって場所は路地裏だった。狼男はその仕事柄、路地裏に行くことが非常に多かった。


 この街で後ろめたいことをしている連中は決まって路地裏に集まる。そこが狼男の主な狩場になっていることも知らずに。


 売人らしき人物はスーツ姿の中年の男だった。縁の太い眼鏡をかけ、髪は若干薄かった。


 取引相手の三十近くの女はカプセルの入った包装シートを三枚程掴んで焦って逃げ出した。


 問題視はされてるものの違法な薬物ではない筈の黄色いカプセル。それを購入していただけにも関わらず逃げ出した女を見て狼男は少しおかしい気がした。


 嘘吐きばかりだと思っていた人間は、知れば知るほど正直者だった。逃げ出すという行為そのものが彼女の心情を如実に物語っている。それだけで心の奥底を見透せたような意地悪な気分になって狼男は気味が良かった。


 一方で売人の男の方は至って冷静で狼男に対して柔和な表情を見せる。朗らかで温かみのある気味の悪い笑顔だった。


 「それ、キミが流行らせてるの?」


 男の持っていたカプセルを指差して狼男が言った。


 「そんなことはないですよ。私は良いお薬を見つけたので皆さんにお裾分けしているだけです」


 「何の為に?」


 「お裾分けですよ? 善意に決まってるじゃあないですか。変わったことを聞く方だ」


 男はおどけて笑って見せた。一息つくとチェック柄のネクタイを大袈裟に直した。


 「それで? 貴方もこのお薬をお求めで?」


 狼男は首を振ったが本当のところはどうだかは分からなかった。




 自分に嘘をつく必要なんてないんだよ。


 安心して良いんだよ。




 カプセルの詰められた包装シートが見た目の通り銀色に輝いているのを彼は魅力的に思ってしまった。


 客観的に、そして無粋に彼の心情を述べてしまうのであれば、間違いなく心根はカプセルを渇望している。


 「イエローサブマリン行き」となった者達と同じような心境に立たされていることは明白だった。


 しかし、皮肉にも人である「イエローサブマリン行き」よりも獣である彼の方がカプセルへの依存を踏みとどまっていた。カプセルを目前にしても何かが邪魔をして、どうしても手をこまねいてしまっている。


 それは倫理に基づくものか、野生の勘に基づくものかは定かではなかったが、解放への一線をここで超えないように抗ったのは人間ではなく、狼男の方であることは紛れもなく事実だった。


 とは言え、彼はもう一錠は飲んでしまっているわけだが。


 「そうですか……。残念だなぁ。貴方も私達と共に楽しく過ごせると思っていたのですが」




 その通り。


 一緒に楽しく過ごそう?




 「それってこの先にある汚い海の中で?」


 「いえいえ。もっと華々しい場所でですよ。可愛らしい黄色なんです。あの中は。素敵でしょう?」


 「ボクは黄色は好きじゃないなぁ。人が何かを良く見せる時に使う色じゃない? あれって。なんて言うか、その……。華やか過ぎるんだよ。ボクには少し怖いんだ」




 怖がらなくて良いよ。


 怖くなんてないよ。


 私達がついてる。




 狼男は首の辺りまで込み上げて来た言葉を懸命に捻り出した。


 そんな様子を見た男は小さな声で笑った。真正面で笑っているのだから隠そうとしなくても良い筈なのに。


 「つくづく変わった方だ。貴方は。いや、面白い人なのかもしれない」


 狼男にはこのやりとりのどこが面白いのか理解することはできなかった。何故なら彼はそもそも人ではないのだから。


 理解できないという事実、不可解であるという感情、それらが狼男の興味をそそった。


 彼は男に連れられるまま、港の方へと足を運ぶ。談笑しながら。







 「ここです。ここが『イエローサブマリン行き』とやらの行き着く先です。私はこの通り名が大嫌いでしてね。あまり使いたくはないのですが」


 それでも柔和な微笑みを崩そうとしない男。男は話を続ける。


 「彼らは救いを求めているだけです。ほんの小さな、ささやかな救いを求めているだけなんですよ。雑踏の側面の一つと同じように、穏やかな眠りにつきたい、ただそれだけなんですよ」




 そうだよ。


 苦しいのなら僕達を頼って良いんだよ。


 苦しいのに我慢する必要なんてどこにもないよ。




 狼男は背中を押されているような感覚に陥った。その癖、力は入らない上に身体は浮き上がっているようだった。噂通りだと彼は思った。同時に卑怯だとも思った。


 黄色いカプセルをポケット越しに触る。たったそれだけで恐ろしい程の安心感が彼を襲った。安心感なのだから「彼を包んだ」というのが適切なのかもしれない。


 妙に心地の良い眠気が狼男を惑わして曇らせた。もやがかかったような頭で考えれば考えれる程に「声」に従うべきなのではないかと思えた。


 「私には貴方も随分と疲れているように見える。どうです? もう一錠。きっと素敵な夢を見ることができますよ」


 男は続けたが、狼男の耳には殆ど届いていなかった。そんなことよりも彼は「声」の方に夢中になっていた。「声」は彼の心の隙間を埋めるように言葉を重ねていった。複雑でない単純な言葉で。単純だからこそ、心地良いのかもしれない。人々にとっても獣にとっても。


 「声」は彼を励まし続ける。陽気でゆったりとしたリズムの演奏に乗せて、優しさで織りなした言葉を彼の耳にそっと送った。目が段々と閉じていき、世界が潰れていく。


 心地の良い優しい言葉。


 心地の良い陽気な演奏。


 この二つがもたらす安らぎに完全に身を委ねようと身体を崩した瞬間、一条の違和感が彼の頭上を通り抜けていった。


 「陽気な……演奏?」


 「? どうかしましたか?」



 

 どうかしたの?


 大丈夫?


 心配だよ。




 「五月蝿い」


 狼男は「声」を一蹴した。


 彼はまどろみの中、気が付くことができた。一見すると噛み合わせの良さそうな優しい言葉と陽気な演奏。


 問題は後者だった。耳元で流れている演奏は陽気なのであった。彼らの言葉は眠りに誘うようなものであった。しかし、彼らの演奏は決して眠りに誘うような代物ではなかった。


 この矛盾に気が付いた途端に狼男は彼らが自分を眠りに誘っているわけでないことを悟った。彼らは誘導しようとしているだけだ。狼男を緑の海へと。


 これはただの甘言。それが誘惑と同義だと悟った瞬間、彼の中で何かが途切れた。何かが白けた。


 「なぁんだ。ここに救いなんてないわけだ。成程ね。幻惑されていただけか。ボクとしたことが。参ったな。まんまとやられた」


 狼男は乱暴にポケットをまさぐり、




 ちぇっ。


 一緒に行きたかったのになぁ。




 「バイバイ。ボクは絶対に乗らないよ。そんなものには」


 黄色いカプセルを海へと放り捨てた。


 「あちゃー。なんてことをするんです。この薬は貴重なものなのに。何か、お気に召しませんでしたか?」


 売人の男は少しオーバーなリアクションを見せた。わざとらしく頭を抱えるという狼男にとっては不愉快極まりないものだった。


 「当たり前でしょ。こんなもの依存する性質が無ければ誰だってお断りだよ。馬鹿馬鹿しい。なんだかイライラしてきた」


 「そんなつれないことを言わずに。どうですか? まだ薬は残っていますよ?」


 男はおどけた態度を崩そうとはしなかったが、狼男も譲ろうとはしなかった。


 「貴方が今、否定しているのは人の『弱さ』ですよ? 睡眠薬に頼らなければ生きていくことができない人だってこの世には沢山います。貴方はそういった人々を否定しているのですよ? この薬を否定することによって。それはいくらなんでも傲慢というものでしょう」


 「ばーか。それは睡眠薬なんかじゃねぇよ。馬鹿用に例えてやるなら悪魔。人の弱さにつけ込んで身体と心を蝕む。こういうのを最低って言うんだよ。一錠飲んでしまったボクだからこそ言える。一錠飲んでしまったボクが言うからこそ、その薬は最低なんだ」


 「そんなことはないですよ。それは勘違いです。これは最高の薬です」


 柔和な笑みを浮かべている男。男は貼りついたような笑顔のまま言い返す。表情こそ変わってはいなかったが、狼男にはそれが怒りを孕んでいるように見えた。


 殺されかけた狼男は売人の男に意地悪をしてやりたい気分になった。


 「そんなに言うならキミの持ってるカプセルを全部飲んでみなよ。最高の薬なんだろ? 最高だったらいくらだって飲めるんじゃないの?」


 男は薬の包装シートを見つめ、次に狼男に笑顔を見せた。今日見せた中で一番、偽物臭くない笑顔だった。


 男は包装シートから次々にカプセルを取り出し、口の中に含んでいった。乾いたカプセルを含んでいっぱいになった口の中。唾液がカプセルに吸われていき、嗚咽を漏らす。


 男は飲み込むことができずにカプセルを噛んでいった。


 空にした口の中を上に向け、空を仰いでいる。


 やがて、男は口から泡を噴き出して倒れた。


 「そら見たことか。そうなっちゃうんだよ。その薬は」


 狼男は空になったポケットに手を突っ込んで立ち去って行く。そこには穢らわしい安心感の感触など、無かった。


 


 


 




 黄色いカプセルは海水に浸り、段々と溶けていった。波を被り、少し潜ったところで、中身の顆粒が外へと飛び出していく。

 

 顆粒達は一瞬で溶け、黄色は海の緑に掻き消された。

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