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それでも焦がれる

怪人:ファレーナ


 狼男は次の標的の元へと来ていた。三階建ての建物の屋上に突如として、大きな繭が出現した。


 それは、写真に写るような美しさを帯び、映画に出てくるような不気味さを孕んでいた。


 大きかろうがどこまでいっても繭は繭であるし、特に何をするわけでもないのだが、この巨大な繭も怪人に分類されるものだろう。


 狼男は森で生活していた普通の狼だった頃、よく繭を見かけていた。


 緑色や茶色によって掻き乱された淡白な森の風景の中に唯一白く輝いているような面持ちでいる。人間社会で例えるのであれば、人混みの中でも一際目立つ長身の美人。それが狼男にとっての繭への印象だった。


 彼は繭を見かける度に何か特別なことなような気がして、目を離すことができなかった。


 その場所に留まり、ただただ繭を見つめる。彼の趣味の一つであった。


 しかし、そんな狼男でもここまでの大きさの個体は流石に見たことがなかった。


 当たり前のことだ。今は訳あって人間並みの大きさの身体を持っている為、事物の大小の感覚が狂っているが、二メートル近い繭など存在する筈がない。


 彼らはどこまで行っても虫。矮小で貧弱な虫。彼らの頭上に足を乗せてしまえば、それだけで絶命してしまう最も儚い命。そして繭はその虫が最も隙を見せる瞬間でもあった。


 巨体な生物が暮らすこの星で、遠慮されなければ生きていけないような存在。それこそが虫だと狼男は密かに思っていた。


 だが狼男は個人的に虫に対して好感を抱いている。


 なんて表現すれば良いのだろう。


 顎に手を当てる狼男。人間のような仕草が最近は増えてきた。本人は無自覚であるが。


 「人間の言葉じゃ上手く出てこないや」


 彼の虫に対する個人的な心情は置いておくとして、怪人だと分かったからには倒しておかなければならない。


 狼男は繭に近づき、軽く小突いてみる。


 かなり硬い。


 (これは力づくでやっても、かえってこっちが怪我をしてしまいそうだ)


 唸りながら星の無い夜空を見上げる。星を映し出すにはこの街は明る過ぎた。


 代わりと言ってはなんだがこの街には夜景があった。星には幾分か劣りはするものの、それなりに美しいものだと狼男は気に入ってはいた。


 狼男は夜景を横目に呟きながら、


 「中身が出てくるのを待つとするか。面倒臭いなぁ……。あーあ」


 繭の前にだらしなく座り込んだ。



   *



 身体が成熟してきているのが手に取るように分かる。


 ドロドロに溶解していた組織が形を成してきている。


 あんなにも心地良かった筈のこの場所が今となっては窮屈で仕方がない。


 身体の至るところを折り曲げて、繭の内に自らの居場所を無理矢理作り出す。


 各所の関節が軋み、首も物凄く痛かった。顔を上げるのが怖くなるくらいだった。


 しかし、そんな苦痛の繭の中でも彼は不思議と嫌な気分ではなかった。


 長かったここでの孤独な生活も、繭としての生活もそろそろ終わりを告げる。


 そう、俺は綺麗で自由な蝶になるのだ。


 華奢でありながらも力強さを見せる手足。


 透けるような淡い色をした美しい羽。


 何よりもあの静かで心地の良い羽音。


 いや、蝶に羽音など最初から存在しないのかもしれない。それ程に静かな音。


 蝶とはなんて素晴らしい生き物なんだ、と俺は常々思っていた。


 そしてそんな華麗な蝶としての日々に想いを馳せ、小さく貧弱な青虫から退屈な繭へと成長していった。


 思えば散々な道筋だった。


 青虫から繭。なんて退屈な日々だったか。地を這い回り、踏み潰されないように祈るだけの日々。どれだけ懸命に這っても人や動物の足から逃れることなどできはしない。あの頃は自分の無力さに打ちひしがれていた。


 しかし今は苦痛だった日々よりも、これからのことについてのことに意識が向く。


 ああ。それにしても蝶はなんて美しい。


 青虫だった頃から蝶に強い憧れを持っていた俺は、いつか俺もああなるのだと期待に胸を高鳴らせていた。


 それに比べて蛾の奴らときたらどうだろう。醜くて仕方がない。


 太く醜い胴体。


 触覚も大きく太い。


 気味の悪い程に大きな瞳。


 枝や草に止まる際もだらしなく広がったままの羽。


 何かの目のようにも見える羽の模様。


 挙げ句の果てに羽音の大きさが不快で不快で。仕方がない。


 あんなにも俺達に似ている生き物なのに、習性の違いや各所の細かい身体の造りの違いだけであそこまで変わるものなのだろうか。


 こういうのもなんだが、俺は蝶に生まれて本当に良かった。


 青虫だった頃から、俺は蛾が心の底から嫌いだった。


 別に嫌いだからと言って、何かするわけではなかったが、言いようのない不快感を覚えていたのは紛れもない事実だった。


 しかし、望んで蛾として生を受けたわけではない奴らに俺はある種の同情をしている。


 それは寧ろ失礼にあたるのかもしれないが、彼らを嫌ってこそはいても軽蔑していないのは本心だ。偽りは無い。


 決して傲慢なつもりではない。心底、彼らの生を、どうすることもできない生まれの不自由を、運命をただただ悲しく思っている。


 ただ嫌悪しているだけで、決して奴らを貶めてやろうなんて気はない。


 生は自由であるはずなのに、命は奔放であるはずなのに、彼らは数奇な運命の下に蛾としての生を受けてしまった。


 生まれの不自由を、運命の残酷さを俺は割り切ることができずにいた。





 ……それにしても、この繭の中。本当に窮屈になったもんだな。


 皆こんな感じで成虫になったのかな。こんなに苦しい思いをして、皆羽ばたいていったのかな。


 成長が嬉しい反面、繭の中は身体的には少しばかり厳しい環境になってしまった。


 しかしこれももう少しの辛抱。繭から出れば俺は自由だ。


 物思いに耽っていると、繭の中で足先に遊びを感じた。繭の一部が破けた。破けたのは足先の部分。


 「これってもしかして……?」


 俺は恐る恐る身体を少しずつ伸ばす。


 繭の各所が鈍く軋む音を鳴らして広がっていく。すると、力を入れた左足が繭を突き破り、外界の爽やかな空気に触れる。


 続いて下部を足で突き破ると、次は羽が繭の上部を静かに貫いた。大きく開いた繭の中から俺は身体を起こし、空気を吸い込む。


 ああ、遂に俺は、俺は……。


 「やぁ」


 繭を破って最初に目に映ったのは灰色の髪をした人間の青年だった。暗い夜の街を背に青年は俺の前にだらしなく座り込んでいた。


 彼は繭の前にあぐらをかいて、こちらを見上げてくる。


 ……? 見上げている?


 身長がおかしい。俺は虫、俺は蝶だぞ。飛んでるわけでもないのに人間に見上げられるなんて、俺の身体は一体……? 


 ふと下を見てみると明らかに体格が大きい。


 「な、なんだよこれ……。俺は蝶な筈じゃ……」


 「いやいや、違う違う。君は怪人。化け物だよ」


 「化け物!? 何だよそれ!? お、俺が!? 違う!! 俺はただの蝶だ!! 見てくれこの身体を!! ホラ……」


 「大き過ぎるとは思わないかい? ていうかもう違和感には気付いているだろう?」


 「っ!!」


 確かに彼の言う通りだった。明らかに身体が大き過ぎる。


 「だが俺は青虫だった頃は普通の大きさだったぞ!! それが、何故!?」


 「『肥大化は怪人の一番スタンダードな形』なんだって。ボクの上司が言ってた。君が本当にただの青虫だったっていうのなら、多分繭の中に入っている内に大きくなっちゃったんじゃないかなぁ? 繭ごと怪人になってしまった、ってトコ?」


 「そ、んな……」


 「じゃ、挨拶と説明はこれくらいにしてっと」


 「……?」

 

 「……退治スルネ?」


 青年は変貌し二足歩行の狼となった。筋骨隆々な体格に灰色の毛並み、継ぎ接ぎな見てくれは異様な雰囲気を醸し出し、俺は明確にこの狼男に恐怖していた。


 「ば、化け物……!!」


 「化ケ物ハ君ノ方ダロ?」


 ゆったりとした口調とは対照的な俊敏な動きで一気に距離を詰めてくる。黒く光る爪が胸部に届く寸前、俺は後ろに向かって飛んだ。


 「し、知るか! 俺は化け物なんかじゃない!! ただの虫!! ただの蝶々だ!!」


 俺は無数に広がる夜の街へ向かって逃げた。



   *



 ち、違う! 俺は怪人なんかじゃ、化け物なんかじゃない!! 


 そ、そうだ! 自然の多い場所に行こう!!


 きっと都会の汚い空気が俺を変えてしまったんだ!! 


 自然の中なら俺を癒して、この大きな身体を元に戻してくれるかもしれない。


 そうだ。そうしよう。自然に帰るんだ。


 夜の街に羽ばたいていると、その街並みにに見惚れている自分を確信した。


 黒色と灰色の織り混ざった冷たい街並み。


 街並みとは対照的に点々と灯るのは人間達の生活には欠かせない温かみを帯びた光。


 なんだ? 何故俺はこの光景をこんなに魅力的に感じるんだ? 


 いや、違う。


 一体俺はこの光景のどこに魅力を感じているんだ?


 静かな夜の闇? 人間の創り出した途方もない文明? それとも……。


 「あか……り?」


 そう口にした次の瞬間、目の前を大きな影が通り抜ける。


 「走ってついて来てるのか!?」


 狼男はビルからビルへと飛び移りながらも、その鋭い眼光でこちらを捉えて離さない。


 次のビルへと飛び移る際に着地点を俺の延長線上に置くことで、移動しながら俺の身体をを切り裂いてくる。


 畜生、このままじゃ本当に殺られちまう。もっと、もっと速く。


 力強く羽ばたきを増す。限界近くまで羽を動かすと、背に熱を感じた。これならいける。


 俺の羽は勢いを増し、掠れた轟音を鳴らしながら狼男との距離をひらく。


 よし、これなら……!!


 余裕を感じた一瞬だった。


 腹の部分を爪で切り裂かれる。だが浅い。


 あまり奥の方まで爪は届かなかったらしく致命傷にはならなかった。


 しかしその安心感はやがて違和感へと変化する。


 身体を切り裂いた爪は胴体を真っ二つにする程ではなかった。


 それは良い。


 傷自体は身体を切断するほどではなかった。喜ばしいことじゃないか。


 だが違和感を覚えたのは自らの胴体があの攻撃によって真っ二つになっていないという事実そのものだった。


 食い込んだ爪はそれなりのところまで届いていた。にも関わらず、胴体の感覚は未だに残っている。


 俺は恐る恐る患部を見た。


 「!?」


 蝶と呼ぶには余りにも太い胴体だった。


 これではまるで……。


 「蛾……」


 漏れ出た自らの言葉にゾッとする。


 そんな馬鹿な。


 俺は蝶だ。


 絶対に蝶だ。


 そんなこと、ある筈がないんだ。


 俺が蛾なわけがない。


 そんな。


 自らが化け物であることよりも、自らが蛾であるかもしれない。俺にとってはそちらの方が余程怖かった。


 考えていると速度が落ちていく。


 「ナァニ考エテイルノカナッ……!?」


 頭上に狼男が飛び出して来た。ビルの壁を伝ってきたらしい。


 「クソッ!!」


 羽を強く羽ばたかせ、突風を巻き起こした。こんなことをした時点で、自分が化け物であると認めているようなものだった


 風を浴びた狼男は身体のバランスを崩し、咄嗟に目を閉じる。


 俺はその隙に目前の大きなビルの裏手へと回り込んだ。


  

 俺はビルの窓に止まった。


 乱れた息を整え、ふと窓に目をやると自らの顔が大きく映り込んだ。


 「これが……俺……?」


 「おい……? なんだよ? この大きな眼は? この黒く大きな眼は? なんでだよ!? な、なんで!? なんで俺が!?」


 俺は取り乱した。


 すると、それまで無意識だった背中に自然と意識が向いた。


 意識が向いた先の事実を恐る恐る噛み締める。


 「あ、ああぁ……ぁぁ……」


 背に生えている羽が開いていた。


 「わ、わああああああああぁっっ!!」


 自らが羽を開いて止まっているという事実を掻き消すように、ビルから飛び去った。


 この時、種によっては羽を開いたまま止まる蝶もいることなど完全に失念していた。


 大声を聞きつけて狼男がビルの屋上から飛びかかってきた。


 羽を傷付けられた。


 速度が大きく落ちる。


 そんな俺を狼男はいたぶるように切り付けていく。


 身体の各所が傷だらけだった。


 生命としての反射か狼男から逃げようとする俺の身体。


 しかし、それとは対照的にその意識は生命としてあるまじき、生への諦めの感情が湧き出た。


 俺は多分蛾だ。


 きっと、そうなんだ。


 繭の中で焦がれていたあの美しい蝶々ではない。


 俺自身が嫌っていた蛾。


 何よりも忌み嫌い、同時に同情の念さえ覚えていた蛾。


 「それなら、いっそ」


 そう一言呟いたところで、俺の身体に狼男が飛び乗った。


 狼男は右の羽をむしり取り、同じく右側の触角を千切った。


 落ちていく羽は何かの眼のような模様をしていた。


 落ちていく触角は俺の知っているものよりも数倍以上太かった。


 なんとか狼男を振り落とすも、俺の身体はもうボロボロだった。


 ふらふらと飛んでいるとビルの隙間から空が白み始めたのが見えた。


 そんな空に嫌悪感のようなものを覚えたところで、俺の胸中で何かの糸が切れたような気がした。


 俺は近くにあったビルの屋上に倒れ込むように、突っ込んだ。



   *

 

 

 「ハァッ……ハァ……ハ、ァッ……」


 息を切らし苦しそうにしていても彼の眼差しは真っ直ぐだった。


 やがて立ち上がり、ボクの元へと歩いて来る。


 その歩みはノロマで、まるで本当に小さな虫の歩みのようだった。


 隙だらけではあったが、ボクは決して無粋な不意打ちなどしなかった。


 するつもりさえなかった。


 彼の命がもう残り僅かであることを察していた。


 彼は勇気を振り絞ったようにボクに尋ねる。


 「最後にひとつ。俺は蝶の化け物かい?」


 「イヤ、多分ダケド蛾ノ化ケ物ダネ。胴体ハ太イシ、眼モ大キイ。ソノ上、羽音ガ僕ノ知ル限リ、蛾ソノモノダ」


 「……。そうか。参ったな」


 ボクは悲しそうに嘆息する彼にゆったりと近づき、胸の辺りを爪で一突きにする。


 彼は一切抵抗することなく、静かに死を受け入れた。


 倒れ込んだ彼は白み始めた空を見上げて、ボクに優しく、何の曇りも無さそうな顔をして語りかけてくる。


 「すまない……。やっぱりもうひとつ良いか?」


 「ドウぞ」


 「蝶と蛾って……一体何が違うんだろうな」


 ボクは特に考えるわけでもなく、彼を見ながら答えた。


 「似たようなものじゃない? 虫は虫だし。どっちにだって綺麗なのも汚いのもいるし」


 あれ? どうしたんだボク?


 自然と口からこぼれ落ちるのは慰めの言葉だった。


 「でも、少なくともボクはどっちも嫌いじゃないな。なんだか一生懸命だと思うんだよね。キミ達って」


 あ、人間の言葉だと一生懸命って言えば良いのか。なるほど、なるほど。


 「俺は蝶になりたかったんだ。ずっと、ずっと。あの孤独な繭の中でそれだけを夢見て今日まで生きてきたんだ。それなのに。それなのに……」


 「そっか。悔しかったね。でも、君は君だよ。どうしようもないさ」


 ボクの言葉を聞いてもなお、彼は続ける。


 「それでも、蝶になりたかったんだ……。それでも……」


 大きな瞳から光が消える。事切れてしまったらしい。仰向けになり千切れた羽を広げる様はまさに蛾の死骸そのものだった。


 「ふぅ、お仕事完了っと」


 ボクはその場を去ろうとしたが、何故だか彼の死骸に振り返ってしまった。


 そっと彼の顔を覗き込む。








 三階建ての建物の屋上、昨夜破かれた大きな繭はそのまま放置されていた。


 狼男は破れた繭に担いで来た彼の死骸を放り込む。


 なんとも窮屈そうな棺桶に見えなくもないが、狼男は何故だかこうしたかった。


 「もしも、次があるなら蝶々になれると良いね。ずっと、ずっと焦がれていた蝶々に。まぁ、次があるなら、だけど」


 繭に話しかけると、狼男は屋上を後にした。

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