闇の魔獣はよく死ぬ少女が何度生まれ変わっても一途に溺愛し続けている
初めて出会った時、彼女は盲目だった。
森の木漏れ日を思わせるような暖かな緑色に光はなく、故に目の前にいる者が人でないことにも気づかない、愚かな女。
闇を司る魔獣だからと、ただそれだけの理由で忌み嫌われてきたオプスキュリテを「友」と呼ぶ、唯一の存在。
それが彼女だった。
そして、彼女は吐き気を催すほどの善人だった。
不作を解消するための贄として選ばれた妹の代わりに、自分が身代わりになるほど。
自身を喰らわずに生かしたオプスキュリテを優しいと評すほど。
オプスキュリテはただ、あまりに痩せ細った身体は食いでがないから太らせようと思っていただけなのに。
「お前には、欲がないのか」
尋ねるオプスキュリテに、彼女は「あるわ」と軽やかに笑った。
「目が見えるようになりたいの。
一目でいいから、家族の顔を見てみたくて」
「家族? お前は、自身を贄に捧げた者を家族と呼ぶのか」
嘲笑うオプスキュリテの毛皮を撫でて、彼女は困ったように微笑んだ。
「仕方がないわ。非常時ですもの。
私も含めてみんな、生き残るために必要な選択をしたまでよ。
それくらいで恨んだりしないわ。家族は助け合うものだもの」
「家族がそれほど大切か」
「ええ。家族が大事でない人なんていないでしょう」
オプスキュリテには力がある。
代償と引き換えに、なんでも願いを叶えてやれる力だ。
だからオプスキュリテは、女の願いを叶えてやった。
代償は記憶だ。自分と過ごした記憶。
命を代償にしては女の願いを叶えられないし、魂は目を治すにしては多すぎる。
記憶がちょうどよかった。
他意があったわけではない。試したかっただけだ。
女の言う「家族」とはそれほど素晴らしいものなのかと。
目が見えるようになった女は喜んだ。
自分は何故ここにいるのかと首をひねりながら帰っていった。
そして、殺された。
彼女が何よりも大切にする家族に殺されたのだ。
贄の役割を放棄してきたのかと詰られて。
お前が帰ってきたことを知られたら、村での立場がなくなると嘆かれて。
「ほら、だから言っただろう。
家族がそれほど大切か、と」
打ち捨てられた死体を見下ろして、オプスキュリテは嗤った。
興が冷めたので、村は消した。
次に会った時、彼女は足が悪かった。
月明かりを束ねたような淡い金の髪を持つ、とても美しい少女。
闇を凝縮したように黒い毛皮を持つオプスキュリテとは真逆の存在。
それが彼女だった。
そして、彼女は怖気がするほど情に深い人間だった。
女優である親友から公演の知らせをもらう度、足が悪くて観に行けないことを申し訳なさそうに謝るほど。
常に傍らで彼女を支えるオプスキュリテに笑顔で礼を言って、撫でるほど。
オプスキュリテはただ、美しいものに傷がつくのを嫌っただけなのに。
「お前には、夢がないのか」
尋ねるオプスキュリテに、彼女は「あるわ」と穏やかに笑った。
「歩けるようになりたいの。
一度でいいから、彼女の舞台を見に行きたくて」
「親友? お前は、わざわざ劣等感を感じさせる者を親友と呼ぶのか」
眉をひそめるオプスキュリテの毛皮を撫でて、彼女は小さく微笑んだ。
「そう思ってしまうのは私の心が弱いからよ。
彼女はただ、招待してくれているだけ。
親友だもの。それくらい分かるわ」
「親友ならわかり合えるというのか」
「ええ。互いに理解しあってこそ、親友でしょう」
オプスキュリテには力がある。
正当な対価と引き換えに、なんでも願いを叶えてやれる力だ。
だからオプスキュリテは、女の願いを叶えてやった。
対価は記憶だ。自分と過ごした記憶。
命を対価にしては女の願いを叶えられないし、魂は足を治すにしては多すぎる。
記憶がちょうどよかった。
他意があったわけではない。試したかっただけだ。
女の言う「親友」とはそれほど素晴らしいものなのかと。
足が動くようになった女は喜んだ。
いつもそばに誰かいた気がするのだけどと首をひねりながら親友に招待された舞台のある街へ向かい、そこで一人の男に見いだされた。
有名な劇団の団長である男から「うちに入って欲しい」と請われたのだ。
それくらい、彼女の容姿は、仕草は人目を引くものだった。
そして、殺された。
彼女のことをこの世で最も理解しているはずの親友に殺されたのだ。
どうして私の役を奪うのと詰られて。
彼に見染められることが私の生きがいだったのに、と嘆かれて。
「ほら、だから言っただろう。
親友ならわかり合えるというのか、と」
棺の中で眠るように死んでいる死体を見下ろして、オプスキュリテは嗤った。
興が冷めたので、街は消した。
三回目に会った時、彼女は一見健康体だった。
政略とはいえ愛する人と結ばれ、幸せの絶頂にある令嬢。
胸にぽっかりと穴があいたような寂寥感に捕らわれ続けているオプスキュリテとは決して交わらない存在。
それが彼女だった。
そして、彼女は笑えるほど不運な人間だった。
彼女は生まれつき、子が産めなかったのだ。
家に帰らなくなった夫と離婚を迫る周囲への対応に疲れ切った彼女を、オプスキュリテは慰めてやった。
同情ではない。ただ、そうすると寂寥感が消える気がしたのだ。
「お前には、望みがないのか」
尋ねるオプスキュリテに、彼女は「あるわ」と静かに笑った。
「子を産めるようになりたいの。
あの人の子どもが欲しい。そうしたら、以前のように戻れるもの」
「戻る? お前は、自身を捨てた者に戻ってきて欲しいのか」
目を細めるオプスキュリテの毛皮を撫でて、彼女は力なく微笑んだ。
「ええ。我ながら馬鹿だと思うわ。
でも、どうしようもなく好きなの。愛しているの」
「愛があれば、何でも許せるというのか」
「ええ。それが愛でしょう」
オプスキュリテには力がある。
相手の大切なものと引き換えに、なんでも願いを叶えてやれる力だ。
だからオプスキュリテは、女の願いを叶えてやった。
引き換えたのは記憶だ。自分と過ごした記憶。
命を引き換えにしては女の願いを叶えられないし、魂は胎を治すにしては多すぎる。
記憶がちょうどよかった。
他意があったわけではない。試したかっただけだ。
女の言う「愛」とはそれほど素晴らしいものなのかと。
子を産めるようになった女は喜んだ。
どうしてそんなことが分かるのかしらと首をひねりながら、夫の元へ向かった。
そして、死んだ。
子が産めるようになったと報告しに行ったその足で自殺した。
見知らぬ女を連れた夫に離婚を切り出されて。
今更遅い。新しい妻はもう決まったのだから水を差すなと詰られて。
夫に毒を盛り、自身も同じ毒を煽って死んだ。
「ほら、だから言っただろう。
愛があれば、何でも許せるのかと」
夫を抱きしめたまま息絶えた女を見下ろして、オプスキュリテは嗤った。
興が冷めたので、嫁ぎ先は消した。
四回目の出会いに、オプスキュリテは少し遅れた。
彼女は良くも悪くもごく平凡な人間だった。
良くも悪くも異端なオプスキュリテとは似ても似つかない存在。
それが彼女だった。
けれど、彼女はオプスキュリテと同じ匂いを持っていた。
大切な家族も理解しあえる親友も愛する人もおらず、全てに絶望していた。
生きる意味がないと自殺を試みていた彼女を引き留めたのがオプスキュリテだった。
この機を逃しはしまい、とオプスキュリテは思った。
一度目は強すぎる光に焼かれて傍にいられなかった。
二度目は己には過ぎた光に蝕まれて抱き続けることが出来なかった。
三度目は眩い光の量を減らそうと敢えて待った。
そして四度目。
光はようやく、オプスキュリテが寄り添い続けることが出来るほどの強さになった。
彼女の中で僅かに煌めく希望や夢、願いの光を魔の目で眺めながら、オプスキュリテはひっそりと笑った。
完全な闇ではない、星のような瞬き。これくらいが丁度いい。
「生きる意味を見出せぬというなら、我の元に来るがよい」
淡々と投げかけた誘いに、彼女は顔を上げた。
何度転生を繰り返してもこれだけは変わらなかった緑の瞳に、ほんのすこし光が戻る。
それは闇を司るオプスキュリテにとっても心地よい光だった。
「我がそなたに寄り添おう。
我がそなたを理解しよう。
我がそなたを愛そう。
これで、そなたが生きる理由は出来たであろう」
彼女はぼんやりと瞬きをして、それから疲れたように微笑んだ。
伸ばされた手が、黒い毛皮をゆっくりと撫でる。
オプスキュリテには、それで十分だった。
何も、今生で彼女と思いを通わせる必要はないのだから。
これから先、彼女は何度も死んで生まれ変わるだろう。
姿も性格もそのたびに変わるはずだ。
けれど、魂だけは変わらない。
オプスキュリテが愛し、憧れたあの光輝く魂だけは。
それさえあれば見つけることは簡単だ。
何度でも――彼女が愛を返してくれるまで、何度でも繰り返せる。
孤独だったオプスキュリテの胸は今、とても満たされていた。