第5話 陰鬱
「一緒にあの女を殺しましょう♡ どうせお金目当てでアキト様を狙っていた悪辣な女です。お金のために殺されても文句は言えませんよ」
依頼書に書かれていた内容はこうだ。
依頼:クウカ・オーダーの殺害
難易度:E
報酬金:50万マイテ
「アキト様を裏切ったあの女は許しておけません。アキト様も復讐したいですよね? 一緒に殺しましょう。初めての共同作業です♡」
別にクウカさんが誰かに怨まれていても不思議ではない。誰からも好かれている人間なんていないんだ。むしろ善人であるほど敵は多い。50万という俺が半月で稼いでいた額というのは不服だが、ただの事務員が相手ではこれくらいが妥当なのだろう。
「あの女を殺し、ユウたちは幸せになるんです♡ きっと楽しいですよ♡ いっぱい後悔させてからゆっくり殺しましょうね♡」
「わかった。この依頼を受けよう」
「わぁっ♡ さすがアキト様♡ ユウたち……」
「一つ聞いていいですか?」
何か喚いているゴミを無視し、楽しそうな顔で煙草を吸っているファイさんに声をかける。
「依頼人を教えてくれませんか? 色々連絡を取る必要がありますよね?」
「そこら辺は全部こっちでやっておくよ。お兄さんはクエストに集中してくれていいから」
「いや、そんな迷惑はかけられませんよ。いいから依頼人が誰か教えてください」
「客の情報は教えられない」
「そうですか……」
「はーい、そこまでですよ~?」
首に冷たいものが当たる。さっきまでフルーツを切っていた果物ナイフだ。果汁の匂いが鼻をくすぐる。
「なっ……! フユちゃん、何やってるのっ!?」
視界で捉えられないほどの速度でカウンターに上り、俺の首にナイフを突きつけているフユさんに気づいたゴミが焦った声を上げる。ちょうど今の俺の視界に入らない位置に顔を置いてある。黒魔法への対処は織り込み済みというわけか。まぁでもあまり関係はない。
「なにってー、先にファイちゃんを殺そうとしてきたのはあっちですけどー?」
「別に殺すつもりはないよ。ただの脅しだ」
相変わらず不敵な笑みを浮かべ、煙草を咥えているファイさんの首は闇に覆われている。ここで黒幕を閉じれば彼女の頭は床に落ちることになる。
「まぁ落ち着きなよ。こっちだって殺すつもりはないけど、フユも傷つけるようなら容赦しないからね」
彼女の視界の先にある俺の後頭部を何かが掴んでいる。手のような感触がするが、嫌に冷たい。おそらくファイさんの魔法だ。俺が少しでも動けば手を振り下ろしてナイフの刃に首を押しつけるつもりだろう。
「み、みんなやめてよ! 急にどうしちゃったのっ!?」
この状況を唯一飲み込めていないゴミが声を上げる。こんな奴に俺から一々説明するつもりはない。が、代わりにファイさんが伝えてくれた。
「要するにさ、お兄さんはまだ元カノのことが忘れられないみたいだよ」
ずいぶん妄想が行き過ぎてるな。見当違いも甚だしい。
「俺とクウカさんは元々付き合ってないよ。それに俺なんかを相手にするほどクウカさんは程度が低くない。ただ俺が勘違いしてただけだ」
少し優しくされたからって調子に乗っていた。よく考えたら、いや、よく考えなくても当然のことだ。あんな素敵な人と俺なんかが一緒にいられるわけがない。
だって俺は、陰キャだから。
「そりゃあ俺だって傷ついた。少しくらいは何か言ってやりたいと思う気持ちはあるよ。まぁ実際に会ったら絶対に言えないけど、怨みに近い何かは、どうしても、ある」
でも。そんなことはどうでもいいんだ。俺のことなんかどうでもいい。
「クウカさんを傷つける奴は絶対に許さない。だから黙ってそいつの情報を渡してくれ」
その依頼人と、俺の隣にいる女を殺す。殺しなんてもう絶対にしないと決めていたが、これだけはやらなければならない。
「はぁ……。ここらが潮時かな」
つぶやくようにそう言ったファイさんが、煙草を灰皿に押しつけて火を消す。それと同時に入口の辺りから、カチッ、という何かを押した音がした。
瞬間、光が溢れる。
「ぁ……が……!」
「ふわぁっ、ぁ、あぁ……!」
「くぅ……ふ、ぅん……!」
闇と手が消え、俺、フユさん、ファイさんの身体が沈んでいく。店の照明を点けたんだ。しかもこれ、並の光量じゃない……!
「陰キャ専用裏ギルドだからね……ぅっ、万が一のために、こういうの用意してるんだよ……んぁっ」
カウンターに身を預け、ピクピクと痙攣しながらそう説明するファイさん。理屈はわかるが、自分たちも動けなくなってはダメだろう。フユさんもカウンターの上に倒れて悶えている。
「っそ、舐めんなよ……!」
だが俺は露出の多い服装の二人とは違い、肌を出しているのは顔だけ。陰キャ度100%のせいでかなりのダメージは負っているが、何もできないわけじゃない。カウンターに突っ伏しながらフユさんの手から零れたナイフを拾い上げる。これでフユさんを人質にすれば……。
「そもそもさ……この依頼、もうなくなってるんだよね……。依頼人が、ぁっ、もう別の依頼で殺されてる……」
「は、はは……」
何だよ、そういうことか……。依頼書を出す前に言っていた二つの事情とかいうやつ。その内の一つが依頼人の不在。そしてもう一つは、俺が目の前にいるということ。同じ陰キャだし性格はわかってるだろうからなぁ……。
「すいま……せんでした……」
「いや……悪いのはこっちだから……それよりユウさん……悪いけど電気消してきてくれる……? そろそろあたしたち、マジやば……ぁっ」
俺の謝罪を受け、ファイさんが唯一動けるユウさんにそう頼む。そしてユウさんは立ち上がると、
「っ、がっ!?」
金槌で俺の頭を殴り飛ばした。
「ぐ、うぅ……!」
その衝撃で椅子の上から転げ落ちてしまう。身体が動かなければ頭も動かない。視界が白から赤に染まっていく。
「フ、ユ……!」
「風忍魔法――」
「うざいなぁ。黙ってろよ、陰キャが」
カウンターの方から声がしたかと思ったら、すぐにその声が悲痛な叫びへと変わった。
「ひゃめっ、それ、おかひくなるっ、ふぁっ、あぁっ」
「フ……ユぅ……、あぁっ、やだっ、ゆるひてぇっ」
その理由はユウさんが懐から取り出したランタン。本来は行商人がモンスター除けに使うものだが、陰キャである俺たちにも効果は覿面だ。カウンターの上に置き、近くにいたフユさんとファイさんを苦しめている。
「もっと冷徹で卑劣な本物の陰キャだと思ってたのに……。復讐もできないチキン野郎だったなんて……」
邪魔者を排除したユウさんが俺を見下ろしてくる。表情は明かりのせいで見えないが、大方察することはできる。
俺たちを見下すその視線はいつだって同じだ。人間なのに、人間扱いされない。ただ他の人とは少し違うだけなのに、そこに存在することすら許されない。
「解釈違い。早く死んで?」
別にわかってたよ、それくらい。灯りが点いてるのに動けてるんだから。他人に好き好き言えるんだから。幸せになろうとしてるんだから。ユウさんには俺のこの気持ちはわからない。だって、
「お前、陰キャじゃないだろ」