第3話 甘い誘惑
「黒い髪の毛、黒い瞳。黒いマフラー、黒いグローブ、黒い衣服。そして底だけ白の黒い革靴……。ぇへへ……♡ 本物だぁ……♡ 本物のアキト様がユウの家にいるぅ……♡」
俺をベッドに押し倒したまま女性は恍惚の笑みを浮かべる。だらりと開いた口から涎が垂れて俺の頬に滴ってきた。だが不思議とそこまで不快感はない。人に触れている時点で既に相当の不快感に襲われているからだ。
この女性の目的はわからない。敵意はないように見えるが、殺意のような色が瞳を覆っている。少なくともまず間違いなく味方ではないだろう。
「このっ」
この人には悪いが、身体を捻って女性をベッドから落とす。部屋は十分過ぎるほどに暗い。ここでなら黒幕で一気に脱出を……。
「呪魔法――」
ベッドの上で腕を広げたタイミングで、気づく。女性が平然と体勢を整え、手に五寸釘の刺さった藁人形と、金槌を持っていることに。
「――体禁」
女性が釘を打ちつけた瞬間、俺の動きが止まった。身体が動かない……! が、
「黒幕!」
魔法は問題なく使える。闇は手のひらからしか放出できないので時間はかかるが、全身さえ覆えれば逃げられる。
「はい、ざんねん♡」
だが闇は一瞬にして影も残らずに晴れた。女性が部屋の電気を点けたんだ。これで俺は身体も動かせないし、魔法も使えない。
「ださっ♡ 助けた女の子にやられるとか♡ はずかしいっ♡ 無様っ♡ でもそこがかわいいですよっ、アキト様っ♡」
「……何が目的だ?」
再び女性は俺を押し倒し、顔を近づけてくる。普通の照明でも俺にとっては太陽を直接見るようなものだ。眩しすぎて目を細めても全てがぼやけて見えるが、女性が心底うれしそうに嗤っていることはわかった。
「きゃっ♡ アキト様とお話してるっっっ♡」
「…………」
埒が明かないな。ていうか呪魔法は陰属性だろ。身体は動かせるようになったが、俺と同じく陰キャのはずのこの子は普通に動けている。俺がじっと彼女の姿を見ていると、それに気づいた女性が頬を紅らめて語り出す。
「あ、自己紹介がまだでしたね。ユウは、ユウ・スーガって言いますっ♡ 年齢は21で、アキト様は18歳なので三歳差ですねっ♡ 年上の女性はお好きですか? クウカ・オーダーは同い年でしたよね。あ、でもあの女顔は幼げだったっけ……でもユウの方が若い顔してると思うんですよね。それにユウの方があの女よりむ、胸もありますし、上位互換だと思うんですっ。ほ、ほら、どうですか? あ、下着も外した方がわかりやすいですよね? ちょっと待っててくださいね?」
「っ」
ユウと名乗った女性の腕が俺から離れたタイミングを見計らい、彼女を振り払ってベッドから飛び降りる。目は見えないし身体はふらつくが、スイッチの位置は確認済みだ。扉付近へと這い、部屋の電気を消す。これで魔法が使えるようになった。
とにかくこの女は危険だ。俺のことを知っているのは元より、クウカさんのことまで調べ上げていた。ここで始末しておかなければクウカさんにまで危害が及ぶ可能性がある。
「黒々刻獄――」
いや、もう遅い。この女は既にクウカさんを標的にしている。
「あ、気づきました? どうですか? ユウの想い、伝わりました?」
天井には俺の写真が貼ってあった。それはいい。別に隠し撮りされていようが構わないし、俺自身が何かされたわけではない。
でも、これは。壁一面にかかっている藁人形に、クウカさんの写真が釘で打ちつけられているこの状況は、とっくに手遅れだと察するに余りあった。
「何がしたいんだよお前は――!」
「魔禁」
さっき俺の動きを止めたのとは別の藁人形にユウは釘を打ちつける。その瞬間この家全てを覆えるほどに練り上げられた魔力が全て無に帰した。
「ぇへへっ♡ ユウの呪魔法は藁人形に釘を打ちつけると、対象に魔法をかけることができるんです」
「知ってるよ。でも藁人形の中に対象となるものの欠片を入れないといけないだろ。髪とか、爪とか……」
「さすがアキト様っ♡ ユウのこと何でも知ってるんですね♡」
「知ってるのは呪魔法のことだけどな」
いつ獲られた? いやできてもせいぜい髪の毛一本くらいのはずだ。それに藁人形に入れ込む動作も見ていない。一度使った藁人形はもう使えなくなるはずだし……。
だがその答えはすぐに晒された。
ユウが服を脱ぐことによって。
「あんなギルドにいたらだめですよ? 掃除が全然なってない」
フリルのついた白いブラウスのボタンを外すと、中から十数個の藁人形が落ちてきた。
「床にいっぱい髪の毛は残っているし、侵入も結構容易でした」
次に膝まで伸びた黒いスカートを捲り上げると、上と同じくらいの量の藁人形が落ちてくる。
「アキト様にはもっとふさわしい場所があります。ユウならもっとアキト様をわかってあげられます」
最後に黒いニーソックスをずらすと、またもいくつかの藁人形が姿を見せた。
「まさか……それ全部……!
「ぇへっ♡ ぇへへっ♡ 全部アキト様の身体の一部が入ってます♡ 髪の毛とか、まつ毛とか、いっぱい、いっぱい♡」
彼女がゆっくりと近づいてくる。体勢的には十分逃げられる。が、逃げられない。長い前髪から覗く、彼女の瞳からは逃れられない。
「何なんだよ、お前――!」
「ただのファンです♡ アキト様のことがだいしゅきでだいしゅきでたまらない、どこにでもいる普通の女の子♡」
そして彼女は俺の身体を抱きしめる。物理的にも逃げられなくするために。
「クウカみたいな女のことは忘れて、ユウと幸せになりましょう♡」
その甘い声色は、俺の擦り切れた心を優しく包み込んだ。
まぁ当然、そんなもので真の陰キャである俺をどうこうできるわけがないのだが。